DRAMA Vol.02 同好会から日本リーグ1部へ

鹿島アントラーズの歴史は、第2次世界大戦終結後まだ間もない1947年、大阪の住友金属工業株式会社(以下、住友金属、または住金と略す)に蹴球(サッカーのこと)同好会が発足したことから始まる。1956年には蹴球同好会から蹴球団へ昇格(“団”になると会社から援助が受けられる。)

やがて日本リーグ2部に昇格してから、1975年、茨城県の鹿島町に移転する。 さらに1部昇格をねらうには、いろいろな苦労が伴った。

当時、他の企業スポーツチームは契約制を導入し始めていた。外国人選手をはじめ国内でも実力の高い選手と契約を交わしてプロとしての意識づけを行い、レベルを高め、戦力の強化を達成してきた。

しかし、住友金属は徹底したアマチュアイズムを貫いており、また社内にはほかに多くのスポーツ団を抱えていたので、蹴球団だけを特例としてノンアマチュア化(プロ化)することはできなかった。

[強くないチーム→企業とチーム名が知られない→いい選手が集まらない→強くなれない]そんな悪循環は打破しなければならなかった。プロになりたくてもなれないのならば、アマチュアのままで強くなるしかなかった。

現在(株)鹿島アントラーズFCの専門部長を務める平野勝哉氏を中心とした数人のスカウトマンが優秀な選手を求めて全国を歩く。しかし当初、レギュラークラスの選手や日本代表に選ばれるような選手には、なかなか入団してもらえない。努力が結実するまでに、10年もかかってしまう。

1985年、日本リーグ1部への昇格を果たす。さらに1987年の戦績に結びつけてゆく。もちろん、選手たちは住友金属の社員として、アマチュアのままで、だ。