鹿行の道を巡る〜波音を浴びるようにして〜

2020.08.26(水)
東の空の色から、きょうは日の出を拝むことができるのではないかと期待し、鹿嶋市の海岸に向かって走り始めると、にわかに霧が立ち込めてきた。空はたちまち鈍い色合いに変わった。

このあたりではこういう日が少なくない。朝日が隠れてしまったのは残念だが、8月だというのにひんやりとして走りやすい。

浜に出ると、サーファーが波を待っている。いい波がなかなか来ないようだ。私も足を止めて、しばらくその様子を眺める。

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サーフィンは「待つスポーツ」だと言われるが、なるほどと思う。波を待つ時間の何と長いことやら。待てないサーファーは上達しないらしい。

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浜にはもちろん釣り人もいる。こちらも待つことの達人だろう。サーフィンもフィッシングも忍耐を要する。

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海岸を走っていると、心が安らかになる。波が寄せる音、引いていく音。果てしなく続くそのサイクルが地球の命を感じさせる。

波音を体で浴びるようにしていると、懐かしさを感じるのはなぜなのだろうか。浜から離れがたくなる。時間の流れを忘れてしまう。時間に追われる日常から遠いところに引き込まれる。それは幸せなことだ。

だからなのか、脚筋の張りや疲労を忘れる。この海岸線にランニングロードが整っていたら、どこまでも走って行きたくなるだろう。

サーファーが多い明石海岸には鹿島神宮の東の一乃鳥居が構えている。巨大な朱色の西の一乃鳥居と比べてしまうと地味な存在だが、ここは朝日が拝める。

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この鳥居に近い、鹿島灘を望む丘陵には高さ32メートルの鹿嶋灯台が立つ。辺りがもやっているから、夜でもないのに灯りの明滅がはっきり映る。

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下津(おりつ)海岸に近接した港ヶ丘共同墓地は鹿嶋の近代史を伝える場所でもある。昭和36年に始まった鹿島臨海工業地帯の造成により、泉川浜の全戸が集団移転を強いられ、平井押合区に移転した。それに伴い、墓地も移転築造された。

国家プロジェクトとして工業地帯が築かれたことで、半農半漁の町だった鹿島、神栖、波崎の3町(現鹿嶋市、神栖市)はダイナミックに姿を変えた。

海岸線を走れば、高度成長期に築かれたコンビナートの煙突群が視野に入る。それもまたこの地域の姿だ。鹿嶋、神栖をイメージさせる景観の一つになっている。

時代の変遷を感じながら、歩を進める。

文・写真:吉田(地域連携チーム)