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FREAKS vol. 319(2022/4)より 〜新たな背番号10の過去・現在・未来〜
2022.04.26(火)

アントラーズに加入して3シーズン目を迎えた荒木遼太郎。
プロ2年間で得たもの、背番号10をまとう今の心境、そして今後のビジョンとは―。
アントラーズの10番を引き継いだ男の過去・現在・未来に迫る。
1、2年目の試合経験を通して
手に入れることのできた自信
「ええっ!? マジですか?」
アントラーズの歴代の背番号10と自分自身が今月号の特集テーマであることを耳にすると、荒木遼太郎は目を丸くして、どこかうれしそうに驚いた。
プロ入り後の自らのキャリアについては、充実感を漂わせつつ、落ち着いた口ぶりで言葉を紡いでいく。そして、2022シーズンのアントラーズに関して聞くと、大きく一息ついて、徐々に昨年までの悔しさをにじませながら本音を語り始めた。素直さや純粋さといったパーソナリティーを存分に示すかのように、荒木は一つひとつの話題に対して実に多彩な表情を見せていく。
そんな彼が突然笑顔になったのが、自身の〝背番号ヒストリー〟を思い返していたときだった。
「そういえば、僕がこれまで所属してきたチームは、小学生のころからずっとユニフォームが赤なんですよ。個人的にはけっこう好きな色なので、ずっと赤いユニフォームを着てサッカーができていることはひそかな喜びなんです(笑)」
小学生時代にフットボールを楽しんだFCドミンゴ鹿央とシャルムFC熊本をはじめ、J2熊本のジュニアユースでも赤を基調としたウェアを身に着けた。中学卒業後は〝赤い彗星〟の異名を持つ東福岡高校へ進学。高校サッカー界きっての名門で3年間を過ごしたMFは、20年からアントラーズレッドのユニフォームに袖を通し、今年、プロ3年目のシーズンを戦っている。
ルーキーイヤーについて、本人は「あらゆる意味でチャレンジし続けたシーズンだった」と総括する。就任直後のザーゴ元監督からは、それまで自分自身が得意としてきたスタイルとは異なるプレーを求められた。
「プロ1年目は、サイドハーフで起用されることがほとんどでした。トップ下やボランチでプレーすることの多かった僕としてはやや不慣れなポジションでしたし、高校時代までとはずいぶん違うプレーをしていましたね。ただ、プロ入り直後から公式戦のピッチに立ちたいと強く思っていましたから、出場機会を得るためにこれからどのように取り組んでいくべきか、あのころは自分なりにいろいろなことを考えていたような気がします」
自問自答した結果、荒木は柔軟な発想でチーム内の競争に挑むことを決意。これまでのキャリアで培ってきたスタイルを頑固に押し通すのではなく、目の前の環境に適合していくため、自分自身を積極的に変化させていこうと考えた。
「『アントラーズには、サイドからドリブルで仕掛けていくような選手がいない』と思ったんです。だから、とにかくボールを受けたら縦に仕掛けて、たとえミスをしてもいいからドリブル突破を繰り返そうと心に決めました。はっきりと言ってしまえば、『何も考えずに思い切ってやっているだけ』という表現になりますが、今思えば、そういったイメージでチャレンジし続けたことが、当時の僕にはプラスに働いたのかもしれません。おかげでプレーの幅を広げることができたし、監督のリクエストに柔軟に対応する力もつけられたのではないかと思っています」
もともとパスワークを中心に攻撃を組み立てるプレーを得意としていた司令塔は、タッチライン沿いから相手の守備網を切り崩しにかかるドリブラーへとスタイルを変えた。プロ2年目、その果敢な仕掛けはより勢いを増していく。
「2年目を迎え、もうルーキーではないという責任感やプレッシャーも感じていました。でも僕としては、1年目以上にどんどんチャレンジしていくことができたし、やりたいことを自由に、そして思い切ってピッチで表現できている感覚がありました。もっとも、そう思えたのは先輩たちのおかげでした。当時はベテランや中堅の選手たちが多く在籍していたこともあり、『ミスしても気にしなくていい。俺たちがカバーするから安心しろ』と、若手がプレーしやすい環境を作ってくれていたんです。今振り返ると、責任を先輩たちに預けられた2年目のシーズンというのは、サッカーをするのが純粋に楽しかったなと心から思いますね(苦笑)」
シーズン途中からはポジションを中央に移し、トップ下の位置でチームの攻撃をコントロールした。同期の松村優太が荒木を指して「チームの心臓」と言い表したように、その存在感は試合を追うごとに高まっていく。
「そう言ってもらえたことはうれしいと思いつつ、マツ(松村選手)の言葉はちょっと大げさです(笑)。ただ、中学時代や高校時代もプレーしていたポジションなので、トップ下のやりやすさや動き方は把握していたつもりですし、自分のよさが一番生きるポジションなのではないかと思っていました。個人的には、しっかりとビルドアップして、チームとしてパスを回しながら相手ゴールへと迫っていく戦い方を理想としています。その意味で、2年目の途中からは中盤の狭いエリアでDF陣やボランチからパスを引き出し、ボールを失うことなくサイドや前線へいい形でつないでいく〝仲介役〟としてのプレーには、ある程度の手応えを感じることができました」
2年目のリーグ戦では、36試合に出場して10得点をマークした。試合数は土居聖真と並びチームトップの数字であり、得点数はJリーグ史上2人目となる〝10代での2桁ゴール〟となった。そして、シーズンを通した躍動はクラブ内外で高く評価され、2021Jリーグアウォーズで「ベストヤングプレーヤー賞」を受賞する。
「ベストヤングプレーヤー賞の存在は、もちろんシーズン前から認識していました。個人的にはその賞に見合うくらいの活躍をしたいと考えていたので、受賞の知らせを聞いたときは本当にうれしかったです。柳沢敦ユース監督や柴崎岳選手など、これまでアントラーズの中心選手として活躍してきた先輩たちも受賞した賞ですから、それを自分も手にできたことには素直に喜びを感じました。同時に、そういった先輩たちがアントラーズで築き上げ、残していってくれたものを今度は僕が引き継いで、いつかは先輩たちを超えていけるように、日々トレーニングに励んでいこうと思っています」
アントラーズ加入後の2シーズンを振り返りながら、荒木は最大の収穫として「自信を得られたこと」を挙げる。もちろん、個人的な記録や好成績を収めることがそのきっかけにつながることも実感しているが、自身にとって何よりも大切だったのは、試合経験だという。
「練習を積み重ねた先に得られる自信も当然あると思っています。ただ、やはり公式戦のピッチに立つことは格別です。試合に出て実際にプレーすることにより、自分のいいところはもちろん、よくないところもたくさん見つけることができます。そこで感じた課題や反省を思い返しながら、少しでも改善していけるように翌日からの練習に必死に取り組み、また次の試合に向けて準備していく。僕個人としては、このサイクルによって徐々に自信を得られたのだと思っています。その点で、特にプロ1年目から辛抱強く起用してくれたザーゴさんには、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。1年目も2年目も数多くの試合に出させてもらい、課題や反省点をたくさん見つけながら、それらを一つひとつ克服していくことで自信がついてきました。試合に出場できたぶんだけ成長でき、それが今につながっているのだと実感しています」
アントラーズの選手として2シーズンを戦い、さまざまな経験を通じてつかんだ自信は、プロ3年目を迎える荒木にいくつかの変化をもたらした。
アントラーズの10番を背負い
さらなるレベルアップを誓う
22シーズン開幕直後。荒木は「少し重く考えすぎているかも」と苦笑しながら、自身の心境の移り変わりを話し始めた。
「一選手としての考え方は、1年目や2年目と比べ、3年目の今はだいぶ変わりましたね。1年目は少しでもいいから試合に絡みたいという一心で日々を過ごし、2年目は個人として結果を残すことにとにかく必死でした。もちろん、今も結果を残したいという気持ちに変わりはないし、1年目も2年目も勝利にこだわってやっていたつもりです。でも3年目の今シーズンは、絶対に勝たなければいけないし、絶対に勝たせなければいけない。この思いがこれまで以上に高まっています。先ほども触れましたが、1、2年目はミスをしたとしてもすぐに切り替えて、またガンガン挑んでいく〝若手らしいスタンス〟でプレーしていました。その思いは心のなかに残しつつも、今は周りを使うことやチームのためにという考えが先行し、心境的にはこれまでとはずいぶん変わったなと思います。正直、ここまで自分の考え方が変わるなんて、想像もしていませんでした」
3年目の変化においては、背番号についても触れないわけにはいかないだろう。
少し時間を巻き戻すと、荒木が背番号を意識するようになったのは中学生のころ、熊本のジュニアユース時代だった。
「当時は7番が好きだったんです。だから、中学1年のときは7番を希望するつもりでいたんですが、チームメートに先に取られてしまって。仕方なく別の番号を選ぼうとしたところ、なぜか10番が空いていたんですよね。それを知った瞬間、自分のなかで『それなら10番にしよう』とすぐに気持ちを切り替えました。それ以降は、気づいたら7番よりも10番のほうが好きになっていましたし、あのころから僕のなかでは〝背番号といえば10番〟というイメージが定着しました」
「背番号といえば10番」と口にする男である。当然、19年の夏からアントラーズの背番号10が空いていることは認識していた。
「中学生のころから10番が好きでしたし、ピッチ上では〝10番のポジション〟でプレーしてきました。何より、サッカーをする際には10番を背負い、常にチームの中心的な存在としてプレーしたいと思っています。だから本当のことを言うと、プロ2年目の21シーズンからアントラーズの10番を着けさせてもらいたいと考えていたんです。だけど、1年目の結果や内容を考えると『さすがにこのタイミングでは無理だろうな』と思って、2年目の開幕前には志願できませんでした(笑)」
プロ2年目の成果は前述のとおりである。自らが刻んだ記録と記憶を胸に、荒木はアントラーズの背番号10に名乗り出た。
「2年目の成績を見つめ直したとき、『この結果なら背番号の変更を志願できるのではないか』『アントラーズの10番を託してもらえるのではないか』と考えながら、僕のほうから申し出ました。こう見えて、けっこう周りの感情や視線を気にしてしまうタイプなので、10番を志願するまでにいろいろと考えたんです(笑)」
実は慎重な性分であることを打ち明ける一方、試合中の堂々とした振る舞いが物語るように、アントラーズの10番のユニフォームを着用することに関しては、「昔からあまりプレッシャーを感じない性格だからですかね」と言いながら、笑顔でこう続ける。
「やはり、スタジアムで10番のユニフォームを着て応援してくれているアントラーズのファン・サポーターの皆さんを見るたびに、『ああ、自分は10番になったんだな』という実感が湧いてきます。ただ、10番を背負うという重みやプレッシャーのような感情は、いい意味で感じていないというのが本心です。練習着にプリントされている胸元の数字が、13番から10番に変わったのを見たときは、『おっ!』って思いましたけど(笑)」
今シーズンの荒木にとって、背番号以上にその重みを感じているのが、〝カシマ〟であることの責任だという。
「今の僕が感じているのは、アントラーズの選手としての責任の重さ。チームとして勝たなければいけない、タイトルを獲らなければいけないという気持ちは、ものすごく強いものがあります」
そう意気込んで臨んだ22シーズン。リーグ開幕戦は敵地でG大阪に快勝したものの、第2節はホームで川崎Fに敗戦を喫した。
「正直なところ、今シーズンはどこが相手だろうと、一度も負けたくなかったんです。それなのに、2試合目で早々と負けてしまって……。試合後のチーム全体の雰囲気や、スタンドのファン・サポーターの皆さんの表情は、この先もう味わいたくないし、絶対に見たくないと改めて思いました」
過去2年間で蓄えたさまざまな経験は、シーズン中の悔しさをポジティブな力へと転換する。荒木は深呼吸して気持ちを切り替え、今後の戦いをこう展望した。
「もちろん、もっといい形でスタートダッシュを切りたいと考えていました。ただ、ここからいくらでも立て直すことはできますし、敗戦のなかにもポジティブにとらえられる部分があると信じています。少しでも早く課題を修正できれば、今は未熟なところがプラスの力に変わっていきますし、それらが終盤戦に生きてくると思うんです。そもそも、シーズンを通してずっと勝ち続けられるようなチームはないですし、優勝するチームであってもどこかでつまずきます。思うように勝てない時期、チーム状態がよくない時期はどんなチームでも必ず直面することであり、それが今シーズンのアントラーズにとっては開幕直後だったのだと僕は考えています。タイトル獲得の難しさを序盤戦で味わっただけであり、中盤戦から終盤戦にかけては『あの時期があったから』と振り返られるのではないかと思っています」
レネ・ヴァイラー監督を筆頭に、新たなスタッフを招いた今シーズンのアントラーズ。〝新体制〟での戦いについては、荒木もこれまでの体験からその難しさを知る。
「僕自身、プロ入り後の2シーズンではザーゴさんと相馬さんに率いられ、毎年のようにサッカースタイルが変わりました。個人的に、監督が求めることを選手全員で理解し、共有しながらやっていくのは、とても時間がかかることだと認識しています。今シーズンに関しても、戦術面の浸透はまだまだこれから。どの選手もやるべきことは頭のなかで整理できていると思いますが、公式戦のピッチのなかには当然相手選手がいますし、想定どおりの戦い方をしてくるとは限りません。そういったときこそ、チームとしていかに柔軟な対応ができるかがポイント。僕としては、攻撃面を中心にしながら、幅広くチーム全体をサポートしていけたらいいなと思っています。これがなかなか難しいんですが(苦笑)」
アントラーズの主軸としてプレーする荒木にとって、今年は日本代表のスケジュールも意識するシーズンとなる。22年は11月から12月にかけてカタールでW杯が開催され、24年のパリ五輪に向けた大岩ジャパンも本格始動する。本人は「カタールW杯もパリ五輪も、どちらも行きたい」と即答しつつ、現在の心境をこう語る。
「日本代表を見据えているのは確かです。ただ、今の僕が考えているのはアントラーズのことだけ。特にW杯に関しては、アントラーズでしっかりと結果を残すことができた先に、〝ご褒美〟としてついてくるものであり、仮に選出されなかったとしても、それはそれで仕方ないというスタンスで構えています」
一方、パリ五輪に関しては「世代的にぴったりなので絶対に出場したい」と意気込む。
「個人的に、アントラーズの同期4人(荒木選手、染野選手、松村選手、山田選手)がこの世代の中心になっていけると思っています。アントラーズのために戦うのはもちろん、僕ら4人がパリ五輪に向けて代表チームを引っ張っていくべきだと思っているので、必ずメンバーに選ばれたいですね」
本人が思い描く将来的なイメージをくみながら、吉岡宗重フットボールダイレクターは荒木にこう期待を寄せる。
「荒木も自覚していると思いますが、10番を着けたことで、これまで以上にアントラーズを勝たせられるプレーをする必要があります。また、将来に向けてさまざまな高い目標を掲げているでしょうが、その意味では、今よりも2段階、3段階上のレベルで攻撃も守備もやっていかなくてはなりません。本人にはそういう意識で取り組んでもらいたいですし、こちらとしてもより高いレベルを求めていきたいと考えています」
荒木自身も力強くこう口にする。
「プレースタイル的に、周囲からは攻撃面での期待が大きくなると思っています。僕としてもたくさんのチャンスを作り、どんどんゴールに絡んでいくプレーを披露したい。ただ、今シーズンは攻撃面だけでなく、それ以外の面でもチームの力になるつもりです。守備面で体を張るのはもちろん、体力的に厳しい時間帯であっても人一倍走って、チームを鼓舞していきたいと考えています。最終的には、チームメートやファン・サポーターの皆さんから『荒木がいて助かった』『荒木がいてくれてよかった』と思ってもらえるような存在になることを目指しています」
プロ3年目の22シーズン。アントラーズの背番号10をまとい、荒木はプロフットボーラーとしてさらなる進化を遂げようとしている。そしてその先に、アントラーズのタイトル奪還が待っているに違いない。

