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2021年02月26日(金)

FREAKS Vol. 305(2021/2)より 〜全身全霊を捧げた23年間〜

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自宅の窓からアントラーズのバスがスタジアムへ向かう様子を眺めていた少年は、いつしかアントラーズの守護神(Guardian)となり、23年にもわたるキャリアを駆け抜けた。

その胸は、「全身全霊でサッカーと向き合ってきた」という自負と誇りで満たされている。

2020年12月24日、長年にわたりアントラーズの守護神として君臨し続けた曽ケ端準の現役引退が発表された。

「僕は鹿嶋で生まれ育ち、この町に鹿島アントラーズが誕生し、始まりは1人のサポーターでした。それがユースに入り、プロになり、一つのクラブでここまで長くプレーできるとは想像もしていませんでした」

この言葉が示すとおり、アントラーズの象徴として23年間というキャリアを駆け抜けた男が、引退決断の理由、自身のサッカー人生、GKのあり方、そして今後のビジョンについて語る。

〝鹿島で終われる幸せ〟を
強く感じることができた

──23年間の現役生活に別れを告げ、新しいシーズンが始まろうとしています。
「昨年12月にクラブへ引退を決断したことを伝え、年末に記者会見を行ってから、気持ちが徐々にすっきりしてきました。振り返れば本当に充実した選手生活でしたし、自分がやってきたことに誇りを持っています」

──引退したという実感は、どういう場面で感じましたか?
「普段はめったに鳴らない僕の携帯電話がすごく鳴っていたときですね。『何年分の着信があったんだろう?』というくらいの連絡をいただきました(笑)。そういう場面を通して、自分自身が引退することを実感しましたね。たくさんの方からわざわざ連絡をいただけたことは本当にうれしかったです」

──改めて、現役引退を決断した理由を教えてください。
「今後についていろいろと話をするなかで、アントラーズからGKアシスタントコーチ就任のお話をいただきました。アントラーズで新たなチャレンジをするのか、それとも他のチームで現役を続けるのか、この二つを自分のなかで検討したところ、他のチームでプレーするというイメージに自分の気持ちが乗ってきませんでした。やはり、アントラーズの選手としてこれだけ長くプレーしてきましたし、〝鹿島で終われる幸せ〟というものを強く感じることができました。だから、立場は変わりますが、この先もアントラーズのために働くということにチャレンジしたいなと思いました」

──現役引退か、それとも続行か。決断するまでの時間には、やはり葛藤があったのでしょうか?
「ここ数年は試合での出番が少なくなっていましたし、20年は新型コロナウイルス感染症の影響で、スタンドがたくさんのお客さんで埋め尽くされた環境でプレーする機会もかないませんでした。そういう意味では、もっとカシマスタジアムでプレーしたい、ファン・サポーターの皆さんにプレーを見てもらいたいという気持ちが強かったので、やはり葛藤はありました」

──決断を下すまでの間に、誰かに相談を持ちかけましたか?
「はい、いろいろな人に話をして、相談に乗ってもらいました。反応はさまざまで、現役続行を勧めてくれる人もいれば、アントラーズで現役を終えられる幸せのことを言ってくれる人もいました」

──現役引退のことをご家族に伝えたときの反応は?
「僕自身がいろいろと考えている時間のなかで、もしかしたらそういう結論を出すと感じ取っていたのかもしれませんが、『お疲れ様』という声をかけてくれました」

──自身の引退に対して、さみしさを感じる部分もありますか?
「子どものころ、鹿嶋市にある実家の窓から、選手を乗せたアントラーズのバスがカシマスタジアムへ向かう様子をよく眺めていました。当時は、まさか自分がそのバスに乗る日が来るとは思ってもいませんでした。それだけに、バスでカシマスタジアムへ向かうときのうれしさや高揚感は今でも心のなかに残っていますし、同時に、もうあのバスには乗れないという現実を考えると、やはりさみしさを感じます」

──23年間におけるベストゲームや印象に残る試合を挙げるとすると?
「本当に数多くありすぎて、『これ!』と挙げるのはなかなか難しいですね。デビュー戦もそうですし、優勝を決めた多くの試合のこともよく覚えています。ただ、それ以外にも自分のミスで負けた試合の記憶もたくさんあります」

──07年はリーグ最終節で逆転優勝を成し遂げました。試合後の曽ケ端さんの涙はとても印象的でした。
「優勝したあとに泣いたのはあのときだけかな……? 大逆転でのタイトル獲得でもありましたし、ホームで優勝を決めることができたので、僕だけでなく多くの選手が泣いていましたね(笑)」

──23年間のなかで特に苦労したのはどのようなことでしたか?
「確かに多くのタイトルを獲ることができましたが、なかには優勝できないシーズンもありましたし、連敗する時期もありました。これが苦労といえるかどうかはわかりませんが、やはり勝てないときにはチームのみんなで苦しみながら戦ってきました」

──曽ケ端さんにとって、長きにわたり現役を続けられた原動力とは?
「やはりサッカーが好きですし、プロサッカー選手でいられることにずっと幸せを感じていました。アントラーズというチームに所属しているからこそ得られるモチベーションや充実感もあったと思います。一度優勝を経験すると、また優勝したいという思いが芽生えるので、そのために日々全力でトレーニングに取り組めたことは、一選手として重要な要素だったような気がします。23年間、練習のときから全身全霊でサッカーと向き合ってきましたし、自分としても自信を持って『やり切れた』と言うことができます」

毎年、必勝祈願の際には絵馬に
「全試合フル出場」と書き続けた

──1995年にアントラーズユースの一員になりました。当時の藤原寿徳GKコーチ(現広島GKコーチ)の存在は、とても大きなものだったようですね。
「僕のサッカー人生において、かなり大きな存在です。ユース時代の3年間は、藤原コーチのおかげで自分自身の成長を日々感じながら練習に取り組めました。もちろん苦しいトレーニングもありましたが、得られたものはとても大きかったですし、あの3年間のすべてが、その後の23年間のプロ生活に生きたと思っています」

──98年にトップチームに昇格。当時は、古川昌明さん、佐藤洋平GKコーチ、高桑大二朗さんとポジションを争うことになりました。
「ユース時代から何度かトップの練習に参加させてもらっていたのですが、そのころからGKとしてのレベルの差を痛感していました。『日々の練習で先輩たちを超えるプレーを見せる』というイメージを持ちつつも、やはり毎日のようにレベルの違いを目の当たりにしていましたね。だから当時は、毎日毎日、『何くそ!』という気持ちで練習を続けていました」

──4年目の01年から出場機会が増えました。定位置を手にしたという自信も芽生えてきたのではないですか?
「99年のデビュー戦同様、当時も先輩やチームメートにすごく助けてもらいながら試合に臨んでいました。だから、なかなか自分がレギュラーだという感覚はありませんでしたね。ただ、つかみかけたチャンスを『絶対に離さないぞ』という気持ちは強く持っていたつもりです。だからケガを抱えながら試合に出たこともありましたし、常に危機感を持ちながら日々を過ごしていました」

──「スタメンで出続ける」という強い気持ちの表れですね。
「その気持ちは常にありました。毎年、必勝祈願の際には絵馬に『全試合フル出場』と書き続けてきましたから。試合に出てこそチームに貢献できると信じていましたし、どんなときでも目の前の試合でピッチに立つために準備をするということの繰り返しでした」

──秋田豊さん(現盛岡監督)、相馬直樹コーチ、名良橋晃さんら偉大な先輩たちと守備陣を形成した時代もあれば、ときの流れとともに自分より年下の選手が最終ラインに名を連ねるようになりました。時代の移り変わりでプレーや心境に変化はありましたか?
「ありましたね。自分自身のプレーも変わりましたし、経験のある選手たちが前に並んでいる状況と、守備陣のなかで自分が一番経験があるという状況では、やはり言動が大きく変わりました。だから、僕のなかには先輩たちにヘルプしてもらいながら優勝したシーズンもあるし、若いDFたちと一緒に助け合いながらタイトルを獲得したシーズンもたくさんあります」

──23年前の加入時と現在のアントラーズを比べたときに、異なる部分や変わらない部分があれば教えてください。
「監督や選手、クラブにかかわるすべての人々、パートナーの皆様、そして多くのファン・サポーターが、常に優勝を目指して戦うという姿勢はまったく変わりません。だからこそ、これだけのタイトル数を積み上げられたのだと思いますし、これからもそこはぶらさずにやっていかなければなりません」

──ユース時代も含め、アントラーズで過ごした26年間で学んだことはどのような部分でしょうか?
「すべては勝利のために。この言葉にアントラーズのすべてが集約されていますし、そのスタンスこそがアントラーズの魅力だと思っています。26年間、この言葉を体現するために全力を尽くすたくさんの先輩やチームメートの背中を見て歩んできました。今後はコーチという立場で、僕自身が培ってきた経験や姿勢を選手たちに見せていければいいなと思っています」

──カシマスタジアムで味わう、ファン・サポーターの皆さんからのエールとプレッシャーも、選手の成長を促してくれます。
「この23年間、カシマスタジアムに足を運んでくれたファン・サポーターの皆さんと一緒に戦えたことは、僕にとって本当に幸せなことでした。スタンドからのエールやプレッシャーが僕を成長させてくれましたし、それがあったからこそアントラーズもここまでこれたのだと思います。これからも温かい目と厳しい目の両方を選手に向けてほしいです」

──アントラーズの歴史と常勝の礎を築いてきた人物として、後輩たちに託す伝統の継承にはどのような期待を持っていますか?
「日本人選手のなかではヤス(遠藤選手)が最年長になりました。引退を決断してからいろいろと話をしましたし、彼やキャプテンの健斗(三竿選手)を中心にチームが一つにまとまり、強さを発揮してくれると信じています。また、ユースから昇格した聖真(土居選手)、マチ(町田選手)、沖、山田というアントラーズのことを熟知した選手たちもいます。だからそのあたりのことは心配せずに見守りつつ、必要なときに手助けしながら一緒にやっていけたらと思っています」

一緒にプレーしたGKたちからは
ものすごく大きな刺激をもらった

──曽ケ端さんが考える、GKに必要な要素やGKに求められる姿勢について聞かせてください。
「僕自身は、常に『負けたくない』『勝ちたい』という気持ちを持ち、そのために自分の力をいかに発揮するかということを考えながらプレーしてきました。失点を減らすことを目指すのはもちろんですが、たとえ先制点を奪われても、『どうすれば2点取って逆転できるか』『そのためにGKとして貢献できることは何か?』ということを考えていました。また一方で、チームとしては〝GKが出てこない試合運び〟ができているときが、一番いい状態だと思っています。攻められていない証拠なので、それだけ失点するリスク、負けるリスクが少ないわけですから。もちろん、GKのビッグセーブやファインセーブが試合の流れを変えることもあります。派手なプレーを成功させることが目的なのではなく、劣勢のときこそGKの一つのプレーで流れを引き寄せ、チームに勢いを与えられるかどうか。やはり、〝チームを勝たせる〟という意識を持ち続けることが、何よりも大事になってくるのではないかと思います」

──流れを変えるワンプレーを成功させるためにも、日々の積み重ねが欠かせません。
「1試合のなかで、GKのプレー時間というのは本当に数分あるかどうか。それは数秒の積み重ねなので、日々のトレーニングで自分とどう向き合い、1秒、2秒のプレーのためにいかに地道な練習をこなしていけるかという点は、GKにとってとても大切な要素です」

──現役時代、GKながら「ゴールを決めたい」と言っていましたね。
「現役を引退した今、改めてそのセリフを聞くとすごく悔しい気分です(笑)。心のなかではずっと狙い続けていました。だからチャンスがあればと思って、たまにセットプレーのシーンで上がったこともありましたが、結局ボールに触れることなく終わりました(笑)」

──それでも、本来はハットトリックを達成した選手に贈られる「イエローハット ハットトリック賞」を14年に受賞しました。
「過去に受賞したのは、ジーコ、ドゥトラ、僕の3人なんですよね。僕の場合は、J1リーグ217試合連続出場記録を記念していただいたものですが、このなかに僕の名前があるのはすごくうれしいです。もっともっと、カシマスタジアムでハットトリックをマークする選手が増えてきてほしいですね」

──GKとして、年を重ねるごとに変化していった部分はありましたか?
「だいぶ丸くなったと思います(笑)。プレー面においては、あまり感情に左右されなくなっていったような気がします。いろいろな経験を積んだことで、常に落ち着いて試合に臨めるようになりましたし、プレー中も感情をうまくコントロールできるようになりました」

──やはり、経験が選手に与える影響は大きいですね。
「フィールドプレーヤーへのコーチングについても、数多くの場面を経験したことによって、さまざまな状況に対応できるようになり、自分が収集できる情報の量を増やすことができました。それが指示やアドバイスといった声になり、チームを機能させることにつながったのではないかと思います」

──アントラーズでともに戦ったGKたちとの思い出を聞かせていただけますか?
「僕は少年団のころから、指導者にもチームメートにも本当に恵まれてきました。アントラーズで98年にトップに上がったときの先輩たちはもちろん、その後も一緒にプレーしたGKたちからはものすごく大きな刺激をもらっていました。僕が言うのもおかしいですが、どの選手もみんな真面目で、どんな状況に置かれてもしっかりとサッカーと向き合い、日々の練習を全力でやり続けていました。アントラーズではシーズンごとに4人でGKのチームを組むことがほとんどなので、僕がレギュラーとして試合に出ていた時期は、ベンチに座っている選手、そしてベンチに入ってない2人の姿も見てきました。昨シーズンは僕自身がベンチ外となることが増えましたが、さまざまな選手の姿を見てきたからこそ伝えなければならないものがあると思っていましたし、今まで見せてもらってきたものを、今度は僕が見せなければいけないという気持ちで日々全力を尽くしてきたつもりです。それがGKはもちろん、フィールドの選手たちに少しでも伝わっていたらいいなと思っています」

──どの時代も、アントラーズGK陣にはいい意味での上下関係や、年齢差を超えたフレンドリーなつながりがあります。4人のチームワークを構築するうえで、曽ケ端さんはどんなことを大切にしてきたのでしょう?
「チームワークの重要性は歴代のGKコーチもおっしゃっていましたし、僕も意識していました。もちろん全員がライバルであり、試合に出るために競争心を持つことはとても大切です。ただ、チームというのはそれだけでは成立しないので、一緒に戦うメンバーという気持ちをお互いが持ち、競い合う部分と支え合う部分のバランスを常に考えながらやってきました。その関係性のなかで、『チームが勝つためにGKとして何ができるか?』ということを頭に入れながら、4人それぞれが次の試合のピッチに立つために練習で100%の力を注ぎ込む。最終的に18人の登録メンバーにどのGKを組み込むかは監督やコーチが判断すべきことなので、僕らは毎日毎日、自分がやるべきことをしっかりとやっていくだけなんです。こうやって口にするのは簡単なんですが、実際に行動に移すのはとても難しいことなんです。それでも、どの時代でもその姿勢の大切さをともに戦った多くのGKたちと共有してきたつもりです」

──ともに戦ったGKという点においては、曽ケ端さんにとってクォン・スンテ選手はどのような存在でしたか?
「僕が38歳になる17年にスンテが加入してから、やはり『もう一度レギュラーを取り返してやる』『負けたくない』という強い思いを改めて持つようになりました。そのおかげで、モチベーションの高まりや、自分自身の成長というものを毎日のように感じていましたし、30代後半で〝最高のライバル〟と巡り合えたことは、僕のキャリアにとってすごく大きなことでした。彼の存在がなければ、ここまで続けることはできなかったと思います」

──21シーズンのGKチームは、スンテ選手、沖選手、早川選手、山田選手で構成されます。
「まず沖に関していえば、レギュラーとして迎える新たなシーズン。きっと彼なりに難しさを感じるのではないかと思うので、そこをどう乗り越えていくかを見守りたいと思います。スンテについては、『レギュラーを取り返す!』という気持ちがプレーに表れ、ここからさらにGKとして成長していけると信じています。山田は1年目から出場機会を与えられ、そのなかでいいプレーもあれば、チームとして勝ち切れない試合もありました。ただ、公式戦のピッチに立てたという自信を力に変えて、この先のチャンスをモノにできるようにいい準備をし続けてほしいと思います。また、新加入の早川はプロという環境で何かと戸惑う場面もあるかと思いますが、練習のときから4人でいい刺激を与え合ってほしいですし、僕もGKアシスタントコーチという立場で、GKチームがいい結果を残せるよう一緒に戦っていけたらと思っています」

一緒に戦うことができた23年間は
僕にとってかけがえのない思い出

──GKアシスタントコーチに就任した今、選手育成に関してはどのようなイメージをお持ちですか?
「〝アシスタント〟という立場ですから、まずはしっかりとGKのトレーニングをサポートすることを意識していくつもりです。その過程で、僕自身も指導者という立場で学ぶべきことがたくさんありますから、選手たちのサポートに回れるところでは手助けしつつ、一緒に成長していけたらと考えています」

──曽ケ端さんのなかで、「将来的にこういうGKを育てたい」というイメージがあれば教えてください。
「やはり〝チームを勝たせることのできるGK〟ですね」

──そのために、選手たちにはどのようなアプローチをしていこうと考えていますか?
「選手それぞれ課題は違いますし、まずは全体的なレベルアップがもっともっと必要だと考えています。ボールをキャッチする技術一つをとっても、〝完璧〟ということはあり得ません。そのなかで、どれだけ上達して〝完璧〟に近づけられるか。これは現役選手が抱える究極の課題です。プレーする選手はもちろん、成長の手助けに回るコーチもそのようなスタンスで臨む必要があると思っています」

──曽ケ端さんはアントラーズ一筋23年というキャリアを駆け抜けました。海外移籍も増加傾向にある昨今、〝ワンクラブマン〟としての誇りや意義なども指導の面で生かそうというイメージはありますか?
「僕らの世代がプロになったばかりのころと比べると、いろいろな規制の変更もあって、海外移籍という選択肢は珍しいものではなくなりました。そういったチャレンジ精神や向上心は、プロ選手としてとても大事なものだと思っています。一方で、僕のなかでは契約しているチームへの愛情、そのチームのために全力を尽くすという意識を持つこともすごく大切だと考えています。そういう部分についても、僕なりの経験談や言葉を通して、選手たちに伝えていければと思っています。そしてこの先、〝ワンクラブマン〟のような選手がアントラーズから数多く出てきてくれることを祈っています」

──最後に、23年間にわたり曽ケ端さんに声援を送り続けてくれたファン・サポーターの皆さんへメッセージをお願いします。
「僕は、カシマスタジアムのピッチに立つために、そしてアントラーズの勝利に貢献し、みんなで優勝という結果をつかむために、日々全力を尽くしてやってきたつもりです。そのなかで、失点につながるようなミスをしたり、チームの勝利を届けることができず、ファン・サポーターの皆さんに残念な思いをさせてしまったこともたくさんあったかと思います。でも、一緒に戦うことができたこの23年間は、僕にとってかけがえのない思い出になりました。もし、皆さんのなかにもそういった気持ちが少しでもあるようでしたら、僕としてはとても幸せです。21年からは立場が変わりますが、引き続き皆さんと一緒に、アントラーズの勝利のために戦っていきたいと思いますので、これからもよろしくお願いいたします。23年間、本当にありがとうございました」

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