鹿島アントラーズ誕生物語
DRAMA Vol.09 地域の固いきずな
2千数百年も前に創建されたといわれる鹿島神宮があるし、鹿島新当流を起こした戦国時代の剣豪、塚原卜伝が生まれ住んだ町である。この剣道の始祖ともいえる卜伝にちなみ、スポーツの源流を求めた「卜伝の郷運動公園」がある。
以前からこの公園にサッカー場を造ろうという計画があった。
雨が少なく、気候も温暖なこの地域は、サッカー合宿のメッカでもある。鹿島町や、隣町の神栖町に毎年日本代表チームや、さまざまな大学、高校のサッカーチームが合宿に来ていた。学生たちの練習相手として、住友金属の蹴球団が胸を貸したこともあった。
以前から、地域としてもサッカーには縁があったのだ。
「鹿島地域・楽しい街づくり懇談会」の参加委員であった各町村の代表は、茨城県としての要請と住友金属の願いをそこで受け取った。行政・住民・企業が支援して鹿島からプロサッカーチームを送り出し、地域を活性化させる。それは、地域全体の願いでもあった。
鹿島町の町長五十里武氏をはじめ、神栖町の町長沼田省二氏や、波崎町の町長村田康博氏、潮来町、大野村といった近隣町村の賛同が次々に得られ、固いきずなで結ばれてゆく。
こうして鹿島地域に強固な支援体制がつくられていったのである。後にチーム法人化の際、この町村から出資団体としての支援も受けることになる。
「一歩も引けない・・、いうなれば背水の陣だった。町としても全力で取り組まなければならない状況だった(五十里氏)」 事態は切迫していた。
町村の職員たちも総動員して、この活動を盛り上げていった。
卜伝の郷運動公園に建設を予定していたサッカー場(3000人収容)の建設も、プロ化へ向けた県立カシマサッカースタジアム(15000人収容)の建設に切り換えた。