鹿島アントラーズ誕生物語
DRAMA Vol.11 はじめの攻防
「設定された高いハードルもクリアできそうである」
「われわれは地域全体の支援も得て、鹿島からプロサッカーチームを送り出す」
ヒアリングのたびに住友金属の幹部が行き、地域の代表者が行き、それこそ誠心誠意、企業の考え、茨城県の考え、鹿島地域の構想などを話した。
ところが、そんな情熱を傾けた説得にも、当時協会内に設けられた「プロリーグ設立準備室」の室長川淵三郎氏(現Jリーグ・チェアマン)の信頼を勝ち取ることはできなかった。
理由のひとつは、チームが弱かったこと。当時2部リーグの中ほどにランクされる実力では、プロリーグでやっていけないだろう、と判断されていたことである。そして、住友金属という堅実で地味な素材産業が、プロスポーツという、ある種「水もの」の事業をほんとうにやっていけるのだろうかという不安もあった。面接をした際の川淵氏の反応をみてスタッフたちは急に不安になってきた。
いったいわれわれはどういう扱いを受けているのか。プロリーグの仲間入りが果たせるのだろうか。とにかく情報を集めようと、考えられる限りの情報ソースを駆使して実状を探ろうとした。
集められた情報を並べてみると、どれも鹿島にとって不利なものばかりだった。
はじめにプロリーグへの参加意思を表明したのは約20チーム。そのなかから初年度は8チームが選ばれ、プロリーグのスタートが切られる。つまり、その8チームに入らなければ、初年度からはプロリーグになれないということになる。
「7チームが立候補を取り下げたから、残りは13チームだ」
「鹿島のサッカーチームは13番目に位置しているらしい」
「鹿島はプロリーグには入れない」
毎日のように、さまざまな情報が飛び交う。それでも、あきらめる者はひとりもいなかった。どうにかしなければいけない、何としてでも初年度、プロサッカーリーグの一員としてスタートしなければならない。だれもが、そう考えていた。
ここまでくると、地域の自治体や各企業との協力関係ができ始めており、この段階にプロリーグに入らなかったら地域全体の気運が薄らいでしまう。
また、ここでプロになれず、選手がプロチームに引き抜かれでもしたら、数年後にプロ化しようとしても弱体化しているのではないか。そうなってからでは、今のような地域全体の結束を得ることは難しい。何より、地域の活性化という目標が遠ざかってしまう。
初年度にプロとしてスタートすること、これが絶対なのだ。
「初年度のチーム枠が8チームから10チームに拡大された」
新たな情報が飛び込んできた。希望がふくらむ。何か手を打たなければだめだ。