本山雅志 フォトギャラリー 1998-2007(8/25 更新)


アントラーズと本山雅志の歩みをクラブ公式写真で振り返る。
記録と記憶に残る「10番」。

1998年、東福岡高校からアントラーズへ加入。同期には、全国高校サッカー選手権大会での“雪の決勝”で対峙した帝京高校の中田浩二をはじめ、小笠原満男、曽ケ端準、山口武士、中村祥朗と次代のアントラーズを担う選手たちがそろった。

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中田、小笠原とのスリーショットも初々しい。

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多くの大先輩たちに囲まれ、切磋琢磨する毎日。高校時代、史上初の高校三冠を達成するなど、疑う余地のない才能を備えた本山だったが、アントラーズというクラブでプロフットボーラーとしてさらなる成長を遂げる。

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2000年、2001年のリーグ連覇にも貢献した本山。2年連続でJリーグチャンピオンシップMVPに輝いた同期の小笠原を称える姿は、今も記憶に残る。

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輝かしい歴史を刻んできたレジェンドたちがチームを去るなか、世代交代という苦闘を続けた本山らだったが、2005年には世界のトップクラブであるマンチェスター・ユナイテッドに本山の2ゴールで2-1と勝利するなど、アントラーズらしい強さは発揮し続けた。

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いつも、ともに戦う仲間がいたからこそ、険しく厳しい道のりも歩んで来れたのだろう。

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2007年、Jリーグの歴史に残る奇跡の大逆転優勝を果たし、史上初となるクラブ10冠を手にする。最終節、聖地カシマで本山は“モトらしさ”満載のミドルシュートを清水ゴールに叩き込んだ。

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試合後、チームメート、そしてカシマに詰めかけた12番目の仲間とともに、ライバル浦和の結果をビッグスクリーンで見守る。

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浦和の敗戦を受け、ついにつかんだクラブ10冠。アントラーズファミリーの歓喜に、本山の笑顔は良く似合う。

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年が明けた2008年元日には、天皇杯も続けて制覇。アントラーズの10番は、いつも頼りになる存在だった。

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2008-2015に続く