本山雅志 フォトギャラリー 2008-2015(9/27 更新)

アントラーズと本山雅志の歩みをクラブ公式写真で振り返る。
記録と記憶に残る「10番」。

2008年のシーズンも、本山は大きな輝きを放った。シーズン開幕を告げるFUJI XEROX SUPER CUPでも、ゴールを決める。このタイトルはPK戦の末に逃したものの、リーグ2連覇を達成。シーズン中に先天性水腎症という重い病の診断が下されながらも、本山はその素振りを見せることなく戦い続け、ピッチ上ではチームをけん引し、ピッチ外では”潤滑油”的な役割を果たした。

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シーズンオフに先天性水腎症の手術を受け、続く2009年には愛してやまないチームメートとともに前人未踏のリーグ3連覇を成し遂げた。自らの苦難には一切愚痴をこぼさず、チームのために戦い続ける本山。アントラーズの歓喜の瞬間には、本山の笑顔が良く似合う。

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2010年は開幕前に椎間板ヘルニアの手術を行い、5月の名古屋戦で復帰。するといきなり芸術的なゴールを決め、2011年元日には天皇杯制覇に大きく貢献した。

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ルーキーイヤーにともにプレーしたジョルジーニョが監督に就任した2012年、トニーニョ セレーゾが復帰して指揮を執った2013年も、ピッチで輝きを放ち続けた。オズワルド オリヴェイラをして「クリスタル」と言わしめた才能は、百戦錬磨のどの指揮官にも、そして何よりアントラーズサポーターのみなに愛されていた。

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2014年末には、同期の中田が引退を決断。小笠原、曽ケ端とともに″79年組”が収まった4人のショットは、今も印象的な1枚だ。

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そして2015年、監督交代という試練を乗り越えてヤマザキナビスコカップ制覇を成し遂げたシーズンを終え、本山は新たなキャリアへと踏み出す。ギラヴァンツ北九州への移籍を決断し、アントラーズのユニフォームを脱いだ。

「いつの日か恩返しができるよう、アントラーズで得たものすべてを次の挑戦につなげたいと思います。18年間、素晴らしい経験をありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします」

退団リリースで残した言葉と約束は今、アカデミースカウト就任という形で現実のものとなった。ともに歩んできた18年間、そしてこれからも。本山雅志とアントラーズの物語は続いていく。

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