INTERVIEW
高円宮杯優勝への軌跡
鹿島アントラーズジュニアユース 篠原義貴監督

2023シーズン、鹿島ジュニアユースは日本クラブユース選手権で3位になり、冬の高円宮杯では見事優勝を果たした。ブラジル遠征も再開されるなど、数々の経験を積んだ1年となった。高円宮杯優勝への軌跡をたどるとともに、多感な時期を過ごす中学年代の選手たちを鍛え上げ、日本一の栄光を勝ち取った篠原義貴監督の指導論に迫る。
“自分自身の意思を伝えてトライする”というプロセス
―3月2日に行われたトップチームの今季ホーム開幕戦(明治安田J1第2節セレッソ大阪戦)の試合前に、高円宮杯 JFA 第35回全日本U-15サッカー選手権大会の優勝報告会が実施されました。篠原監督は、どのような思いで見ていましたか?
「振り返れば、昨年にトップのホーム最終戦(明治安田生命J1第34節横浜FC戦)の試合前に、高円宮杯の壮行会を開催していただきました。そのとき、キャプテンの平島大悟選手は“優勝してきます”と宣言しました。いわば、彼らの意思を周りの人たちに伝えて、その成果を持ち帰って、また同じ場所で報告できたのです。選手たちがとても頼もしく見えました」
―まさに、“有言実行”の優勝でした。
「まず自分の意思を示すことが重要だと考えています。周りに伝えて、その時点で正解かどうかわからないことを、自分の力で正解にしていく。結果や成果を得るためには、そのプロセスが大事だと思っています。もちろん、結果を得るために迷うこともあるし、不安になることもあるでしょう。そのなかで、“自分自身の意思を周りに伝えてトライする”というプロセスがあることで、実際に結果を出すことができると考えています。もし、そんな彼らのプロセスに興味を持ち、この選手たちを応援したいと思ってくださるファン・サポーターの方々が多くいれば、僕自身にとっても最高のことです。優勝報告会で選手たちがファン・サポーターのいるスタンドへ向かい、アントラーズコールが響いたときは、本当にうれしくなりました。2023年度の中学3年のメンバーはそれぞれ次のステージへと進みましたが、今後も“自分自身の意思を周りに伝えてトライする”というプロセスのもと、自分たちなりのアレンジを加えれば、必ずまた何かを達成できるでしょう。何年後かに彼らが、それをトップチームで実現することができれば、さらに最高です」
―平島キャプテンを中心とする3年生が引っ張った2023シーズンのチームは、どのようなグループでしたか?
「新チームが立ち上がった当初から、すごくまとまりのあるチームでした。選手たちは一生懸命で伸びしろを感じていました。ただ、テクニックをはじめ、フットボールで必要なものが少し足りない印象もあった。そこで最初に考えたのが、1年間でどのように彼らの能力を伸ばしていくかということでした。昨年のこの時期に、関東リーグ開幕戦で6失点。力不足を感じながらも、伸びていく可能性は十二分にある。時間をかけて選手に向き合っていけば、チームとしても成長していくだろうと思ったところからのスタートでした」
―伸びしろがあると感じた要因は?
「テクニックとはまた別の“個人戦術”を選手たちに伝えていけば、絶対に伸びると思ったんです。3年生でいえば、1、2年生の頃から積み上げたテクニックの能力は、とても素晴らしいものでした。ただ、いくらテクニックが優れていても、例えばボールを失うリスクの高い場所でドリブルをしたら奪われることもあるでしょう。フットボールの試合中に選択するプレーのメリットとデメリットの認識が、彼らには少し足りない印象があった。そこをきちっと整理して伝えることで、さらに向上心を駆り立てることができれば、選手たちの能力をもっと伸ばせる自信がありました」

2023年度のキャプテンを務めた平島大悟選手。自らの意思を周囲に伝えて実現させた
身に付けた技術力をいつ、どこで発揮するのか
―“個人戦術”というのも重要なのですね。
「アントラーズというクラブとして、選手個人を成長させて、将来トップチームのレギュラーとして活躍する選手を育てていこうという大きな目標があります。それを踏まえて、僕らはとにかく個人技術を伸ばしていくために、コーチたちと分担しながらみんなで指導しています。ただ、トレーニングで技術力が上がっても、選手たちはいつどこで発揮するのか。それを判断する力を身に付ける必要があります。例えば、インサイドもアウトサイドもヒールキックも使えて、ドリブルでボールを扱うテクニックが優れていたとしても、1回のボールタッチで相手を交わせば、それだけで次の局面はフリーでプレーできます。相手と戦ううえでどんなプレーが有効か、ということも考えてプレーしてほしい。それぞれの場面で、どんなプレーを選択することがメリットなのか、ということを理解していることが大切だと考えています」
―なるほど。
「例えば、前線で積極的にボールを奪いにいっても、そこに相手選手の人数が多くて自分たちが不利な状況であれば、相手に有利なスペースを空けてしまって簡単にやられてしまうケースが出てきます。そういったことを一つひとつ丁寧に、選手個人に落とし込んでいくものが“個人戦術”だと、僕自身は思っています」
―個人戦術を身に付けさせるために、どのようなことを意識して指導したのでしょうか?
「そもそも僕自身、アントラーズでプレーするうえで“ハードワーク”と“インテリジェンス”の両輪が大切であると解釈しています。3年生はもとからハードワークできる選手たちだったので、そこに個人戦術のようなインテリジェンスを併せ持つことができれば、フットボールにより夢中になれるんじゃないかと考えたんです。その気持ちを促すようなポジティブな伝え方を意識しました。おそらく、それで選手たちにもスッと受け入れられたのではないかと思います。もしかすると、監督として押し付けるような伝え方をしていたら、選手たちを嫌な気持ちにさせてしまったり、僕自身の伝え方一つで“なんだよ”って思われることもあったかもしれません。でも、“こうすれば、より勝ちに近づくよね”“ワクワクするよね”などと、ポジティブな声掛けができ、選手たちに納得してもらえたことがすごく良かった。選手たちに“勝つために必要なこと”だと思わせるような伝え方やアプローチの仕方を大切にしました」
―篠原監督自身には、選手個々へのアプローチを重視している印象があります。
「確かに、選手個々へのアプローチが多いかもしれません。選手たちはそれぞれの背景が異なるし、成長速度が上がるタイミングも違います。その選手が伸びていくために、なるべく多くのコミュニケーションを取ることを心掛けています。個人戦術のアプローチにおいても、例えば強く言った方がいいと思う選手や、理解させるために少し時間をかけた方がいいと思う選手がいます。個々によってアプローチの仕方を変えて、みんなが“そうだな、頑張ろう!”という感じになればいいと思っています」

篠原監督はポジティブな雰囲気を重要視し、選手たちの成長を促していった
監督はあくまで選手たちに協力する立場
―その指導が結果に結びついてきたのは、いつ頃からでしたか?
「時期でいうと、6月ぐらいでしょうか。クラブユース選手権の関東大会があり、準々決勝で川崎フロンターレU-15生田を3-2で倒しましたが、そのときぐらいから形になりそうな手応えを感じていました。選手たちは、伝えられたことを吸収して身に付けるための努力を積み重ねていましたから。そういった姿を見て、“これならば大丈夫だ”と思いながら、8月の全国大会(日本クラブユースサッカー選手権大会)に向かっていきました。大会前の広島遠征では、伝えたことがとても浸透していて、すごくまとまった戦いができました。彼らは自発的に成長していったと感じています」
―第38回日本クラブユースサッカー選手権(U-15)大会でも3位という好成績を収めます。
「選手たちが頑張って全国大会の上位まで行けたのは素晴らしいことです。ただ、僕自身は準決勝でFC多摩と対戦したときに、ややベンチワークの難しさを感じていました。全国大会の準決勝になればスタンドからの応援もあるし、試合会場が大きくなってベンチからピッチまでの距離もある。そのため、僕自身の声がピッチに届きづらいと感じることがすごくありました。準々決勝までは、ピッチのすぐそばにベンチがあって声が通るし、他のスタッフとの距離も近いので、密にコミュニケーションを取れるような状況だった。戦うステージが上がると、試合会場が陸上トラック付きの競技場になって、僕が前に出て選手に指示を出せば、逆に他のスタッフとのコミュニケーションが取りづらくなる。でも、その傍らでFC多摩の選手たちは、自主的にプレーを選択したり、コミュニケーションを取っていたんです。敗戦後、このレベルの舞台になれば、自分の声が届きにくくなることを痛感するとともに、監督が指示を出しているうちは勝てないかもしれないと考えるようになりました」

北海道で開催された日本クラブユース選手権準決勝で、コーチングの難しさを痛感した
―それから次の大会に向けて、どのように指導法を変えたのでしょう?
「まずは選手たちにプレーの選択を委ね、彼らが示す意思に対して、その都度“どうだった?”“どのように考えてこうしたの?”と問答するようにしました。たとえ選択の結果が良くなかったとしても、“次はこうでもいいかもね”“結果は伴わなかったけれど判断は良かったよね”と。夏以降は自分自身のコーチングをそういった方向性に変えていきました」
―それによる選手たちの変化は感じましたか?
「そこから選手たちは“試合は自分たちで作り上げるものだ”という意識が強くなっていったように感じます。一方で監督は、あくまで選手たちに協力する立場だということ。そのなかで、もちろん勝つこともあれば負けることもありますが、“やるべきことをみんなでやって、試合時間の80分間が終わったときにやってきたことを正解にしよう”という意識をチームで共有しました。その姿勢で試合を行うことが重要で、結果として負けたら、まだ実力が足りないと思って練習する。それで、また自分たちでやること、やるべきことを決める。決めたら、それに対して迷いなくブレずにみんなで取り組む。そういったサイクルになったことも、選手たちの変わっていったところだと思います」
―その先に高円宮杯優勝があったのですね。
「もちろん、そのプロセスにはブラジル遠征もあって、ブラジル人選手の技術や個人戦術の素晴らしさにカルチャーショックを受けて、より成長を促されたところもあったと思います。ただ、取り組むべきことは明確になったので、その時点で選手たち自身が自主的に取り組むような土壌がチームにできていました。僕が何かを言わなくても、選手たちはグラウンドに来れば自主練習をしているし、その自主練習の内容もしっかりと試合が意識されたものになっている。例えば、コーンを置いてドリブル練習をするのではなく、相手がいることを意識された練習を、その日、その日で選手たちが考えて、実行している。僕自身はその光景を見て、“これからもっと良くなっていく”と感じていました。そのなかで、監督として自分にできることを探して、何か伝えた方がいいことがあれば伝えるというアプローチをずっとしてきた形です。そういったプロセスを経て、高円宮杯決勝までたどり着くことができました」
―高円宮杯優勝という結果のさらに先にもつながる変化だったように思います。
「そうですね。僕のような監督という立場の人間がいないと何もできない選手たちだったら、そもそも個人として大きく成長できていないということなのかもしれません。あのとき、僕自身が考え方を変えたことで選手たちも変わったし、その先で彼らの能力が伸びていきました。ただ、もともと彼らには何かに向かって取り組む力が備わっていたので、僕自身も選手たちが自主的にやればいいのではないかと思って、そのアプローチ方法を選択したところもあります。それからは、選手たちが自分たちで決めたことに対して“どうだった?”と問いかける作業を積み重ねつつ、一人のサポーターとして応援していた感じもあったのかもしれません(笑)」

選手へのアプローチ方法を変え、集大成となる高円宮杯で頂点に立った