ACADEMY FREAKS Vol.2

情熱と愛情を注いで

アカデミー・スクールスタッフ紹介

第2回 つくばエリアスクールコーチ

茨城県と千葉県の計21カ所で開校しているアントラーズサッカースクール。
日々、スクール生の子どもたちにフットボールのすばらしさを伝えるコーチたちは、どのようなフットボール人生を歩み、どのような思いを胸にフットボールと向き合っているのか。
第2回は茨城県南地域のつくば市を中心にスクールを展開するつくばエリアの9名を紹介する。

 

「コーチ、僕に足りないところは何だと思いますか?」

トレーニングが終わった後、コーチたちのもとにスクール生が尋ねてきた。真剣なまなざしの先にいるコーチは、身振り手振りを交え、言葉を選びながら熱心にスクール生に語り掛ける。

献身・誠実・尊重――。アントラーズの本拠地である鹿嶋からはやや離れたつくばエリアでも、アントラーズのエンブレムを胸に刻み、一人ひとりのスクール生と真摯に向き合うコーチたちにはジーコスピリットが宿っている。

つくばエリアに来て12年目を迎える樽井一馬サブチーフコーチは「物心がついたときには、アントラーズが身近にありました」と幼少期を懐かしむ。鹿嶋市出身で、実家はカシマスタジアムやクラブハウスのすぐ近く。高校時代まで、日常からアントラーズを感じられる環境でフットボールに打ち込んだ。

大学進学を機に一度は地元を離れて指導者になったが、「アントラーズで働きたい」という強い思いを抱いて帰郷。鹿島エリアスクールでアシスタントを経験してつくばエリアのコーチとなった。つくばアカデミーセンターが完成した翌年につくば市へと移り住み、二児の父となって息子とともにこの地で成長を続けている。

「アントラーズの服を着ている子たちが増えたのを目の当たりにすることで、この地域におけるアントラーズの存在が大きくなっていることを感じます。スクール生だけでなく保護者も含めて、みんながアントラーズファミリーであることを感じてもらえるようにしていきたいと思っています」

樽井サブチーフコーチはアントラーズの矜持を胸にダイヤの原石たちを磨いている。

幼少期からアントラーズを日常に感じてきた樽井一馬サブチーフコーチ

 

アントラーズへの思いは、岡田康平コーチも負けていない。元々はシーズンチケットホルダーであり、トップチームのアウェイゲームにも応援に行くほどの熱烈なサポーターだった。「アントラーズの試合を観に行くことが最優先だったので、土日の活動が多くなる高校と大学ではフットボールをしなかったんです」と言うほどの筋金入り。国内だけでなく、ときにはAFCチャンピオンズリーグの試合でアジアを回ることもあった。

つくば市出身で、中学時代にアントラーズスクールがつくば市での活動を始めると、「アントラーズがつくばに来てくれてうれしい。アントラーズのコーチにフットボールを教わりたい」とすぐさまスクール生になった。つくばアカデミーセンターができてからはコーチとして戻り、日々、後輩たちの指導に励んでいる。

「生まれ育ったこのつくばに、アントラーズという日本で一番多くのタイトルを獲っているチームがある。それを地元の子どもたちにも伝えていきたい」。岡田コーチの熱意と、その誇りは揺るがない。

生まれ故郷でもあるつくば市でアントラーズの普及にも尽力する岡田康平コーチ

 

そんな樽井サブチーフコーチと岡田コーチよりも、つくばエリアでの指導歴が長いのが小暮雄一チーフコーチだ。

つくばアカデミーセンターの完成前からこの地で子どもたちにフットボールを伝えている、つくばエリアコーチ陣の最古参。「つくばスクールを開校させた当初は地域に定着させることが難しく、グラウンドもなくてテニス場を借りて活動していました」と当時の苦労話にも触れるが、「2011年につくばアカデミーセンターが完成し、それからスクール生が増え、プロ選手になるOBも輩出してきました。そして、コーチングスタッフも最初は4名でしたが、今ではスクールコーチだけで9名と、ここまで大人数になるとは思っていなかったので感慨深い」と12年間の発展に目を細める。

栃木県出身で、同郷でアントラーズOBの黒崎久志さんは「小学生の頃からずっと知っていた選手」。アントラーズアカデミーに加わってから接することもあり、「テレビで見ていた人たちと一緒に仕事ができ、多くのことを学びました」と言葉に充実感をにじませる。

「子どもたちの個性を大切にすることを心がけて指導し、日々、子どもたちの成長する姿を見ることにやりがいを感じます」と、長年かけて培った経験を踏まえてスクール生と向き合っている。

つくばアカデミーセンターの完成前からつくば市で子どもたちと向き合ってきた小暮雄一チーフコーチ

 

小暮チーフコーチらがすでに指導にあたっていた頃、原英寿コーチは生徒としてアントラーズつくばの門を叩いた。完成したてのつくばアカデミーセンターを拠点に活動した、いわゆる新たな施設の1期生だ。

「つくばアカデミーセンターが完成した年は、3月に東日本大震災が発生した大変な時期で、当初はなかなか活動を始めることができませんでした。クラブハウスの内部を使うことができず、グラウンドの脇で着替えたりもしていました。6月くらいからクラブハウスも使うことができるようになり、この施設のすばらしさを改めて感じました」

千葉県からつくばエクスプレスを利用して通い、アントラーズつくばJYで3年間を過ごした後は福島県の尚志高校へ進学。のちに染野唯月選手(現東京V)ら後輩たちもたどることになるルートの先陣を切った。社会人になり、アントラーズつくばJYのチームメートから誘われ、コーチとして古巣に帰還。「日々、子どもたちの成長の手助けをできれば」と、慣れ親しんだつくばのグラウンドの上で子どもたちの成長を見守っている。

自身もつくばアカデミーセンターで中学時代を過ごした原英寿コーチ


長くつくばアカデミーセンターとともに歩んできたコーチがいる一方で、新たにこの地にやってきたコーチたちもいる。君嶋莉緒コーチは今年、ノルテエリアから移ってきた。

幼少の頃、「弟がフットボールを楽しんでいる姿を見て、自分もやってみたらハマっちゃった(笑)」と虜になり、小学生から大学生まで女子チームでプレーした。フットボールを始めた当初は男子に混ざってプレーしていたが、「ゴールを決めたらうれしいし、試合に負けたら悔しいから次は勝てるように頑張ろうと。その思いがあったからずっと続けてこられたんです」とフットボールに明け暮れた日々を回想する。

ときには「やはり女子だから、2人組になるときに一人ぼっちになって悲しい気持ちになったこともある」という。そんな経験も糧にして歩んできたからこそ、指導者となった今では「スクール生の女の子が同じような状況になりそうになったら、真っ先に気に掛けたりする」と、男子に負けじと頑張る“なでしこプレーヤー”に寄り添う。

「女子も、男子も、スクール生の子どもたちが元気にフットボールに向き合う姿を見られることがこの仕事のやりがい」と話す君嶋コーチは、常に笑顔を絶やすことなく、フットボールの喜びをスクール生に伝えている。

中学時代は陸上の短距離走で茨城県1位になった実績も持つ君嶋莉緒コーチ

 

君嶋コーチとともに、江波戸洸太コーチも今年からつくばエリアに加わった。

出身地の山形県を離れ、新潟県のJAPANサッカーカレッジでチームマネージャー業の勉強をして、アントラーズにたどり着いた。中学時代にテレビでクラブW杯決勝を見て憧れを抱き、ヨーロッパ王者と接戦を演じたチームのエンブレムを、今では自ら身に着けてフットボールに囲まれた日常を送っている。「つくばだけでなく、鹿島、ノルテも含め、他のコーチングスタッフの指導力や、フットボールの経験や知識がすごいことを、指導実践などで実感しています。自分はまだまだフットボールを知らない。日本で最もタイトルを獲得しているクラブのコーチ陣から学べることは多い」と刺激に満ちた毎日だ。

今年3月にJAPANサッカーカレッジを卒業し、社会人1年目として指導者人生のスタートを切ったばかり。先輩コーチたちに追いつき、追い越すために、「子どもたちに指導する際、例え話も交えながら、よりわかりやすく伝えることを意識している」と自らの工夫も施している。

「アントラーズというクラブで、子どもたちと関われていることへの喜びが湧いてくる瞬間にやりがいを感じます」という21歳の江波戸コーチは、今日も元気に少年・少女とかけがえのない時間を共有している。

小学6年生から始めたフットボールへの探求心が尽きない江波戸洸太コーチ

 

前田亮太コーチもグラウンドで人一倍に元気よく、明るい笑顔を振りまく存在だ。滋賀県出身で大学時代まで関西で過ごした。つくばエリアのグラウンドに陽気な関西弁を響かせ、「関西で生まれ育ったからか、性格的には元々明るいタイプなので、選手と同じ目線で接することができる」と、スクール生とも分け隔てなくフットボールの喜びを分かち合っている。

大阪の大学を卒業してから、筑波大の大学院に進学したことがきっかけで、つくばへとやってきた。大学時代までは「ずっとFWしかやってこなかった。味方選手に対して“俺にパスを出せ”っていうタイプでした(苦笑)」と自ら語るほどの生粋のストライカー。学生時代、チームのエースであり続けた点取り屋は、「今は僕が主役ではありません。当たり前のことですが、選手のために、自分のできることをやるだけ」という黒子としての信念を胸に、フットボールにひたむきな子どもたちを輝かせている。

「とにかく選手にはうまくなってほしいし、人としても成長してほしい。情熱と愛情を注いで、選手にできるだけ寄り添って、彼らを手助けできるような指導者になりたい」と話す前田コーチは、この地で指導者としての第2のフットボール人生を突っ走っている。

大学時代には教育学を専攻し、教員免許も持つ前田亮太コーチ

 

フットボールに向き合う喜びを表現することは、松本栄登コーチも常に心掛けていることだ。「自分自身もフットボールに喜びを感じます。そして、みんなと一緒にプレーするからうまくなれる」ということをモットーに、子どもたちにフットボールの魅力を伝えている。

埼玉県で生まれ育った松本コーチがアントラーズへの憧れを抱いたのは中学生のときだ。同年代のアカデミーチームと練習試合を行った際、その深紅のユニフォームと伝統のエンブレムに目を輝かせた。「もしもアントラーズのアカデミーに通えるなら、チームに入りたい」という本心を胸にしまい込み、地元でひたすらにボールを追いかける毎日。それでも、「Jリーグを見ていると、どうしてもアントラーズの強さが印象深くなる。埼玉に住んでいて、ずっと“アントラーズはどういうクラブなんだろう”と気になっていました」。アントラーズへの興味は増すばかりだった。

社会人になり、知人を介してつくばエリアのコーチになると、「スクール生も勝ちたい思いを抱きながらプレーしていることが伝わってくるし、コーチングスタッフの指導からも細部へのこだわりを感じます」とアントラーズならではのすごみを体感する。あのとき憧れたエンブレムを身に着け、「常にJリーグのトップを走っているクラブのエンブレムを胸に刻みながら仕事をしている自覚と責任感、そして指導への熱意を持って、これからも子どもたちと接していきたい」と、加入して6年目となる今年も変わらぬ情熱をスクール生に傾けている。

江南南SSや武南高校といった埼玉県の名門チームで育成年代を過ごした松本栄登コーチ

 

昨年、つくばエリアスクールに加わった杉山哲コーチは、アントラーズのトップチームでプレーした元Jリーガーでもある。アントラーズを離れて北海道コンサドーレ札幌に移籍したときから、「できればまたアントラーズに戻りたい」という強い思いを抱き続け、2021年に現役を引退するとつくばエリアのスクールコーチに抜てきされた。

「アントラーズはプロキャリアをスタートさせたクラブ。選手として在籍した8年間で、このクラブの偉大さや、アントラーズファミリーの一体感を実感してきました。自分を育ててくれたクラブに恩返ししたいんです」

熱意を胸に、再びアントラーズのエンブレムを胸に刻んでセカンドキャリアを歩んでいる。

現役を退いても、「下は幼児から上は中学生までの子どもたちと接することで、また違った多くの経験を得ています。スクールにはいろいろなレベルの選手たちがいるなかで、どのようにフットボールの喜びを感じてもらえるような指導ができるか。そこにスクールコーチとしての価値ややりがいを感じています」と、充実した毎日を送る。「自分は大学時代まで、ずっと土のグラウンドでプレーしてきたので、毎日のようにグラウンド整備をしていました。今の子どもたちには、そんな経験なんてないでしょう」と笑みを浮かべながら、つくばアカデミーセンターの緑のフィールドを臨む。

自身のキャリアを振り返りながら、「子どもたちには“今がすべてじゃないんだよ”って。みんなのフットボール人生は、まだ始まったばかり。努力し続ければ、将来の可能性は無限大に広がっていく」と、その経験を未来のJリーガーたちに還元している。

現役時代はリーグ3連覇など数々のタイトル獲得も経験した杉山哲コーチ

日々、街の発展が著しい茨城県南地域の住宅街の一角にそびえる緑のフィールドには、いつも子どもたちの元気な声が響いている。誇り高きエンブレムを胸に刻む多士済々たる9名のコーチングスタッフのもとで、今日も多くの子どもたちがフットボールの喜びをかみしめながら、ひたむきにボールを追いかけている。