より高い壁を追い求めて
FACE 植田 直通
アントラーズ戦士たちの軌跡
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植田 直通
公式戦デビューはプロ1年目だった13年3月23日、ナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)のFC東京戦と早かった。だが、本人も「足りないところだらけでした」と振り返るように、リーグ戦では出場機会を得ることなく終わった。
「とにかく必死で、みんなが休んでいるときに、自分は練習をして、どれだけ近づくことができるかと思いながら過ごしていました」
当時の指揮官が、若手の育成に長けたトニーニョ・セレーゾ監督だったことも、成長の助けになった。
「当時は全体練習も長かったですが、若手選手はそれにプラスして、居残り練習も行っていたので、そこでも鍛えてもらえました。トニーニョ・セレーゾ監督は、若手である自分たちに対して、一から指導を行ってくれたので、当時の選手たちはみんな感謝していると思います。間違いなく、僕もその一人です」
目の前に立ちはだかる壁を乗り越えようと、必死に食らいついていく毎日では、その壁である先輩からの言葉が心に響いた。
現在、チームを率いている岩政大樹監督だった。植田がプロ1年目の13年、キャリアの晩年に差しかかっていた岩政は、先発を外れる機会が増えていた。そのため、チームの紅白戦で植田は、たびたび岩政とCBでコンビを組み、プレーしていた。
「大樹さんには、こんなに細かく指摘されるのかというくらい怒られました。紅白戦の間も、そのあとも。きっと本人は覚えていないと思うんですけど、言われたことのなかでも、特に大事にしている言葉があるんです」
当時、紅白戦は決まって試合2日前に行われていた。その直前に、こう言われた。
「いいか、試合に出ていないメンバーにとっては、これが試合だぞ。これが俺らにとっての試合だからな」
その言葉どおり、一緒にピッチに立つと、誰よりも本気で、そして全力でプレーしている先輩の姿があった。
「自分はその大樹さんに勝たなければ、ベンチ入りすることもできない。そう思ったら、自分はまだまだ足りないし、もっとやらなければいけないと感じました。そこからですね。紅白戦も含めて、練習への気持ち、姿勢、すべてが変わったのは……。だから、今思うのは、その言葉をプロ1年目に聞くことができてよかったということです。もし、そのことに気づくのが、もっと遅かったら、自分はどうなっていたか。練習で全力を出すことによって、試合にも絡めるようになっていったので、本当に感謝しています」
欧州で戦ってきたからこそ
自覚するアントラーズへの思い
プロ2年目の14年、青木剛が出場停止になり、アウェイで行われた4月26日のJ1リーグ第9節、広島戦で先発出場した。
「ここで自分が結果を残せば、スタメンを勝ち取れるという思いもあり、自分の目の前にいる相手には、絶対にやらせないという気持ちで臨んだことは今でも覚えています」
0─3のクリーンシートで勝利したあと、「ホッとした」ことも覚えていた。同時に一つ自信をつかんだことも。
「そのあとも、年間通じて試合に出続けたシーズンが少ないように、常に先発出場をかけて競争していたように思います。ポジションを奪っては、奪い返されての繰り返し。もちろん苦しかったですけど、先発を外されるたびに自分自身を見つめ直す機会になりました。ずっと、そうでしたけど、自分の前に高い壁があったほうが、自分はより成長できる。当時はCBの全員がその壁で、そうした環境があったから、僕はここまで成長することができました」
だから──と言って植田は言葉を続ける。
「悔しい思いをしている選手の気持ちもわかるし、その選手たちの思いや悔しさを背負って自分はピッチに立っている。だからこそ、チームのために戦わなければいけない」
18年の夏に欧州へと飛び出したのも、さらに高い壁を欲したからだった。ベルギー、そしてフランスで過ごした4年半では、「チームで戦う以上に、それぞれが個人昇格を狙っている自己主張や個性の強さを感じました」と話す。組織以上に個が際立つ世界に身を置き、戦ってきたことで、自分の心にある〝思い〟を実感した。
「アントラーズに戻ってきて感じるのは、こんなにも自分はチームのためにという思いが強いのかということでした。それだけアントラーズは自分のなかで大きな存在だったのかと、帰ってきた今、改めて感じています。だから今は、自分の感情を押し殺してでも、チームのためにプレーしたい。それくらい、このチームのためだったら、何でもできると思うし、アントラーズに身を捧げるくらいの思いでプレーしています」
そして植田は言う。
「これほど愛せるクラブってないと思う。自分にとって、自分のためではなく、チームのために戦いたいと思えるクラブは、アントラーズしかない。だからこそ、僕はタイトルを獲って、チームに携わるすべての人たちと喜びたい。それがすべてです」
愛するチームのために、今度は植田自身が高い壁になる。そうやって伝統は受け継がれていく。
自分の前に高い壁があったほうが、自分はより成長できる。
そうした環境があったから、僕はここまで成長することができた。