FREAKS

より高い壁を追い求めて

FACE 植田 直通

アントラーズ戦士たちの軌跡

FACE

植田 直通

2023/5/26

アントラーズ戦士たちの軌跡をたどる連載企画。第5回は欧州での挑戦を終えて4年半ぶりにアントラーズに復帰した植田直通をクローズアップする。
ディフェンスリーダーとして存在感を放つ彼はどのようなキャリアを歩み、今日まで培ってきた経験をチームに伝えようとしているのか。
いくつもの高い壁を乗り越えることで頼れる存在になった背番号55の足跡を振り返る。

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欧州での挑戦を終え、4年半ぶりに深紅のユニフォームに袖を通した植田直通は、力強く言った。

「タイトルを獲るために帰ってきました」

高校を卒業し、アントラーズに加入したのは今から10年前の2013年だった。そこから欧州に旅立つ18年の夏までの6年間、壁を乗り越えようと戦ってきた。

「自分の壁として立ちはだかってくれる人がいるほうが、自分が成長できることはわかっていました。人生を振り返れば、ずっとその繰り返しだったように思います」

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人見知りだった植田直通が
より高い壁を求めた15歳の決断

熊本県宇土市に生まれた植田が、フットボールに出会ったのは小学3年だった。友人に誘われ、地元のサッカースクールに参加したことがきっかけだった。その1年前からテコンドーを習い始めていたが、個人競技とは異なる団体競技の魅力に引き込まれた。

「最初に参加したスクールは、隣の小学校のチームだったのですが、そこでサッカーの楽しさを知り、小学4年になるタイミングで、自分が通っていた緑川小学校のチームに入りました。そこではサッカーだけでなく、夏にはソフトボールもやっていましたが、友だちと一緒にやれること、一緒に戦えることが、僕にとっては楽しかったし、好きでした」

テコンドーは世界大会に出場するほどの腕前だったが、親には「好きじゃないから練習に行きたくない」と、常にこぼしていた。その理由は、実に子どもらしい。

「テコンドーの練習は日曜日の午後3時からだったんです。小学生にとっては、友だちと最も遊びたい時間帯ですよね。友だちの家で遊んでいても、親から電話がかかってきて、『練習の時間だから帰ってきなさい』って言われるのがすごく嫌だったんです」

中学校でサッカー部に入った理由の一つも、土日に練習や試合があるためだった。

「サッカー部は忙しいと聞いていたし、テコンドーとの両立は難しくなるので、サッカー1本に絞れる。試合に勝った記憶はほとんどないですけど、本格的にサッカーを楽しみ、学び始めた時期だったと思います」

小学生のときから体が大きく、「今と同じようにパワーで勝負していた」という植田は、攻撃的なポジションでプレーしていた。中学は強豪校ではなかったが、その存在は際立ち、県のトレセンに選ばれるようになった。

「県のトレセンでは、初めて上には上がいるという外の世界を知り、そこから高みを目指すようになりました」

本人が「ご存じのように」と、前置きするように、植田は極度の人見知り。

「だからトレセンに行くのも嫌々でした。友だちもいないし、周りはうまい選手ばかり。アントラーズに一緒に加入した豊川(雄太/現・京都)は当時から主力で、そういった選手と一緒にプレーするのも苦痛でしたし、部活で楽しくプレーしているほうがいいなって、ずっと思っていました」

周りのうまさに愕然とし、選抜チームの遠征では一度もメンバー入りできない悔しさを味わった。人見知りも重なり、自分よりうまいその選手たちとは一緒にプレーしたくないとも思っていた。それでも彼らの多くが進学しようとしていた県立大津高校に、自らも進んだのは、高い壁を求めていたからだった。

「レベルの高い環境に身を置けば、おのずと自分のレベルも上がるはずだと思っていました。それにトレセンで一緒だった選手たちが、『大津高校に行って優勝したい』と言っているのを聞いたんです。その言葉に引かれて、嫌だったけど、『これは(大津に)行くしかないな』、と決心したことを覚えています。自分にとっての分岐点だったと思いますし、今でも自分の決断は間違っていなかったと、胸を張って言えます」

大津高校サッカー部の総監督である平岡和徳氏は、選手自らが中学3年で進路を決めることを「15歳の決断」と呼び、重要視している。植田もまた、恩師の考えにあるように、しっかりと15歳で決断していた。

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