FREAKS

より高い壁を追い求めて

FACE 植田 直通

アントラーズ戦士たちの軌跡

FACE

植田 直通

2023/5/26

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小さいことの積み重ねが
結果に表れる

大津高校には求めていた高い壁と、人間として成長させてもらえる土壌があった。

「入学前に、初めて練習参加したときは、トップチームの選手と練習させてもらえなかったのですが、それでもみんなうまくて、これ以上にうまい選手たちがいるのかとビックリしました。人数の多さにも驚きましたが、このなかで競争を勝ち抜いていかなければならないのかと思ったとき、不安よりもワクワク感のほうが勝っていたんですよね。ここで自分は学び、はい上がっていきたいって」

当時は先輩との上下関係も厳しく、あいさつから練習の準備に至るまで、プレーだけでなく、人間性も徹底的にたたき直された。

「サッカー部の全員が、登下校中にゴミ拾いをしていたし、選手同士だけでなく、町の人にもきちんとあいさつしていたのは、大津高校ならではだと思っています。そうした小さいことの積み重ねが結果に表れると、ずっと言われていました。実際にそのとおりだと思っていますし、すべては自分に返ってくる。町の人、先生、先輩へのあいさつも含め、当たり前のことを当たり前にやることが、何よりも大切だということに、そのとき気づかされました。それは今も大事にしています」

選手としての分岐点も大津高校時代にあった。入学してすぐに頭角を現した植田は、1年生ながら、インターハイ予選にFWとしてメンバー入りする。しかし、チームは県予選の準決勝で敗退。翌日、平岡先生に呼ばれると、ポジションのコンバートを告げられた。

「今日からCBでプレーしてほしい」

高校サッカー選手権に向けて、新たにチームが始動するなかで、自分自身もFWとしてどうあるべきかを悩んでいた矢先の出来事だった。中学時代もDFとしてプレーした経験はあり、「平岡先生に言われたら、やるしかない」と、一大決心した。

「すごく戸惑いましたけど、先輩に食らいついていくしかなかった。インターハイの出場を逃していただけに、みんなの選手権にかける思いも強く、もう必死でした。ただ、それまで4バックのCBなんて、一度もやったことがなかったので、自分のところからやられないようにするので精いっぱい。それ以上も、それ以下もない。それだけしか当時の自分はできなかったんです」

CBでコンビを組んでいたのは、3年生のキャプテンだった。その先輩には「本当に迷惑をかけた」と語る一方で、「自分の成長なくして、チームを勝たせることはできないと思っていた」と振り返る。

平岡先生からは「まずはヘディングを鍛えろ」と言われ、朝から晩までグラウンドにつされているボール目がけて跳び、ひたすらヘディングの技術を磨いた。

「もし、DFとして自分の原点があるとすれば、その練習にあると思っています」

今も見せる空中戦の強さは、このとき身につけたものだ。

植田の成長もあり、その冬、大津高校は選手権に出場する。1回戦は、国立競技場での開幕戦だったが、1─2で競り負け、早々に大会を去ることになった。

「初めての選手権で、会場が国立。しかも僕自身も失点にかかわってしまったので、今でも記憶に残っています。先輩たちを、選手権という最後の大会で勝たせてあげることができなかったと……」

ちなみにリベンジの機会は、自身が3年のときに訪れた。ただ、このときも1回戦で敗退し、植田は選手権で勝利することなく高校生活を終えた。

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紅白戦でコンビを組む岩政大樹から
言われた今も大切にする金言

プロを意識し始めたのは高校生になってからだ。年代別の日本代表に選ばれたことが大きかった。

「県のトレセンに選ばれたときと同様、日本代表に選ばれて行ってみたら、あまりにレベルが高くて愕然としました。こんなにうまい同世代の選手たちがまだいたのか、と。しかも、Jリーグのユースでプレーしている選手たちは、プロの選手が身近にいる環境で練習し、何ならその練習に参加している。全員がプロになることを目指していたので、そういう選手たちと一緒にプレーすることで、自分も自然と、プロを目指すようになりました」

同時に、DFというポジションにも強いこだわりを持つようになった。

「高校生でDFになり、守備の楽しさや難しさ、奥深さを知り、このポジションで勝負していきたいと思い始めたときに、代表に呼ばれるようになりました。代表では、行くたびにDFはこういうプレーをしなければいけないのかと思わされるような発見がありました。だから高校時代は、本当に多くのことを吸収した時期だったと思います」

多くのクラブからオファーが届いたなかで、アントラーズを選んだのは、乗り越えなければならない壁が最も高く感じたからだった。

「いろいろなチームの練習に参加させてもらい、どのチームにも魅力は感じましたが、そのなかでもアントラーズの練習の雰囲気から、熱量と競争心を感じ取ったことが大きかったですね。そのなかで決め手になったのは、CBの層が最も厚いと感じたことでした。最も試合に出るのが難しいチームに入り、その人たちを乗り越えて自分が試合に出たいと考えて、アントラーズに決めました」

選手層が厚く、出場機会を得るのが難しそうなのであれば、選手層が薄く、出場機会を得られる可能性が高いチームに加入し、経験を積みたいと考える選手もいるだろう。しかし、植田は困難だとわかっていながら、あえていばらの道を選択した。

「そのほうが自分は燃えるんですよね」

フットボールを始めてから、ずっとそうだったように、高い壁を求めて、熊本を飛び出し、鹿嶋の地を踏んだ。

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