ACADEMY FREAKS Vol.3

“日本一”への挑戦

LIFE STYLE ~トップを目指して~

第3回 鹿島アントラーズユース 1年生

トップチームの主役となるために、日々、切磋琢磨するアカデミーの選手たち。
そんな彼らは、どのようなフットボールライフを送っているのか。
そして、日々の生活において意識していることとは――。
第3回は鹿島アントラーズユース1年生のLIFE STYLE に迫る。

家族の思いを背負って

アカデミーハウスに入寮した1年生にとって、朝の起床は試練の一つだった。「今はもう慣れたけれど、土日の朝は親に起こしてもらったりしていたから、寮では苦労した」と近藤大祐が話せば、「朝、起きるのが苦手。中学のときはいつも親に起こしてもらっていたから」と髙木輝人も言葉をそろえる。他にも衣類の洗濯に、部屋の整理整頓、さらに試合前後に補食が必要ならばコンビニなどで自ら調達することが日課となり、佐藤湧斗は「何でも親に任せていたから大変。親のありがたみを感じる」としみじみと語る。

ほとんどの選手が寮生活1年目。だが、正木裕翔は例外だ。ノルテジュニアユースで活動していた中学2年生のとき、飛び級でユースの選考会に参加し、中学3年時にアカデミーハウスに入寮。「同学年のなかで結果を残しても納得いかない」と話すどん欲なストライカーは、選考会の限られた時間のなかで“ゴール”という結果を残し、「ずっと憧れてきたFW。動き出しもうまいし、シュートもうまいし、技術もあるし、スピードもあるし、やっぱり天才」と憧れる指揮官の目に留まって、同級生よりも一足早くユースのスタートラインに立った。

ただし、それまでは決して順風満帆だったわけではない。福島県いわき市で生まれ育ち、ノルテジュニアユースのキャプテンを務めていた兄を追うように深紅のシャツに袖を通したが、最初の鹿島ジュニアユースとの交流戦で「0-8だか0-9だか、何失点したかわからないくらいボコボコにされた」と格の違いを見せつけられた。それだけに、「東北でやっていたので、関東に来てレベルが高いと思ったし、こいつらに勝たなくては上にはいけない」という危機感をハングリー精神に変え、早々にユースまでたどり着いた。

福島県出身の正木は入寮2年目。今は多くの同級生とともにアカデミーハウスでの日々を過ごす

反骨心は、例のごとくフットボーラーの原動力になることが多いだろう。正木と同様に、柳沢監督からFWとしての成長を促されている髙木も「鹿島ジュニアでは試合に出られなかったし、鹿島ジュニアユースでも当初は出られず、すごく悔しかった。だから、試合に出るために人一倍に努力した」と努力を重ねてユースにたどり着いた。

髙木は小学6年生のとき、鹿島ジュニアのセレクションに合格したことで家族とともに千葉県南房総市から移り住んだ。現在、鹿島ジュニアユースで活躍する2歳下の弟・瑛人とともにフットボールに打ち込む環境に身を置くことができたのも、両親の支えがあってこそ。「お父さんはこちらで新たな仕事に就き、お母さんは前職を辞めてまで僕らをサポートしてくれている。たぶん他の人よりも両親に迷惑をかけているぶん、フットボールで恩返ししたい」と、親元を離れてからは両親への感謝の思いが募るばかりだ。

千葉県から家族とともに鹿嶋へとやってきた髙木。弟とともにアントラーズを引っ張る存在になることを志す

近藤は2人の兄に導かれるように、自然とフットボール中心の人生を歩んできた。7歳年上の長兄は「優しくて、いろいろなことを教えてくれる」コーチのような存在、4歳年上の次兄は「自分に厳しくて、手加減をしない。年の差は気にせず、自分は負けたくなかった」というように、近藤にとってのライバルだ。時には1対1の勝負に熱が帯びて、「手を骨折させられたこともある」というエピソードに頬をゆるめる。

ひたちなか市の海沿いに位置する那珂湊地区で育った3兄弟のなかで、末っ子の近藤が「アントラーズに行きたい」と志し、両親のサポートを受けた。実家から1時間ほどかけて、鹿島ジュニアユースのトレーニングに通う日々。「いつも送り迎えをしてくれたお父さんとお母さんには、感謝の思いが尽きない。ユースに上がったときに報告したら喜んでくれた」とほほ笑みつつも、「結果が出るまで努力を続けたい」とさらなる飛躍を見据える。

大分県出身の中川天蒼と三重県出身の長疾風も、家族や地元の思いを背負って鹿嶋へとやってきた。当初、地元のJクラブアカデミーへの加入も考えていた中川は、トップチームのOBでもある増田忠俊氏からの「アントラーズも受けてみたら」という言葉に心を動かされた。

家族の元を離れてアカデミーハウスでの生活を送る中川。部屋ではお気に入りのクッションでリラックスする

鹿島ジュニアユースのセレクションに合格し、中学1年生のときに母親と2人で鹿嶋へ。「こちらに引っ越してきたことで親に負担をかけた。ユース、トップチームに上がって、親に楽をさせてあげたい」と、目の色を変えて中学3年間を過ごした。「人一倍に自主練もやってきた自負がある」というほどの努力が実を結び、アカデミーハウスへの入寮が叶って母親は帰郷。欠かさずに試合映像をチェックする父親からは試合後にアドバイスをもらい、遠く離れた地からも支えられている。

今春から鹿嶋での生活を始めた長は、中学時代に鹿島ジュニアユースとの試合で活躍してアントラーズのスタッフに声をかけられ、鹿島ユースの一員になった。見知らぬ土地に来てからまだ1年も経っていないが、「鹿嶋には6、7時間かけて車で来る」という両親と普段から頻繁に連絡を取り合うことが心の支えとなっている。

10月に茨城県選抜の一員として参加した国民体育大会では優勝に貢献し、三重県の地元紙から取材を受けた。「いろいろな人が見てくれているのだと改めて感じた。お世話になった三重の人たちに恩返しをしたい」と、故郷の期待も背負ってフットボールに向き合う毎日だ。

一方で、生まれ育った栃木県宇都宮市を離れて鹿島ユースに加入した上野瑛汰は、長と同じく中学卒業時に気持ちを新たにして越境してきたものの、前途多難な歩みとなった。選考会に合格した後に2度の前十字靭帯断裂を負い、復帰は2024年2月の見込み。鹿島ユースでの1年目を大ケガにより棒に振ることになったが、2021年に他界した祖父、故・上野佳昭氏に「とにかくプレーしている姿を見せたい。おじいちゃんは天国から見ていてくれると思うので、まずはケガを完治させられるように頑張りたい」と日々の調整に励む。

祖父の上野氏は、かつて中央大学や古河電工といった日本サッカー界の第一線で活躍した。「尊敬している」という祖父・上野氏の歩んできた道のりのように、孫の上野もまた、「自分も高いレベルでプレーしたい。全国の強豪チームや、海外遠征ですばらしいチームとたくさん対戦したい」と未来を見据えて努力する。

中学時代まで栃木SCのアカデミーでプレーした上野(左端)は菊田、長、岩永(右から)とテックボールを楽しむ

“友人”というかけがえのない存在

「宇都宮に比べたら都会ではないけれど、でも、サッカーに打ち込める環境がある。街全体からアントラーズの存在をすごく感じる」(上野)
「サッカーがうまくなりたいのならば、ここは最適な街。クラブハウスも近いし、サッカーに集中できる環境」(中川)

全国各地からアントラーズへとたどり着いたタレントたちは、口々にその環境のすばらしさに言及する。大都会東京から移り住んだ菊田修斗も、「クラブハウスのグラウンドは天然芝。最近は人工芝のアカデミーフィールドができて、常にいい環境でプレーできる。それがアントラーズに行きたいと思った理由」と明かす。

中学時代に所属していたクラブチームでは、主に土のグラウンドで活動していた。ゴールを守るために横っ飛びやスライディングなどで体勢を崩すことの多いGKにとって、土の上でのプレーにケガは付き物だが、「今は何も考えないで、思い切りプレーできる」と自身のスキルアップに全力を注いでいる。

慣れない土地でフットボールに打ち込む菊田には、常に意識し合っている親友がいる。「バレーボールを頑張っている、地元の友だち」とは、お互いの親が親しいことから知り合った。「保育園が一緒で、よく泊まりにも行った。一緒にいる時間が長い」という幼少期。今はそれぞれの道を歩むも、「お互いにチームの試合結果を見たり、親伝えで近況を聞いて、直接連絡を取って励まし合っている」と心の距離が遠ざかることはない。10月には「国体優勝おめでとう」とメッセージをもらった。「お互いにプロになりたいし、そのときもずっと親友でいたい」と、それぞれのフィールドでプロ選手になることを目指す。

千葉県成田市出身の三浦直人にも、切磋琢磨し合う仲間がいる。現在FC東京U-18に在籍する幼なじみの中屋光廉は、「3歳のときに出会って、勝てないと思った。それまでは自分が一番だと思っていたけれど、一緒にプレーするようになってからは、自分は二番」と常に背中を追う存在だ。チームメートだった頃は「一緒にプレーしていてめちゃくちゃやりやすい。動き方がわかるから、ゲームのなかで話す必要がない。その感覚が芽生えるのは光廉だけ」と阿吽の呼吸でフットボールに明け暮れた。今はJクラブユースに所属するライバル同士。「いつか光廉に追いつけるように、と毎日頑張っている」というように、三浦の心のなかには常に中屋の存在がある。

トレーニングルームで卓球を楽しむ三浦(右)と朝比奈(左)

太平洋を望む港町、大洗町で生まれ育った佐藤をアントラーズへといざなったのも友人の存在だ。「小学校の友だちがアントラーズ好きで、影響された。試合を一緒に見に行ったりして、アントラーズが好きになっていった」と、アントラーズのフットボールの虜になった。

小学生まで所属していた地元の街クラブ、FCヴェレン大洗では、元Jリーガーの楠瀬章仁氏からドリブルやボールコントロールの極意を学んだ。時には1対1を果敢に挑むも、「一度も勝ったことがないくらい、いつもボコボコにされていた。あの人からボールを奪ったり、ドリブルで抜いたりできる気がしない。プロ選手のレベルを肌で感じた」と歯が立たず。ただ、その高い壁は佐藤の負けん気に火をつけ、今では「ボールコントロールは、他の人にはない自分の武器」と胸を張る。

練習や学校、買い物への移動手段は自転車。ヘルメット着用も忘れない(右から佐藤、近藤、菊田)

岩永佳樹は小学生のとき、アントラーズのスクールに通いながら、地元神栖市の息栖サッカースポーツ少年団でも仲間とともに高みを目指した。常に「自分のことは自分でやれ」と教える厳しいコーチに成長を促された傍ら、同じ学校にも通うチームメートとは「よく一緒に遊んだり、楽しい日々を過ごした」と友情を育んだ。高校生になった今も「ご飯を一緒に食べにいくこともある。自分の近くにいた大切な人たち」と気心の知れた仲間との時間は特別だ。

過去を振り返り、息栖サッカースポーツ少年団で茨城県大会に出場し、鹿行地域の最大のライバルである鹿島ジュニアへの挑戦権を懸けた一戦のことを思い出す。「勝てばアントラーズと戦える。でも、PKを2つ取られて、逆転負けして叶わなかった。そのうちの1つは、相手のシュートを防ごうとした自分のハンド。1点をリードしていても、試合が終わるまで勝負はわからないことを痛感した」と勝負の厳しさを知った。その経験は、仲間との楽しい思い出とともに、今もフットボールに打ち込む岩永を支えている。

アカデミーハウスにもクリスマスツリーが飾られた(写真左は長、右は岩永)

“自分を律せる選手に”

苦い記憶は、必ずや将来への糧となるだろう。悔しさや悲しさ、自分自身の無力さ、不甲斐なさを感じれば感じるほど、それが原動力となり、勝利を渇望することはフットボーラーとしての性なのかもしれない。

「ユースで活動するあと2年で、必ず日本一を取る」と力強く話すのは、小学4年生からアントラーズアカデミーに在籍する殿岡諒大だ。ジーコクラブアドバイザーの哲学が宿るこのクラブで「自分を律せる選手になりなさい、と。コーチ陣にピッチ外での人間性のことも教えてくれた」と心身ともに成長してきた。それゆえに、「今まで指導してくれたコーチ全員に感謝している」と話す。

ただ、その道のりにあったのは、試合での悔しさばかりだ。「ずっと目標にしている“日本一”をまだ達成できていない。昨年、鹿島ジュニアユースでの集大成となるはずだった高円宮杯では、自分がPKを外して負けて、この代の活動を終わらせてしまった」と、苦しい記憶がよみがえる。指導スタッフ陣への恩を結果で返すためにも、無冠のままではいられない。

アカデミーハウスにあるハンモックが大好きな殿岡(右)と黒澤(左)

朝比奈叶和も「フットボールは勝利を目指すもの。常に勝たないといけない」と勝利の重要性を強調する。黒澤奨永や大川佑梧とともに、小学生になる前からアントラーズアカデミーでボールを追いかけた。父親の影響でフットボールに夢中になり、地元の潮来市からアントラーズのスクールに通った幼少期。「フットボールが好きなので、いつもフットボールのことを考えて練習を積み重ねてきた」とひた向きに打ち込んだ。

現在は持ち前のスピードを生かしたサイドバックとして活躍する朝比奈の少年時代に、守備の“いろは”を教えたのは当時の橋本直樹コーチだった。「受け身にはなるな、自分からボールを奪いにいけ!」という橋本コーチの教えは、今でも体に染みついている。朝比奈の口から放たれる「人一倍に努力しないとトップチームには上がれない。チームのなかでも常に1番を狙って練習から頑張りたい」という言葉にも“メイド・イン・カシマ”のプライドが宿る。

室内でのトレーニング中も笑顔を絶やさない朝比奈

朝比奈と5歳のときから一緒にプレーする大川もまた橋本コーチの指導を受けて成長を促された。「チームがまとまっていないときには厳しく叱ってくれたりもした。今になって、愛のある叱責だったことがわかる」と、年齢と経験を重ねるにつれて橋本コーチの言葉が脳裏によみがえってくる。

幼き日までは「アントラーズの服を着てしかフットボールをしていない」というほどのアントラーズ一筋の少年だった。それから成長を重ね、ディープレッド一色だったフットボール着のなかに、選ばれた者しか着ることの許されない誇り高きブルーのユニフォームも加わった。各年代の日本代表に名を連ね、2023年に開催されたFIFA U-17ワールドカップにも帯同。本大会のメンバー入りはならなかったが、チームを率いた森山佳郎監督から「強くなって代表に帰ってこい」との激励の言葉を受けた。

大川にとって、高校1年生ゆえの幼さも残る柔和な表情や、やや細めの体格はもういらない。「強く見せなければいけない。他の人に、見ただけで“強そう”って思ってもらえるように。それがアントラーズのセンターバック」と、アントラーズと日の丸を背負う戦士になるために決意を新たにした。

センターバックとして強く見られるために筋力強化に励む大川

GKのポジションを務める黒澤は、自身の175センチという身長に物足りなさを感じている。それだけに、「背を伸ばしたいのでご飯をいっぱい食べる」とトップレベルの水準に向けて日々の生活のなかから努力を続ける。

とはいえ、決して高くない身長を嘆いてばかりはいられない。「あまり背が大きくない選手なりにやれることがある」と、中学時代からシュートストップやステップワーク、ビルドアップのための足元の技術を磨いてきた。支えとなったのは、鹿島ジュニアユースの佐藤昭大GKコーチ。「相手に詰めるタイミング、ボールを奪いにいくとき、行かないときの判断をアキさん(佐藤GKコーチ)にずっと教えてもらい、中学2年生くらいからだいぶ伸びてきたと感じている」と確かな成長を実感している。

不断の努力によって身に着けた自信は、黒澤にGKとしての武器を与えた。「得意なのは、相手との1対1の駆け引きとPK。GKが不利な状況で相手のシュートを止めることができたらうれしいし、そのときに相手が悔しがっている顔を見るのが気持ちいい」というほど、高校1年生離れした精神面のたくましさが身に着いた。

文武両道を目指してアカデミーハウスでの生活を送る黒澤は勉学にも全力で取り組む

「来年こそは絶対にスタメンを勝ち取り、点を決めて、プレミアリーグで優勝したい」(正木)
「アントラーズは残留を目指して戦っていくチームではない。プレミアリーグで優勝するという目標をみんなで持って、しっかり戦っていく」(大川)

次なる舞台は、高円宮杯プレミアリーグ。2000年の3冠、2007年からの3連覇、2018年のアジア制覇――いつの時代もタイトルとともに鹿島アントラーズたる由縁を示してきたトップチームの魂を継ぐ若き戦士たちが、その伝統を築き上げてきた先人たちとともに2024年、栄光をつかむための新たな戦いに挑む。