誇り高き両雄の対決〜アントラーズレッドとサックスブルー〜

 アントラーズレッドと、サックスブルー。1996年から2002年まで、実に7シーズンに渡って日本のフットボールを彩り、その頂で輝きを放ち続けた2つの色――。ダービーと冠される試合、因縁と形容される顔合わせが増えつつある昨今だが、しかしなお、これ以上に強烈なインパクトを放つマッチアップは出現していない。群雄割拠、大混戦状態が日常と化している現在とのコントラストが、“2強”と呼ばれ続けた日々の記憶をより鮮やかに描き出す。アントラーズと、ジュビロ。「この対戦はクラシコだ」。かつて、両雄の対峙をこう称したのは、世界を知り尽くした情熱家・トニーニョ セレーゾだった。Clasico、伝統の一戦――。激闘の歴史、その第1章は23年前にさかのぼる。

 1994年。JFLから昇格してきた磐田と、リーグ開幕戦で激突した。サントリーシリーズ第1節、1-0。カシマスタジアムに乗り込んできた“新参者”を、アントラーズは長谷川祥之のヘディングシュートで退けた。彼らにとってアントラーズは、Jの舞台で初めて対峙した記念すべき相手である。とはいえこの時はまだ、ライバルと呼べる間柄ではなかった。

 1997年。今もなお語り継がれる、タイトルマッチ4連戦が行われた。ホーム&アウェイ方式のナビスコ杯決勝、そしてチャンピオンシップ。アントラーズはナビスコ杯初制覇を成し遂げたものの、リーグ連覇は逃してしまった。超満員のカシマスタジアムで、磐田が初めてシャーレを掲げる。この瞬間、アントラーズにとっての磐田の存在が“宿敵”へと変わった。

 1998年。屈辱の逸冠から1年後、アントラーズは再びチャンピオンシップで磐田と激突した。敵地で先勝し、迎えたカシマスタジアムでの第2戦。王座奪回だけを目指して走り続けた1年の集大成で、魂のヘディングシュートが炸裂する。39分、秋田豊。背番号3が強烈な一撃を突き刺すと、ビスマルクが芸術的な直接FKを沈めた。2-1。増築工事を控えていた聖地が、祝祭空間と化した。

 物語は続く。3年ぶりにチャンピオンシップで対峙した、2001年。ここまでの5シーズン、両者は交互にリーグ制覇を成し遂げてきている。順番で言えば、この年のシャーレは磐田のものとなるはずだった。それでもアントラーズは敵地・エコパでの第1戦で2点ビハインドを跳ね返し、ドローに持ち込む。反撃の狼煙を上げたのは、この時も秋田のヘディングシュートだった。そして、1週間後の第2戦。Jリーグ史上屈指のハイレベルマッチは、中盤の支配者によって終わりを告げることとなる。小笠原満男、直接FKでのVゴール。サックスブルーの壁を越えた鮮やかなシュートがゴールネットを揺らした瞬間、カシマスタジアムは沸騰した。

 その後、“2強”がタイトルを奪い合う歴史に終止符が打たれても、記憶に刻まれる名場面の数々が生まれていった。2003年7月5日、サンプドリア移籍前最後の一戦に臨んだ柳沢敦が、鮮やかなボレーシュートを突き刺す。大岩剛は古巣を相手にオーバーヘッドを決め、アントラーズは5-2とゴールショーを演じた。そして2004年6月19日、劇的勝利をもたらした岩政大樹のヘディングシュート。のちに背番号3を継承することとなるDFリーダーのプロ初ゴールは、サックスブルーが相手だった。さらに2008年11月29日、第33節。増田誓志のFKに飛び込んだ岩政のヘディングシュートが、アントラーズをリーグ2連覇へ力強く前進させた。オリヴェイラ監督の絶叫は、今も記憶に新しい。

 そして――。前回の対戦、2016年9月17日。昌子源が渾身のヘディングシュートを決めた。同期加入の柴崎岳が願いを託したCKに飛び込み、ゴールネットを揺らす。それは単なる先制ゴールではなかった。秋田豊、岩政大樹と紡がれてきた背番号3の物語に、次なる章が記された瞬間でもあったのだ。

 
 さあ、今年もクラシコが幕を開ける。時を超えた物語は、アントラーズに受け継がれる背番号3だけではない。「誰が出ても鹿島は鹿島」。かつて天敵として変幻自在の左足を操っていた司令塔は今、指揮官としてサックスブルーを率いている。幾多もの激闘は、これからも――。リーグ戦では通算47度目となる伝統の一戦を前に、その歴史を今一度噛み締めたい。
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