準々決勝第2戦、カシマ。5戦無敗。
天皇杯は、今年で95回目の開催を迎えた。アントラーズは住友金属工業蹴球団からの改称後、24回目の出場となる。Jクラブ最多の4回(前身組織での成績含まず)の優勝を誇り、準優勝が2回、ベスト4も5回と、実績を残してきた。
しかし一方で、屈辱の歴史も残っている。2回の初戦敗退だ。1994年は、当時JFLの東京ガス(現・FC東京)と1回戦で対戦し、0-2。そして昨年、JFLのソニー仙台にPK戦の末、敗れた。まだ記憶に新しい、そして避けては語れない痛恨の一戦だ。
2014年、FIFAワールドカップ ブラジル大会の開催に伴い、選手たちは6月1日のヤマザキナビスコカップを最後に、1か月以上のインターバルを過ごすこととなった。そして迎えた、7月12日。天皇杯の初戦でソニー仙台を迎え撃った。アントラーズはベストに近い布陣で臨み、必勝を期す。しかし、まさかの展開が待っていた。23分に直接FKを決められて先制を許すと、その5分後にもサイドから崩されて2失点目。ソニー仙台に2点を先行され、カシマスタジアムは動揺に見舞われた。
0-2となり、ようやく目を覚ましたアントラーズは、すぐさま反撃。33分にダヴィ、36分にカイオがゴールネットを揺らし、前半のうちに同点としてハーフタイムを迎えた。先手を取られたものの、すぐに追いつく展開となっただけに、後半はアントラーズが力の差を見せつけるはず――。誰もが、そう信じていたはずだ。
迎えた後半、アントラーズは幾度となく決定機を作った。しかし、どうしてもゴールを割ることができない。途中投入された中村と赤崎、野沢が奮闘したが、2-2のまま延長戦へ。なおも攻め続けるアントラーズだったが、120分間で放った32本のシュートから、3点目を生み出すことはできなかった。
決着はPK戦へ持ち越された。先攻のアントラーズは小笠原がゴールネットを揺らし、ソニー仙台の1人目は失敗した。2人目の野沢は外したが、ソニー仙台は2人連続で失敗。アントラーズが1-0とリードし、3人目を迎えた。
ここから、信じられない光景を目にすることとなった。柴崎と中村、山本の3人とも、キックを失敗。野沢を含め、4人連続でPKを外した。最終スコアは1-2。アントラーズが、ソニー仙台に屈した。呆然とする選手たち、怒号が飛び交うスタジアム。20年ぶりに天皇杯初戦敗退が決まり、ただただ屈辱と向き合うしかなかった。
しかし一方で、屈辱の歴史も残っている。2回の初戦敗退だ。1994年は、当時JFLの東京ガス(現・FC東京)と1回戦で対戦し、0-2。そして昨年、JFLのソニー仙台にPK戦の末、敗れた。まだ記憶に新しい、そして避けては語れない痛恨の一戦だ。




迎えた後半、アントラーズは幾度となく決定機を作った。しかし、どうしてもゴールを割ることができない。途中投入された中村と赤崎、野沢が奮闘したが、2-2のまま延長戦へ。なおも攻め続けるアントラーズだったが、120分間で放った32本のシュートから、3点目を生み出すことはできなかった。


ここから、信じられない光景を目にすることとなった。柴崎と中村、山本の3人とも、キックを失敗。野沢を含め、4人連続でPKを外した。最終スコアは1-2。アントラーズが、ソニー仙台に屈した。呆然とする選手たち、怒号が飛び交うスタジアム。20年ぶりに天皇杯初戦敗退が決まり、ただただ屈辱と向き合うしかなかった。


あれから1年。同じ轍を踏むわけにはいかない。あえて持ち出した苦い記憶を、今夜しっかりと勝利を収めることで、払拭しなければならない。
スタッフダイアリー
過去の記憶や勝利への意欲、様々な思いを持って日々練習に励む選手の様子は、毎日更新の「スタッフダイアリー」をご覧ください!友達に教える