2006年J1第4節。内田篤人、プロ初ゴール。

 輝きを放ち始めた眩いばかりの才能が、カシマスタジアムに衝撃をもたらした。内田篤人、当時17歳。開幕戦から先発出場を続けるスーパールーキーが、アントラーズ史に残るゴールを記録した。
 2006年3月21日、J1第4節。パウロ アウトゥオリ新監督の下、開幕3試合を1勝1分1敗と、五分の成績で終えていたアントラーズが、甲府との初顔合わせとなるホームゲームに臨んだ。メンバーリストには、高校卒業から間もない、内田の名もあった。開幕4試合連続の先発入り。そしてキックオフから26分後、細身の背番号20がスタジアムを歓喜で包んだ。
 右サイド、ペナルティーエリア横のスペースへ放たれたボールに、一心不乱にアプローチする内田。対面する相手をスライディングでなぎ倒し、ボールを奪うと、冷静かつ繊細なタッチで、2人目を股抜きでかわす。ペナルティーエリアに入った内田は、迷うことなく左足を振り抜いた。立ちはだかるGKの股下を抜いたシュートが、ゴールネットを揺らした。殊勲のルーキーに、真っ先に駆け寄ったのは柳沢。そしてすぐに、歓喜の輪が広がっていった。17歳11ヶ月22日。今もなお破られない、アントラーズ歴代最年少での初ゴールだ。
 内田の活躍は、このゴールにとどまらない。エンドを変えた56分には、正確なクロスをニアサイドに送り込み、アレックス ミネイロのヘディングゴールをアシスト。3-1での快勝に大きく貢献した。試合後、内田は初々しい口調で、「一生懸命走って、相手を抜いたので、思いっきり打ちました」と、振り返り、「アツト!」コールが鳴り響くゴール裏へと駆け出していった。
  翌2007年からリーグ3連覇を果たした内田は、2010年夏にブンデスリーガ・シャルケ04へと活躍の場を移した。昨年にはブラジル・ワールドカップにも出場し、日本サッカー界の歴史に残る存在となった。もはや説明不要の、輝かしいキャリアを進んでいる。

 世界の舞台で活躍する姿は、アントラーズファミリー全員の誇り。その出発点ともいえるゴールの記憶は、これからも色あせることはない。

スタッフダイアリー

過去の記憶や勝利への意欲、様々な思いを持って日々練習に励む選手の様子は、毎日更新の「スタッフダイアリー」をご覧ください!
友達に教える