何気ない出来事が、少年たちを少しずつ成長させてきた。
一本のセーブが人生を変えた選手。
ライバルに負け続けた選手。
ケガで心が折れかけた選手。
親への感謝を力に変えた選手。
鹿島アントラーズユース1年生13人。
未来のトップチーム、そして世界を目指す彼らは、どんな経験を積み重ね、何を大切にしてきたのか。
その答えは、一人ひとりの”原点”の中にある。(第3回/全3回)

上農 崇斗選手
「ここへ行くなら、このレベルじゃダメだ」
厳しさが育てた左足
【DF上農崇斗の原点】
強い心は、厳しさの中で育まれた。
鹿島アントラーズユースへの加入が決まった中学3年。ソレッソ熊本の指導者から掛けられた言葉が、今も忘れられない。
「『鹿島へ行くなら、このレベルじゃダメだ』って、今まで以上に厳しく言われました。パスミス一つでも『何やってるんだ』って。でも、そのおかげで心は強くなったと思います」
5歳でサッカーを始めた。父・上農大介はニューウェーブ北九州(現ギラヴァンツ北九州)でもプレー。さらに、父の高校・大学時代の同級生は元鹿島アントラーズGKで現ユースGKコーチの杉山哲だった。
幼い頃からアントラーズは身近な存在だった。
「小さい頃からアントラーズが好きでした。本山さんから練習参加の話をいただいたときは、本当にうれしかったです」
ロアッソ熊本ジュニアからソレッソ熊本へ進んだ理由も、「もっと成長したい」という思いだった。
「サッカーだけじゃなく、私生活も厳しく指導してもらいました。礼儀や規律もそうですし、人として成長できたと思っています」
武器は左足のキック。そして、ジャンプ力を生かしたヘディングだ。
「左足のキックはずっと自分の武器です。ヘディングも小さい頃から得意でした」
アントラーズユースの練習に参加すると、その強度の高さに驚いた。
「最初は全然ついていけませんでした。でも二日目、三日目と少しずつ自分のプレーも出せるようになって、『このチームでやりたい』という気持ちが強くなりました」
ユースへ加入した今も、その思いは変わらない。
「まだまだ足りないことばかりです。走力も右足も、もっとレベルアップしないといけないと思っています」
目標は、鹿島アントラーズのトップチームでプレーすることだ。
「まずは自分のプレーをしっかり見せたいです。その上でチームの勝利に貢献して、プロになれるように頑張ります」
厳しさは、成長するための近道ではない。それでも、その厳しさから逃げなかった日々がある。上農崇斗は今日も、自らを磨き続けている。

飯田 蒼生選手
「どの試合も、誰が見ているか分からない」
努力を積み重ねてつかんだ現在地
【FW飯田蒼生の原点】
成長は、誰かが与えてくれるものではなかった。
中学時代、恩師から掛けられた言葉がある。
「『やるのは自分』。よく言われていたのですが、結局やるのは自分なんです。どれだけ周りに言われても、自分がやらないと成長できない。その言葉は今でもずっと心に残っています」
飯田蒼生にとって、この一言がサッカー人生の原点になった。
5歳でサッカーを始めた。父もサッカー経験者で、小さい頃から一緒にボールを蹴った。休日には父や兄とプレミアリーグを見ながら、海外の選手のプレーについて話し合った。
「アーセナルの試合をよく見ていました。『こういうレベルでプレーできたらいいね』って、お父さんと話していたのを覚えています」
中学では愛知県のFCディバインへ進んだ。決して全国的な強豪ではない。それでも指導者との出会いが、自分を変えた。
「ポストプレーやFWとしての動き方を教えてもらいました。でも、それ以上に『やるのは自分』という言葉が一番大きかったです」
練習が休みの日も、自主練は欠かさなかった。
「学校から帰ったら1〜2時間くらいボールを蹴っていました。納得できるまで続けることが多かったですね」
年代別日本代表候補にも選ばれ、順調に見えたサッカー人生。それでも忘れられない時間がある。
「代表候補に入ってから、一年間くらい代表活動に呼ばれませんでした。本当に悔しかったです。自分の実力が足りないと感じました」
だからこそ、変わった。どの試合も全力で臨んだ。
「いつ、どこで誰が見ているか分からない。そう思って、自分のプレーを出し切ることだけを考えていました」
努力は、少しずつ結果へつながっていく。再び代表へ選ばれ、海外遠征も経験した。
それでも満足はない。
ユースへ入り、全国トップレベルの選手たちとプレーすると、自分に足りないものが見えた。
「まだまだ足元の技術が足りないと思いました。だから基本の止める、蹴るをもっと突き詰めて、その上で点を取れるFWになりたいです」
目指すのは、鹿島アントラーズのトップチーム。そして、その先の世界だ。
「まずはトップ昇格が目標です。そのためにも、もっと成長し続けたいと思っています」
恩師から掛けられた「やるのは自分」という言葉。飯田蒼生は今日も、その言葉を胸に努力を積み重ねている。

金成 陽斗選手
「自分が勝たせる存在になりたい」
福島で芽生えた「勝たせたい」という思い
【FW金成陽斗の原点】
勝てなかった。小学生の頃、その悔しさを何度も味わった。
「周りのチームの方が強かったんです。だから、自分が勝たせられる存在になりたいってずっと思っていました」
福島県で生まれ育ち、サッカーを始めたのは幼稚園の頃。兄の背中を追い掛け、地元の勿来SCSでボールを追い掛けた。
小さい頃から身体能力には自信があった。上の学年に交じって試合に出場し、スピードを武器に相手を抜いていく。
「ずっと運動することが好きでした。上の学年の人たちと一緒にプレーできたことで、いろいろな経験ができました」
もっと成長したい。その思いから、中学では鹿島アントラーズノルテへ進んだ。電車で片道40分、新しい仲間、新しい環境だ。
「知らない人ばかりだったので最初は不安でした。でも、仲間ができてからはすごく楽しかったです」
ノルテで教わったのは、サッカーだけではない。
「サッカー以外の部分でも、人間性を大事にしなさいと言われていました。サッカーだけじゃなく、人としても成長することを教えてもらいました」
その経験は、今も土台になっている。
中学最後の高円宮杯。思うような結果で終われなかった。
「悔しかったです。でも、切り替えるしかないと思いました」
その悔しさが、タイトルへの思いを強くした。
「高校では絶対にタイトルを獲りたいです」
目標はトップチーム。その前に、鹿島アントラーズユースでタイトルをつかみたい。
「自分が試合に出て、チームを勝たせたい。技術はまだまだ足りません。もっと練習して、まずは試合に出られるようになりたいです」
勝てなかった日々を知っている。だからこそ、勝つ喜びを誰よりもつかみたい。
金成陽斗は今日も、自分がチームを勝たせる存在になるために走り続けている。

石田 歩夢選手
「今のままでは、やっていけない」
ケガと向き合う中で変えた、自分の心
【MF石田歩夢の原点】
変えなければならないのは、プレーだけではなかった。
中学時代、石田歩夢は度重なるケガに悩まされた。肉離れや足首の捻挫で思うようにプレーできず、不安が膨らんでいった。
「自分はメンタルが弱かったんです。ケガをすると、すぐに不安になってしまって。一度はサッカーをやめようかと考えたこともありました」
サッカーを始めたのは幼稚園の年中の頃。両親が鹿島アントラーズの大ファンで、幼い頃からカシマスタジアムへ足を運んだ。日常の中には、いつもアントラーズがあった。
ひたちなか市の六野SSSと鹿島アントラーズのスクールでプレーし、小学5年で鹿島アントラーズノルテジュニアへ加入。合格を知ったときには、両親も心から喜んでくれた。
「小さい頃から体が大きかったので、フィジカルで普通にプレーできていました。でも、ノルテジュニアに入ると、みんな上手くて意識も高かったです」
ノルテジュニアユースへ昇格してからは、試合に出る時期と出られない時期を繰り返した。ケガも重なり、気持ちは揺れ続けた。
転機になったのは、中学3年でユース昇格を告げられたときだった。
「本当にうれしかったです。でも、父から『メンタルは少しずつでも変えていかないといけない』と言われました。自分でも、このままではユースでやっていけないと思いました」
そこから、考え方を変えた。
ケガをしても、できないことを考えない。筋力トレーニングやケアなど、そのときにできることへ目を向ける。オフの日にも学校の友人とボールを蹴った。
「今はケガをしても、他にできることがあるとポジティブに考えるようにしています。自分を不安にさせるような、ネガティブな考え方はしないようになりました」
父はマッサージ機や補食を用意し、息子の挑戦を支え続けてくれた。その思いも、石田が変わる力になった。
武器は、相手の逆を突くパスだ。中学時代に塚田大士コーチから教わったのは、相手の膝の向きを見て、動きにくい方向へボールを通すことだった。
「味方の動きと相手の膝を見て、相手をだますようにパスを出します。うまく通ったときは本当に楽しいです」
目標は、毎年スタメンとして試合に出て、ゴールやアシストで結果を残すこと。そして、鹿島アントラーズのトップチームへ昇格することだ。
「まずは練習から努力して、試合に出たいです。試合に出たら、しっかり結果を残せるように頑張ります」
ケガも、失敗も、起きてしまったことは変えられない。変えられるのは、その出来事をどう受け止めるかだ。
弱かった自分を認め、前向きな自分へ変わろうと決めた。石田歩夢は今、決定的な一本のパスを通すために、自らの心も磨き続けている。