
杉山哲は、「自分を“エリート”だと思ったことがない」と言う。熊本国府高校から福岡大学へ進み、鹿島アントラーズへ加入。華やかなエリートコースとは少し違う道を歩みながらも、鹿島では三連覇を経験し、その後は札幌、東京ユナイテッドFCで40歳まで現役を続けた。
試合に出られなかった時間。そして、ようやくつかんだ出場機会。その両方を経験したからこそ、今、選手たちへ伝えられることがある。
――ご自身は現役時代から「いわゆるエリート街道とは違うキャリアだった」とよく口にしていました。
そうそう、全然、違います(笑)。自分は商業科だったので、基本的にはまわりもみんな就職する環境でした。自分自身も就職を考えていた時、サッカー部の監督から『大学から話が来ているぞ』と言われて初めて、『そういう道もあるんだ』と思ったぐらいでした。
――福岡大学へ進学して、世界が変わった。
変わりましたね。全国から集まってきた選手たちを見て、初めて『プロを目指さなきゃいけない』と思いました。それまでは正直、自分がプロになれるなんて思っていなかったので。だから、大学の4年間は本当に必死でした。
――そこからアントラーズへ加入。
そう。でも、鹿島に入ったら、ソガさん(曽ケ端準)がいるわけですよ(笑)。絶対的存在。本当に高い壁でした。あれだけ長くアントラーズのゴールを守り続けるって、本当にすごいことで普通じゃ出来ないので。
――それゆえ出場機会になかなか恵まれませんでした。
そうですね。もちろん悔しかったです。出られない苦しさもありました。試合に出たいし、『なんで自分じゃないんだろう』と思ったこともあります。でも、自分でアントラーズを選んだので。どれだけきつくて苦しくても、自分で選んだから最後までやり切ろうと思っていました。もちろん、メンタル的にキツいときもあったし、ケガもありました。思い描いたプロ生活ではなかったですね。
――それでも、やり続けました。
アントラーズで8年やらせてもらって、本当にいろいろな経験をさせてもらいました。三連覇も経験できたし、ソガさんをはじめ、本当にすごい選手たちと毎日練習できた。あの時間は今でも財産ですね。
――その後、札幌では出場機会も得ました。
そこで初めて、“試合に出るしんどさ”を知りました。
――出られない苦しさとは違う。
全然違いました。外から見ると、『試合に出られていいじゃないか』と思われるかもしれないですけど、出続けるって本当に大変なんです。結果を出し続けなきゃいけない。勝たせなきゃいけない。他のGKたちの思いも背負ってピッチに立っている。GKは、本当に責任の重いポジションなので。
――試合に出たからこそ見えたもの。
そうですね。毎週試合があるじゃないですか。そうすると、『先週はどう過ごしていたかな』『火曜日は何をしていたかな』って、そういうことまで考えるようになるんです。コンディションもそうだし、練習の入り方もそう。試合に出るって、そういうことなんだなというのを初めて経験できました。
――だから今、出場機会を待つ選手の気持ちも理解できるところがある。
そうですね。試合に出られない苦しさも知っているし、試合に出続ける苦しさも知っている。だから、頑張っている選手を見ると、チャンスを与えたいなと思うんです。もちろん最後は実力の世界なんですけど、日々積み重ねているものって必ず見えてきますから。
――東京ユナイテッドでは、プレーしながらコーチも務めました。
当時プレーイングコーチだった(岩政)大樹に声をかけてもらって。すごくいい経験でした。プレーしながら指導できたのは大きかったですね。現役の感覚を持ったままコーチングを経験できたので。あの時間も今につながっていると思います。
――40歳で現役生活に区切りをつけました。
やり切ったなと思いました。もちろん探せば、まだ現役を続ける道はあったかもしれません。でも、自分の中では本当にやり切った感覚だったんです。最後は『サッカー選手としてやり切った』という気持ちの方が大きかったですね。
――鹿島に戻ってきましたね。
引退した後に戻れるならアントラーズに戻りたいって、それは最初から頭にありました。最初のクラブがアントラーズだったことは、自分の中で本当に大きかったです。だからアントラーズにスクールコーチとして戻ってくることができて、今こうしてユースにいる。全部がつながっているんですよね。
――最後に、今の選手たちへ伝えたいことはありますか。
結局、自分で考えて、自分で選んで、自分で続けるしかないんです。誰かにやらされているうちは、本当の意味では成長できない。僕も決して順風満帆な選手生活ではなかったですけど、自分で選んだ道だから最後までやれた。その経験があるから、今は選手たちにも『自分で決めること』を大事にしてほしいと思っています。