ACADEMY FREAKS Vol.4

“好き”が継続につながる。「成功体験を積み重ねて、うまくいったら自分を褒めてあげよう」。

アントラーズOBが語る、私のアカデミー時代

第1回 鹿島アントラーズアカデミースカウト 本山雅志

 

現役時代、アントラーズのエンブレムを背負ってタイトルを目指した。プロサッカー選手に至るまで、アカデミー年代ではどんな練習をして、どんな壁と向き合ってきたのか。当時の練習方法や日々の習慣、当時意識していたことなどに迫る。

胸に刻む恩師からの言葉

「この言葉を口にするだけで、背筋が伸びる思いです(笑)」

アカデミー時代、心に残る言葉を問われたときのことだった。座りながら”気をつけ”の姿勢になって笑みを浮かべた。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

高校時代の恩師からの言葉は、今も本山雅志の胸に刻まれている。

「いっぱいあります。志波先生もそうだし他にも……、いろんなことをいろんな方から言葉をかけてもらいました。そのなかでも東福岡高校のコーチとして、週に1、2回は教えに来てくれた寺西(忠成)さんの言葉は、座右の銘みたいになっています。いつも教えに来てくれたおじいちゃんみたいな存在でした」

地元が一緒で練習帰りは車の助手席に乗せてもらい帰路についた。「もうおじいちゃんだから、たまに信号待ちで寝ちゃうので(笑)」、監視役として帰りの1時間半を車中で過ごした。この時間がとても有意義だったと振り返る。

「フットボールについて、いろんな話をしてくれました。寺西さんからは本当にたくさんのことを教えていただいた。そのなかの一つが、“実るほど頭を垂れる稲穂かな”。常に初心を忘れるなということです。高校1年で試合に出していただいて、いろいろと選抜とかにも入るようになって、勘違いしやすい時期だったと思うんです。小さいころはよく自分ができることを、なんで他の人はできないんだろうと思ったこともあります。でも、それが高校のときはあまりなかった」

現役時代も取材やアンケートで答え続けた言葉だ。大事にするものは変わらない。

勝手に体が動くまで繰り返したボールタッチ

兄と一緒にボールを蹴って遊びたい。その思いから始まり、次第にボールを蹴る楽しみに変わっていった。

「とにかく反復練習が多かったですね。左右の足の間にボールを置いて、ひたすらさわって動かしたり、ドリブルするときもアウトで出してインサイドで止めたり、その逆もやってみたり。学校の帰り道は、道に落ちているペットボトルのキャップをボール代わりに蹴って帰ったり。とにかく蹴ることが好きなので、なんでもボールに見立てて、みんなで遊んでいました」

小学生のころは、いつも家の裏にある公園でボールを蹴った。

「誰かボールを蹴っていないかなあと覗きに行って、誰かがいれば一緒に混ぜてもらって、1人でやることもあれば、お兄ちゃんと一緒にやることもあった。あとは昔って網目が大きなゴミ箱が置いてあったじゃないですか。そこを目がけて何回で入れられるかをお兄ちゃんと競ったりしてましたね」

中学生になると公園に加えて本城陸上競技場にも行くようになる。かつてギラヴァンツ北九州のホームスタジアムとして使用され、今は練習場の一つとして使われるところだ。

「芝生でできるのがうれしくて、よく行くようになりました。今思えば、芝生というより雑草なんですけどね(笑)。僕の時代は土ばかりだったので、草が生えているところでできるだけでとにかくうれしかった。4、5人ぐらい友達を誘って走っていって、とにかくボール蹴っていた。1対1、増えれば2対2もできるし、5人以上も集まればボール回しもできる。あとは、サブグラウンドの横にネットがあって、それに向かってボールを蹴ったり。学校が終わったあと、部活が終わったあと、いつも家の裏の公園か本城陸上競技場に行ってボールを蹴っていました」

宮原裕司、山形恭平、山形辰徳……。このとき本城陸上競技場で、ともにボールを蹴った仲間たちは、後に東福岡高校へ進み高校3冠を達成。Jリーガーとしてプロの道を歩んでいった。

「ボールを蹴ることが楽しくて、試合することがとにかく楽しすぎて。試合のために練習しようとか、そんな深く考えていたわけではなくて。とにかくできないことをできるようになるために、勝手に体が動くぐらい染み込ませる。そもそも繰り返すことも嫌いなので、考えてプレーするというより、体が勝手に動いてプレーするまでやる。相手の嫌なところはどこだろうと考えながら、それが自然と体の動きとして出てくる方が自分のなかでは多かった。そういう感覚のときは楽しくプレーできていましたね」

 

一つの成功が導いた自信

小中時代は線が細くパワーもなかった。「小学生はがむしゃらにやって乗り切るも、中学生では身体能力の差に苦労した」と振り返る。現役時代、大柄の相手にキレあるドリブルと切り返しでチャンスを創出し続けた。そこに至るまでに積み上げた本山のアカデミー時代は、地道なものだった。

「本当に小学生のときはパワーがないからボールが飛ばなくて、ドリブルでペナルティエリアに入らないとシュートが届かなかった。ロングシュートなんて決めたことがないぐらい。だったら、体が小さくてもゴール前へ持っていくためには、やっぱりドリブルを身につけなきゃいけないから練習しよう。とにかく考えていましたね」

成長の実感を得たプレーがあった。小学5年のとき、自分よりもフィジカルで優る存在に圧倒された。

「一つ上に三好(拓児)くんって国見高校からアビスパに入った、体が大きくてめちゃくちゃ強い人が対戦相手にいたんです。その人がセンターバックをやっていると、ほぼゴールが入らない。高いボールを蹴っても、普通はヘディングする高さのボールを胸トラップ。いつも絶対に止められる。これはどうにかして点を取らないといけないと考えるわけです。タイミングを外してみる、少しでもズレたらシュートとかクロスを上げてみる。するとあるとき、三好くん相手にふといいプレーができた。なんかすごい成長したなと感じたんです」

考え抜いて動き続けた結果、一気に視界が開けた。目の前のできないことをできるように。一つひとつ壁を越えて、高校時代には年代別代表に選ばれ、東福岡高校を日本一に導く存在に成長した。

今は将来のアントラーズを背負って立つ選手探しに没頭する日々だ。選手を見るのも「一回だけだとたまたま調子がいい悪いがある。何度も見て判断したい」と決めている。自身の経験から、いつでもなんでもうまくいくとは思っていない。

「僕も始めたばかりは、うまくいかないことばかりでした。ボールを取られては追っかけて、ボールを奪えたときは『よし、やっと奪えた』とうれしかった。中学1年のときは、ボール拾いから始まりましたからね。体も小さかったし、能力的なところで苦労しました。でも目の前にいる相手を絶対に抜いてやろうと、チャレンジばかりしていた記憶があります。ときに失敗してもちろん怒られることもあったけど、うまくなってほしい、できる子だから言われていると受け止めていた」

続けることが大事。そのために必要なことがある。将来、アントラーズを背負って立つ子どもたちに伝えたいこととは。

「やっぱりフットボールを好きになることだと思います。その成功体験をたくさん積み重ねること。うまくいったところは自分でたくさん褒めてやるべきだし、失敗したら練習で修正すればいい。それを繰り返す。だから、好きだったらやめるという選択肢にならないと思うんですよね。好きじゃないと努力できないし、努力する感覚よりも、好きだからできるようになるまで続けられる方が絶対にいい」

本山自身、フットボールが好きすぎて。限界を知らないまま、限界を超えたことがある。

「食事があまり得意じゃなかったんです。しっかり取らなきゃと思うけど、なかなか食べられない。風邪をひいたり、肺炎になったり、よく病気になってました(苦笑)。なんかフットボールが好きすぎてやりたくなっちゃうから、当然、運動量が多くなる。だけど、動いている量と比べて食べる量が少ないから、ガリガリだったしパワーもなかった。ちゃんと食事をした方がいいと思うけど、それ以上にボールを蹴っていましたね」

現役生活を振り返れば、アントラーズの10番を14シーズンに渡り背負った。この功績も、飽くなきフットボールへの愛情が築き上げたものだった。