ACADEMY FREAKS Vol.1

アントラーズアカデミーの指標

INTERVIEW

鈴木修人アカデミーグループマネージャー
山﨑勇次アカデミーダイレクター
里内猛ヘッドオブコーチング

鹿島アントラーズの誕生とともに、アカデミーの歴史の1ページ目が刻まれた。
それから長い年月をかけて形づくられてきたアカデミーの指標とは――。
アカデミーの活動をリードする3人のスタッフの言葉から紐解く。

アカデミーのベースにある“ジーコスピリット”

Jリーグが産声を上げようとしていた1992年のことだ。

「キミ、ポジションどこ?」

「サードです」

アントラーズのアカデミーが発足した当初、アカデミー生との間で実際にそんなやり取りがあったことを山﨑勇次アカデミーダイレクターは懐かしそうに振り返る。

「ある子どもにポジションを聞いたら、野球のポジションを答えてきたんですよ(笑)。Jリーグが発足して10チームがプロ化され、アントラーズもその1つになりましたが、それでも当時の茨城県鹿島郡鹿島町(現・鹿嶋市)は“サッカー不毛の地”という感じで、サッカーよりも野球のほうが断然、盛んな地域でしたから。だから、この鹿島町でサッカーの活動をすることはとても大変なことでした。そもそも子どもたちも少ないのに、サッカーをやっている人もあまり多くはない。ましてや、ジュニアユースやユースに入ってほしいような中学生、高校生を集めることは相当に苦労をした思い出があります。やっとの思いで集めたメンバーの中には、サッカーをやっていないような子どもや、高校には行っていない子がいたりもしました。さらに、子どもたちにサッカーの指導ができるスタッフもなかなか見つからない。強化するための遠征先を探しても、当時は高体連が中心でしたから、参加できる大会が限られたりもしました。今思えば、そういう時代でしたね」

現在は多くのアカデミーの選手が活動するが、草創期はメンバーを集めることにも苦労した

 

アントラーズの前身である住友金属蹴球団で選手としてプレーした山﨑アカデミーダイレクターは、アカデミーの立ち上げに携わった。ユースの監督やコーチも務め、2016年から現在のポストに就いてアカデミー組織を支えている。風向きが変わり始めたのは、住友金属蹴球団でともにプレーしたジーコクラブアドバイザー(CA)の協力を得たころからだった。

「それから何年か経ってから、ブラジルの育成環境の話を聞いたり、ジーコCAのお兄さんであるエドゥーさんがアカデミーのコーチになったりしたことで、我々も練習方法を取り入れるなど、よりブラジル的な育成のスタイルに近づけられるようになっていきました。皆さんもご存知のように、プロチームにはブラジルのような環境ができつつありましたから、アカデミーもそういったものを目指そうと。試合での戦い方も含め、ブラジルの関係者からいろいろことを学び、徐々にレベルアップしていきました。今でも、そのときから培ってきたことがアカデミーの基盤になっていると思います」

そんななか、山﨑アカデミーダイレクターはアカデミーが歩んできた道のりにおける2つの転機を挙げる。1つは、ブラジルをはじめとする海外遠征の実施だ。

「海外遠征を実施してから、もう25年ぐらいになるのかな。コロナ禍前は、選手たちにできるだけ海外での経験を積ませるために、小学6年生と中学1年生がヨーロッパへ、中学3年生がブラジルへ遠征していました。鹿島、つくば、ノルテの3チームに在籍する選手全員が行ける機会で、本場ブラジルのサッカー環境に触れることはもちろんのこと、サッカーだけではなく海外の文化を学んだり、外国人と交流したりして、人間形成においても良い影響を与えられる取り組みです。世界でも通用する選手を輩出するには、どんな環境においても力を発揮できるような選手を育成しなければいけません。ジュニアユースの選手ができるだけ多くの国際経験を積むようになったことは、アカデミーとしても1つの転機でした」

また、山﨑アカデミーダイレクターがもう1つの転機と認識するのが、東日本大震災に遭った2011年以降のこと。当時、アカデミーダイレクターを務めていた高島雄大氏(現・アスルクラロ沼津社長)を中心に、アントラーズの育成環境を変えていった。

「高体連の強豪チームには以前から選手寮などの施設があるように、強豪校としての基盤がしっかりしていたようですが、プロクラブではなかなかアカデミーに多くの投資をするところはほとんどありませんでした。そんななか、前任の高島さんを中心にアカデミーの環境面を変えようとしました。鹿島学園高校と提携したこともその1つです。それまでは選手たちがそれぞれ違う高校に通っていたため、練習に集まるタイミングもバラバラだったりもしました。また、前述の海外遠征にも、より力を入れていきました。ブラジルだけでなく、世界各国でさまざまな経験を積む意義をジーコCAから提言されていたので、そのベース作りをするなど、2011年の東日本大震災以降から段階を踏んで、現在に至るような基盤を構築してきました。優秀な選手をどんどん輩出させるためには、アカデミーとしての基盤が必要であるというスタンスを、高島さんを中心に持ち始めたことも、転機となりました」

長い年月をかけて歩んできたアントラーズアカデミーの足跡をたどり、山﨑アカデミーダイレクターは現在も“原点”の重要性を強調する。

「今よりも、昔のほうが、ほんの一握りの選手しかプロになれないような厳しさがありました。そのため、もちろんサッカーのプレー面を大事にしつつも、ピッチ外での“人間的な部分”の大事さも選手たちに伝えてきたつもりでいます。そのベースにあるのは“ジーコスピリット”と呼ばれる献身・誠実・尊重です。アントラーズアカデミーは、その精神をもとに始まったと言っても過言ではありません。それを今ではいろいろな形に置き換えて、サッカーのプレーや普段の生活においてどのような振る舞いをすべきかを示す“アカデミーDNA”を作りました。いつの時代も根底には“ジーコスピリット”が変わらずにあるので、今後もそれを引き継いでいけたらと思っています」

1992年のアカデミー発足時を知る山﨑勇次アカデミーダイレクター

成長に欠かせないウイニングマインドとクラブの空気感

“ジーコスピリット”は、アントラーズトップチームはもちろん、アカデミーのベースであり、30年以上もの長い年月の間、アカデミーを前へ、前へと押し進めてきたダイナモのようなものでもあるのかもしれない。里内猛ヘッドオブコーチング(HoC)は、“ジーコスピリット”によってもたらされるアカデミーの“サイクル”について言及する。

「まだ前身の住友金属蹴球団だったころ、ジーコCAがこのクラブで一番のベースとなる姿勢を示しました。真っ白なキャンバスに色を塗っていくように、すごく野心的なチームづくりをしていったのです。よく言われる“Jリーグ参入は99.9999パーセント不可能”という名言もありますが、残された0.0001パーセントに懸ける姿勢、つまり最後まで勝負を諦めない姿勢や、勝ちにこだわる姿勢をチームに植えつけ、それが“勝者のメンタリティー”につながったのでしょう。そういったジーコCAの教えは、アカデミーの指導者にも色濃く受け継がれていると思います。ユースでは小笠原満男テクニカルアドバイザーや柳沢敦ユース監督、曽ケ端準GKコーチが経験してきたことを、今度はアカデミーの選手たちに伝えていく。“ジーコスピリット”を根源としたサイクルができてきているのです」

柳沢敦監督、小笠原満男テクニカルアドバイザーに続き、ユースのコーチングスタッフに曽ケ端準ユースGKコーチが加わった


里内HoCが名前を挙げた小笠原テクニカルアドバイザー、柳沢ユース監督、曽ケ端ユースGKコーチは、長年にわたりアントラーズのトップチームでプレーし、数々のタイトルをもたらしてきた“レジェンド”とも呼べる人物たちだ。

「プロ選手としてアントラーズを牽引してきた“レジェンド”たちが、今度は指導者としてまたクラブに携わる。その循環によって、すばらしい相乗効果が生み出されることを期待しています。Jリーグが発足してから30年が経ち、今後はホームタウンにより密着した活動が大切になってくるのではないでしょうか。その1つとして“ホームグロウン”と呼ばれる、クラブで育ったアカデミー出身選手が、そのチームの主力として戦っていける環境を整えることが重要です。今のトップチームでは鈴木優磨選手や土居聖真選手らが活躍していたり、上田綺世選手や町田浩樹選手といったクラブのOBが日本代表に選ばれていますので、今後はさらに継続的にホームグロウン選手を育てていきたいと思います」

アントラーズアカデミーからより多くの優秀な選手を輩出するために、育成において“やるべきこと”は明確。これまでにアントラーズのトップチームをはじめとする多くのJクラブや日本代表でフィジカルコーチを担い、女子チームの監督を務めるなど、豊富な指導経験を持つ里内HoCだからこそ、重要視すべきポイントを見いだしている。

「育成年代では“個”を育てることが優先されるべきです。そのためには勝つための技術や戦術に優れた選手の集団を作り、勝ちにつなげることが大切です。それは、一般的によく言われる“勝利至上主義”という意味ではなくて、選手それぞれに成功体験を積ませ、“ウイニングマインド”を持たせること。ウイニングマインドを持つことで本当のサッカーを楽しむことの意味を養うことになり、またスポーツの本来持っている“社会性をも育てる”という良さを追求することにもつながります。アントラーズのアカデミーは鹿島、ノルテ、つくばと3校から成り立っているので、その3校で選手同士が競い合い、そのなかで多くの成功体験を積ませられるような環境を今後も整えていきたいです」

他クラブとの対外試合だけでなく、鹿島、つくば、ノルテの3校による交流戦も行われている

 

ウイニングマインドを身につけることとともに、里内HoCはもう1つ、選手たち、そしてアカデミースタッフたちに大切な思いを持つことを求める。

「一番大切なのは、やはり“サッカーが大好き”であり、“アントラーズも大好き”であるということ。そういったメンタリティーを持ってほしいと思います。今はスマートフォンで世界中のサッカーチームの情報が得られる時代なので、“アントラーズのアカデミーにいるのだから他のクラブを好きになってはダメだ”などと言うつもりは一切ありませんが、我々としては、このクラブのサッカーがすごく好きだというような選手を育てていかなければいけないでしょう。それは選手だけではなくて、アントラーズアカデミーの指導者においても大前提になることです。例えば昼休みなど、時間のあるときにはクラブハウスのグラウンドでサッカーを楽しんだり、最近ではつくばやノルテのスタッフが鹿嶋のクラブハウスに会議のために集まるときは、必ずスタッフゲームを行ったりしています。そのように、常にサッカーを通して競い合う空気感というのが、選手のみならずコーチ陣にもあるのです。この空気感は、とても大切なものだと思っています」

鹿島アントラーズというクラブが長い年月をかけて形づくってきた、“試合終了の笛が鳴るまで全力を尽くす”という空気感をアカデミースタッフと選手が共有し、それぞれ成長していく。育成は“アントラーズファミリー”が一体となって取り組むべきものでもあるだろう。

「今はアカデミーDNAをベースに、コーチ間のミーティングや指導実践を重ねることで、コーチ陣の考え方のベクトルも少しずつ同じ方向に向かい始めています。また、クラブのレジェンドたちやプロ経験を持つ指導者たちと意見交換できる場が多くなり、“サッカーの指導とはなんだろう”ということを、より考えられるようになっています。その成果として、選手たちの質向上につながり始めています。1人の選手を1人の指導者だけが見るのではなく、全員の指導者が連係して一人ひとりの選手を育てていけるような空気感を作っていきたいという思いです。アカデミーの選手は、クラブスタッフ全員でしっかりと育てていくものです。そういった考え方を持ちながら、みんなでがっちりサポートし合っていければいいと思っています」

豊富な指導経験を持つ里内猛ヘッドオブコーチング。今年はユースフィジカルアドバイザーも兼任する

“幸せな人生”にするための道標と見据える未来

有望選手を育成するための連係は、クラブ間の垣根を越えた。今季、ユースからのトップチーム昇格が決まっていた下田栄祐選手が、J2のいわきFCに2年間の育成型期限付き移籍することになった。それについての思いを言葉にするのは、鈴木修人アカデミーグループマネージャーだ。

「下田選手の育成型期限付き移籍に関しては、いわきFCさんが手を挙げてくれて、“育てたい”と言ってくださった。アントラーズからしても、いわきFCさんには信頼を置けるし、試合経験を積ませてもらって2年後に戻ってくるイメージも湧く。下田選手本人もそこで頑張って、成長して帰ってきて、それからアントラーズでさらに成長する思いになっていて、すべてがマッチした形です。もちろん、いわきFCさんで試合に出場できるかは下田選手本人次第ですが、より試合出場しやすい環境にいる。なおかつ、いわきFCさんは体を鍛えることもコンセプトにしているクラブなので、よりたくましくなって帰ってくるための育成プランとしてはとても良いと思っています。また、下田選手は6年間、アントラーズのアカデミーでプレーして、アントラーズのフィロソフィーを知っているからこそ実現したことでもあります。今後のモデルプランの1つになっていけばと思っています」

昨年までユースに所属した下田栄祐は、今季、いわきFCでさらなる成長を目指す

鈴木アカデミーグループマネージャーはジュニア、ジュニアユースとアントラーズのアカデミーでプレーし、早稲田大学卒業後はトップチームに帰ってきた。しかし、在籍した3シーズンで試合出場を果たせず、プロの世界の厳しさを人一倍知る人物でもある。

「僕はもともと、セカンドキャリアは教員志望だったこともありますが、とにかくその選手の人生が幸せになることが一番だと考えています。アントラーズでの3年間、試合に出られずに悔しい思いをしましたが、今のアカデミーの選手たちがトップチームに上がっても試合に出られず、長く在籍できないようなことはなるべく避けたい。ユースから昇格してプロの世界で活躍できることが一番の理想ですが、高卒でプロ選手になってもすぐに契約満了になるなど、苦しい人生を歩んでいる選手もたくさん知っていますので、そういったことも考えると大学への進学など、違う進路を探ることも大切ではないかと考えています」

アントラーズのアカデミーで育ち、高校や大学を経て、トップチームに加入することは、鈴木アカデミーグループマネージャー自身と同様のキャリアでもある。また、現役引退後に明治学院大学の監督も務めていたことから、「大学に行って成長できることはすごく多いと思っている」という。これまでに大学経由でアントラーズに戻ってきたのは鈴木アカデミーグループマネージャーと上田選手のみ。高校経由では佐々木竜太選手(現・南葛SC)と染野唯月選手しかいないのが実情だ。

「他のJクラブでは、アカデミーで育った選手を大学経由でトップチームに迎え入れるところもいくつかありますが、アントラーズではまだ多くありません。だから、大学や高校、さらには他のクラブに在籍するアカデミーOBを追いかけることも、僕たちアカデミースタッフの仕事だと思っています。今、アカデミーのスカウトとトップチームのスカウトが連係して、いろいろな情報交換をしています。OBが試合に出たら情報共有をしますし、さらに記事になれば、それもみんなで共有します。ユースから昇格できなかったからダメだということではなく、現在、大学で活躍しているOBがたくさんいるので、その選手たちにも帰ってきてほしいと思っています」

それは、選手に限ったことではない。

「今、スクールコーチとしてアカデミーに携わっている半田尚之コーチは鹿島ジュニア、鹿島ジュニアユースで育ったOBです。他にも鹿島ジュニアユースの小谷野稔弘コーチ(鹿島ユース出身)、鈴木雄士トレーナー(ノルテジュニアユース出身)、鹿島ジュニアの青野友輝監督(鹿島ジュニアユース、鹿島ユース出身)、つくばスクールの原英寿コーチ(つくばジュニアユース出身)、さらにスクールからユースまでアントラーズで育ったノルテジュニアの坂本光コーチも指導者としてアントラーズアカデミーに帰ってきました。必ずしもサッカー選手としてではなくても、指導者として、フロントスタッフとして、アカデミーで育ったOBが帰ってきて、クラブにアカデミー出身者がもっと増えていけばすごくうれしいことです」

ユース3年生の馬目隼之介ら、3選手がトップチームのトレーニングキャンプに参加した

 

アカデミーという存在は、クラブの未来を示す指標とも言える。海外には、試合に出場する11人の過半数をアカデミー出身選手で構成するクラブもあるほどだ。鈴木アカデミーグループマネージャーは今後のアカデミーのあるべき姿を見据えながら、言葉を紡ぐ。

「理想としては、トップチームの半数くらいをアカデミー出身選手にしたいです。スペインのレアル・ソシエダやアスレティック・ビルバオでは、試合に出場する選手の半数以上が地元出身選手で構成されます。もちろん、アカデミー出身選手だけになるのも良くないとは思いますが、できるだけ多くのアカデミー出身選手がアントラーズのトップチームで活躍することを、アカデミーのスタッフみんなが望んでいます。そのために、トップチームの吉岡宗重フットボールダイレクターともしっかりとコミュニケーションを取っており、今年のトレーニングキャンプにユースから3人の選手を参加させてもらうなど、積極的にアカデミーの選手をトップチームの練習に呼んでもらっています。また、岩政大樹監督など、トップチームのスタッフもユースの練習を見に来てくれたりしています。昨年はユースのコーチングスタッフだった伊藤亮輔フィジカルコーチと稲葉篤トレーナーは、今年からトップチームのスタッフになりました。アカデミーとトップチームの関係性はどんどんと深まってきています。アントラーズのトップチームの主役となり、海外でも活躍し、さらには日本代表になってワールドカップで世界一になれるような選手を輩出させていければと思っています」

鈴木修人アカデミーグループマネージャーのもとで新たな未来へと進んでいる

30年以上もの間、フットボールとアントラーズを愛する多くの人たちによって、アントラーズアカデミーの指標は示されてきた。それは未来永劫に受け継がれていくべきものでもあるだろう。アントラーズが、アントラーズであり続けるために、その指標のもとでアントラーズアカデミーはさらなる発展を遂げていく。