ACADEMY FREAKS Vol.1

あの10年間があったからプロになれた

INTERVIEW
アントラーズアカデミーOBの今

第1回 前田泰良選手(SC相模原)

鹿島アントラーズ以外のJクラブで活躍するアカデミー出身選手を紹介する新企画。
彼らはアカデミーで学んだことをどのように生かし、フットボールと向き合っているのか。
第1回は、アントラーズユース時代にキャプテンを務めた前田泰良選手にスポットを当てる。

 

アントラーズは夢を追いかける楽しみを与えてくれるクラブ

今シーズン、東洋大学からSC相模原に加入しました。ここまでの戦いぶりについていかがですか?

「ゴールやアシストの結果はまだ出せていないものの、開幕から途中出場する機会が多いので、着実にJ3での経験を積めています。これからは個人としても、チームとしても結果にこだわっていきたい。僕自身はもっと実力をつけて、試合のスタートから出場できるように頑張っていきたいです」

大学4年時の昨季はSC相模原の特別指定選手になりました。過去アントラーズのトップチームに在籍した梅鉢貴秀選手やつくばジュニアユース出身の加藤拓己選手ともチームメートになりました。

「同じつくばジュニアユース出身の加藤選手とはずっと連絡を取り合う仲です。僕がチームに加わったとき、加藤選手がケガをしていたので、一緒にプレーする機会はあまりありませんでしたが、また同じチームでプレーできたことは、個人的にすごくうれしかったです。また、梅鉢選手は、僕が幼いころにカシマスタジアムで応援していた選手の1人です。憧れのトップチームにいた選手と一緒にプレーできたことに当初は驚きましたが、日常の練習からすごくいい経験ができていると感じていました。アントラーズ関連の話も、僕が試合を見に行っていた話や、近所にあった治療院の話など、いろいろと話すことができました」

今季はつくばジュニアユース出身の猪瀬康介選手ともチームメートとしてプレーしています。

「猪瀬選手とは小中学生のときに一緒にプレーしていて、つくばジュニアユース以来のチームメートになりました。僕が先にSC相模原加入が決まって、そのあと、猪瀬選手も移籍が決まったという形で、そのときに猪瀬選手から“同じチームになるよ”と連絡をもらいました。昔、一緒にやっていた選手と、また同じチームでプレーすることが決まったときは“運命だな”と感じたりもしました(笑)。実際に今はオフのときも仲が良く、一緒に生活をともにすることも多いので楽しいです」

そんな加藤選手や猪瀬選手とともにプレーしたアントラーズアカデミーに入った経緯について教えてください。

「僕は小学3年生のころから当時のつくば校で行われていたアントラーズのスクールに参加していました。アントラーズに入ったのはそれがきっかけです。自分の入っていた少年団とかけ持ちをしていたのですが、よりレベルの高いチームでプレーしたいと思うようになり、当時、教えてもらっていたスクールコーチから小学4年生になるタイミングで、つくばジュニアのセレクションがあることを教えてもらったんです。僕はそのセレクションがあったことも知らなくて、ちょうど同じ日に地域のボウリング大会もあったので、どちらに行こうか迷っていたんですけれど(笑)、一生に1度しかないようなチャンスだと思い、セレクションに参加することにしたんです」

当時はどのような思いでセレクションを受けたのですか?

「もちろんセレクションを受ける資格はみんな、平等にあるとは思いますが、当時の僕はセレクションに受かる自信がなくて。“本当に受かるのかなぁ……”と不安な気持ちを抱えながらセレクションに参加したことを覚えています。実際に参加してみると、周りの選手はみんな、うまい人ばかりで“合格できなさそうだなぁ……”と(苦笑)。ただ、そう思いながらも全力でプレーしていたら合格させてもらい、つくばジュニアに加入することができました。あのとき、スクールコーチからセレクションのことを聞くことなく、ボウリング大会に参加していたら、今の自分はなかったのかなと思います(笑)」

アントラーズのスクールに入る前、アントラーズというクラブをどのように見ていましたか?

「僕の地元である茨城県の強いサッカーチームなので、スクールに参加する前からカシマスタジアムに応援しに行ったりもしていました。当時は本山雅志選手に憧れていて、将来は本山選手のようになりたいと思いながら応援していました。本山選手は技術が優れていて、ワクワクさせるようなプレーばかりを見せていましたから。アントラーズには“Football Dream”という言葉がありますが、文字どおり、僕が幼いころから抱いていた“サッカー選手になりたい”という、夢を追いかける楽しみを与えてくれるクラブでもありました。アントラーズのおかげでサッカーがより好きになったし、“アントラーズでプレーしたい”と思わせてくれるクラブでした」

本山雅志選手を目標にアントラーズアカデミーで自らの技術を磨き、SC相模原でも技術の高さを武器にプレーする

謙虚な姿勢であることは絶対に忘れてはいけない

つくばジュニアからアントラーズユースまで、アントラーズに在籍していた10年間で特に印象深い思い出といえば、どんなことが浮かびますか?

「一番印象に残っているのは、アントラーズユースの高校3年生のときに高円宮杯プレミアリーグEASTで優勝したことですかね。当時のユースは、僕自身も含めてずば抜けた能力を持つ選手がそろっているとは言えなかったと思いますが、チーム一丸となって、それぞれの選手が持つ力を合わせて、特に1対0のスコアで勝つ試合を多く積み重ねていきました。そうしてみんなで成長していき、高円宮杯プレミアリーグEASTで優勝できたことは今でも鮮明に覚えています。そうした厳しい戦いを経験したことは、確実に今につながっていると思います」

当時のアントラーズユースには前田選手の他にも、佐々木翔悟選手(現ジェフユナイテッド市原・千葉)や有馬幸太郎選手(現いわきFC)、赤塚ミカエル選手(現アスルクラロ沼津)、1学年下には山田大樹選手(アントラーズからファジアーノ岡山へ期限付き移籍中)らがいました。振り返るとどのようなチームでしたか?

「一人ひとりの個性が強い印象がありました。僕はキャプテンを務めていて、チームがバラバラになりそうなところで、どうやってみんなを同じ方向に向かせていけるかということを常に考えていた記憶があります。ただ、個が強いぶん、チームが良い方向に向けば絶大な力を発揮できていました。それが良い結果につながったのではないかと思います」

当時の熊谷浩二監督(現ヴァンラーレ八戸GM)はいかがでしたか?

「当時は本当に怖かったんです(苦笑)。でも今思うと、愛のある監督でしたね。一人ひとりの選手をしっかり見てくれていて、“良いことは良い”“悪いことは悪い”と、はっきり指導してくれる監督でした。その存在感やオーラもすごくて、改めて熊谷監督のもとでサッカーができて良かったと感じています」

前田選手自身、熊谷監督との関係で印象に残ることはありますか?

「高校2年生のときの高円宮杯プレミアリーグEASTの試合(柏レイソルU-18戦)で、僕は途中から出場したのに、すぐに交代させられたことがありました。途中出場の選手が交代で退くことは、なかなかないこと。そのときはすごく悔しくて“なにくそ”と思っていましたが、それは“このままではダメだぞ”というメッセージのようにも捉えました。そんなこともありながら、3年生になってからはキャプテンを任されて、より責任感と自覚が生まれてチームを勝たせたいという思いがより強くなったように感じます」

熊谷監督のもとで、より成長した実感があるのですね。

「高校生の3年間は調子に乗りがちな時期だと思いますが、熊谷監督からは“良いときも悪いときも常に謙虚に取り組むことが大事だ”ということを常々言われていましたから。サッカーをするうえで、その言葉を今も忘れないようにしています」

熊谷監督の教えは、サッカー選手としての基盤にもなっていると。

「今はプロのサッカー選手になりましたが、その基盤には熊谷監督の教えがあります。それは、たとえサッカー選手でなかったとしても、1人の人間としての基盤にもなっていたことです。僕たちは小さな子どもたちに憧れてもらったり、見てくれる人たちに感動を与えたりすることを仕事にしているので、謙虚な姿勢であることは絶対に忘れてはいけないと思っています」

熊谷監督の他にも、特に影響を受けた指導者はいましたか?

「つくばジュニアユース時代にお世話になった土田哲也監督からも、すごく影響を受けました。サッカーのことはもちろんですが、あいさつすることの大切さや、常に感謝の気持ちを持って行動することといった、いわば人としての当たり前のことを叩き込まれた記憶があります。ユースの熊谷監督もそうでしたが、アントラーズのアカデミーで教えてもらったことは一貫している印象を持っています」

サッカーの技術や戦術だけでなく、人として大切な振る舞いや考え方などをアントラーズアカデミーに在籍した10年間で学んだのですね。

「そうですね。そういった人として大切な部分がベースにあってこその、サッカーの技術や戦術だと思っています。だから、10年間で人としてもサッカー選手としても少しずつ成長できた実感があります」

アントラーズユース時代にはトップチームの練習に参加する機会もありましたが、そこで学んだことや感じたことは?

「何度かトップチームの練習にも参加させてもらい、プロの厳しさを何度も感じました。普段の練習から激しい競争があり、実際には高円宮杯プレミアリーグEASTなどの公式戦のほうがまだ楽なんじゃないかと思うくらい、練習がハードでした。僕が高校3年生だった2018年にトップチームはAFCチャンピオンズリーグで優勝しましたが、そういった日々の厳しいトレーニングの積み重ねがタイトルにつながったのではないかと思います。当時、鹿島ユースの熊谷監督から口酸っぱく言われていた“日々の積み重ね”が良い結果をもたらすことをトップチームでも実感しました」

具体的に、トップチームの練習にはどのような厳しさがありましたか?

「特にプレーのスピード感や力強さは段違いでした。当時は鹿島ユースで結果を出していたことで多少は自信を持って練習参加をしたのですが、まったくと言っていいほど思うようなプレーができませんでした。本当にすべてが衝撃的で、練習参加したときは余裕もなく、そのぶん、僕自身がトップチームの練習から吸収することは多かったです。トップチーム昇格を目指していた身としては“トップチームに上がるために、もっとやらないと”と思わされました。一つひとつのプレーにこだわることや、高い強度のなかでもしっかりと自分の技術力を発揮させることなど。その経験は自分にとってすごく大きなものでした」

一方で、ピッチ外での学校や寮での生活はいかがでしたか?

「当時、寮では自分たちで決めた規律に従って生活をしていました。学校では先生が授業態度を評価し、それをアカデミースタッフと共有するので、学業面で手を抜くこともできません。テストで悪い点数なんて取ったらまずいし、今振り返ると常に気を張って生活した高校3年間だったと思います(苦笑)」

そのなかでの楽しみはどんなことでしたか?

「チームメートのみんなと一緒に生活していたことが、何よりも楽しかったです。オフの日には自転車で出かけたり、寮で卓球をしたり、みんなで一緒にお風呂に入ったり、食事したり。大人になった今でも、数週間だけでもいいからまたみんなと一緒に生活してみたいと思ったりもします」

常にひた向きな姿勢でトレーニングに向き合う。「日々の積み重ね」の大切さを鹿島ユース時代の熊谷監督らから学んだ

これまでの人生で一番悔しさがあふれた出来事

アントラーズユースでの3年間を終えたあと、東洋大学に進学します。ただ、トップチームに上がりたい思いも強かったのではないでしょうか?

「そうですね。トップチームに昇格するために頑張ってきたので、熊谷監督から昇格できないことを伝えられたときは、すごく悔しくて泣いたことを今でも覚えています。クラブハウスのCグラウンドに呼ばれて、1、2時間くらい1対1で話しました。これまでの人生のなかでも一番と言っていいくらい、悔しさがあふれた記憶があります」

その悔しさをどのように切り替えていったのですか?

「うーん……、確かその日は一日中ずっと泣いていたと思います。悔しかったけれど熊谷監督からもいろいろと言葉をいただいて、また次の目標に向かっていこうと。そのときはまだ高円宮杯プレミアリーグEASTの試合や、チャンピオンシップも残っていましたから、自分自身のことだけに感情的になっているのは良くなかった。なので、もうトップチームに上がれないことが決まったからには、そのときにやれることをやるだけだという考えにもなりました」

熊谷監督からはどのような言葉をかけられたのですか?

「“大学4年間で頑張って、またこのクラブに戻ってきたり、アントラーズでなくてもプロの世界を目指してほしい”と。それで、大学を経由してもう一度プロの世界を目指したいと思い、東洋大学に進学しました。大学のときはケガをしたり、チームがうまくいっていない時期もあったりしましたが、そのたびにトップチームに上がれなかった悔しい思いをバネにして、常に練習に取り組んでいました」

東洋大学でもキャプテンを務めるなど、チームの中心選手となりました。アントラーズアカデミーで学んだことは大学生活に生かされましたか?

「大学ではより自由な時間が増えたので、そのなかでアントラーズアカデミーで学んだことを常に意識して生活していました。“サッカーのために生活する”ということは大学に入っても忘れることはなく、そのおかげで自分自身、また少しパワーアップできたのかなと思います。アントラーズアカデミーでの10年間があったからこそ、大学を経由して、今ではプロの世界に飛び込むことができたと毎日実感しています」

SC相模原加入が決まったときは、アントラーズアカデミーのスタッフもうれしかったと思います。

「そうですね。つくばジュニアのときの上田原剛監督、木村匡志監督、つくばジュニアユースの土田監督、そして熊谷監督、皆さんに報告したら本当に喜んでくれて、僕自身もうれしかったです。あ、もちろん熊谷監督には真っ先に連絡しました(笑)」

真っ先にだったんですね(笑)。今後もプロ生活において、アントラーズアカデミーで学んだことで大事にしていきたいことは?

「まずは学んだことをピッチ内で表現して、多くの人に愛される選手になっていきたいです。そして、ピッチ外での振る舞いだったり、人間性のところでもファン・サポーターの方々から“良い選手だな”と思ってもらえるように、日ごろから生活していきたい。あと、もっともっと結果にこだわって、“アントラーズアカデミーで育っただけあるな”と言ってもらえるような選手になっていかなければいけないと思っています。僕は大学に進学するまで、アントラーズ以外のチームを知りませんでしたが、大学で一緒にプレーした人たちからは“アントラーズの環境はすごく厳しい”と見られていたようなので、そういったなかで成長したところを体現していきたいです」

では、前田選手を応援するファン・サポーターへのメッセージをお願いします。

「僕は10年間、アントラーズのアカデミーで過ごし、サッカーのこと、人間性のところの大事なことをみっちりと教えてもらい、成長できました。その過程があって、今、プロサッカー選手になれたと思っているので、本当にすばらしい10年間でした。今、当時を振り返ると、厳しさもありましたが、みんなで寮生活を送れたことはすごく楽しかったし、みんなで同じ方向に向かって、常に切磋琢磨し合える環境はすばらしいものでした。そういった環境のなかで成長できたことは僕の誇りです。今はSC相模原でプレーしていますが、アントラーズアカデミーでの10年間と、東洋大学で過ごした4年間のことを決して忘れることなく、もっと上のレベルを目指せるように頑張っていきます。個人として、まずは試合に出て結果にこだわり、より多くの人に応援してもらえるような選手になっていきたい。たくさんの方々にSC相模原の試合を見に来てもらえるとうれしいです。よろしくお願いします」

最後に、現在アントラーズアカデミーでプレーする後輩たちにもメッセージをいただけますか?

「みんな、プロ選手になることを目指して、仲間と一緒に頑張っているときだと思います。そのなかで、例えば“今日、このプレーができたからOK”“今日はゴールを決めたからOK”などと満足するのではなく、“もっとうまくなりたい”という気持ちを忘れずに、常に謙虚な姿勢を持ちながら、サッカーを楽しんでもらいたいと思います。サッカーがうまくなることや、成長することに限界はありません。僕ももっとうまくなりたくて、日々、頑張っています。今の自分よりも、さらにうまい選手は日本中、世界中にゴロゴロといますから。いつかみんながプロ選手になって、一緒にプレーしたり、対戦できたりすれば、僕もうれしいです」