FREAKS

折れない心、立ち向かう勇気

FACE 樋口 雄太

アントラーズ戦士たちの軌跡

特集

樋口 雄太

2023/2/1

自分を中心にチームが動く ボランチでの充実感と達成感

絶望感を味わった一方で、樋口は反骨心も抱いていた。

「絶対に見返してやる」

また、諦めない強い心も持ち合わせていた。

「プロになるためには試合に出続けなければ評価されないと考えました。関東の大学に進学することも検討しましたが、おそらく競争は激しい。ならば出場機会を優先して、九州の大学に進んだほうがいいと思ったんです」

練習参加したうえで決めたのは、九州の強豪として知られる鹿屋体育大学だった。

「ただ、鳥栖のアカデミー時代と同じく、大学でも1年のときはなかなか試合に出ることができませんでした。試合には同学年の選手が出ていたので、そこでまた悔しさを味わいました。もう、試合に出るために、とにかくがむしゃらでしたよね」

そう言って笑うと、今度は真顔になり、樋口は言葉をつないだ。

「サッカーしかやってこなかっただけに、自分にはサッカーしかなかった。大切なのは、折れないこと。逃げてしまったら、自分はそこで終わってしまうと、いつも思っていた」

進学先が体育大学ということもあって、体について学ぶ機会は多かった。体や筋肉に関する知識を得ると、自分自身にも生かそうと、校内にある機器を使って数値を計り、器具を使ってフィジカルの強化に取り組んだ。

「高校のときよりは、はるかに体も大きくなりました。社会性も含め、プロになるために大事なことを、大学では身につけられたと思います」

ユース年代まではFWや中盤でも攻撃的な役割を担うことが多かったが、大学2年になると、新たなポジションで起用された。自身がターニングポイントの一つに挙げる“ボランチ”への転向だった。

「自分を中心にしてボールが動いている感覚がありました。試合では充実感も得られるようになって、勝った試合では達成感もあった。とにかく、チームも自分を中心に回っているようで、心の底からサッカーが楽しいなって思うようになりました」

PHOTO""

大学4年になると背番号10を背負い、キャプテンマークを巻き、中盤の底で存在感を放った。総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントでは、2回戦で関西の強豪・阪南大学を3─0で下し、3回戦では関東の強豪・早稲田大学との接戦を4─3でものにした。

「特に関東大学1部リーグのチームは強いと思っていただけに、自分たちも目の色が変わるところがありました。その相手に対して勝利できたことは大きな自信になりました」

鳥栖からオファーが届いたのは、総理大臣杯を終えた18年10月だった。

「それまでにも、いくつかJリーグのクラブに練習参加させてもらいましたが、なかなかアピールできなかった。時期的にも卒業が近づいてきて、どうしようか考えていたとき、鳥栖から話がありました。U─18からトップに昇格できなかったときは『見返してやる』と思っていましたけど、いざ鳥栖からオファーをもらえたら、うれしかった。即決とまでは言えないですけど、すぐに決断しました」

PHOTO""


鳥栖時代にプロとは何かを教えてくれた大きな背中

「バスがスタジアムに入っていくとき、集まってくれたファン・サポーターが応援してくれる声量がすごくて鳥肌が立ちっぱなしだったことを今でも覚えています」

19年2月23日、明治安田生命J1リーグ第1節の名古屋戦に、樋口はルーキーながらメンバー入りを果たした。スタジアムに入るとき、熱唱するファン・サポーターの声援に「自分がプロになったこと」を実感した。

開幕戦での出場はかなわなかったが、デビューは早かった。3月2日の神戸戦(第2節)で途中出場すると、3日後のYBCルヴァンカップ仙台戦では初めて先発出場を飾った。

しかし、ここでも樋口は“初年度の洗礼”を受ける。

「今までの自信がすべて失われていくようでした。ボランチで先発したんですけど、攻撃では自分のよさをまったく出せず、守備でもボールを奪えなかった。球際でも相手に勝てず、僕のところがすかすかになって突破されて(1─3で)負けました」

自分がミスをするたびに、スタンドからはため息が漏れた。自分が抜かれるたびに、スタジアムはどんよりした空気に包まれた。

「ああ、これがプロか……」

ただし、今までもそうだったように樋口の心は折れなかった。

「試合を終えて、正直、このままではダメだなと思いました」

結果的にプロ1年目の19年は、デビューした第2節が最初で最後になり、以降リーグ戦で出場機会を得ることはなかった。