何気ない出来事が、少年たちを少しずつ成長させてきた。
一本のセーブが人生を変えた選手。
ライバルに負け続けた選手。
ケガで心が折れかけた選手。
親への感謝を力に変えた選手。
鹿島アントラーズユース1年生13人。
未来のトップチーム、そして世界を目指す彼らは、どんな経験を積み重ね、何を大切にしてきたのか。
その答えは、一人ひとりの”原点”の中にある。(第1回/全3回)

シュルツ建斗選手
「迷ったら、行くようにしています」
挑戦の積み重ねが育てた判断力
【GKシュルツ建斗の原点】
迷ったときは、まず一歩を踏み出してみる。
シュルツ建斗がゴールキーパーになったのも、思いがけない誘いが始まりだった。
サッカーを始めたのは幼稚園の年長頃。友人に誘われ、つくば市の東光台FCでボールを蹴り始めた。その友人が通っていた鹿島アントラーズのスクールにも入り、少しずつサッカーに夢中になっていった。
小学4年で、鹿島アントラーズつくばジュニアのセレクションに挑戦した。当時はフィールドプレーヤーだったが、2次選考で不合格となった。
その後、スクールのコーチから一本の電話が入った。
「GKをやってみないかと言われました。ほとんどやったことがなかったので、びっくりしました」
グローブを着けることも、ボールを受けることも初めてに近かった。思うようにキャッチできなかった。それでもGKとして3次・4次選考へ進み、合格をつかんだ。
「受かったときは、うれしいというより驚きの方が大きかったです」
最初に苦労したのは、ポジショニングと判断だった。技術は練習を重ねれば身につく。しかし、前へ出るのか、ゴールに残るのか。その判断には経験が必要だった。
だからこそ、失敗を恐れずに挑戦した。
「コーチから、ミスを怖がらずにどんどんチャレンジしろと言われていました。迷ったら行くようにしています」
一度飛び出して失敗したら、なぜ届かなかったのかを考える。ポジションが悪かったのか、動き出しが遅かったのか。それとも、出ない方がよかったのか。振り返り、次のプレーでもう一度確かめた。
その積み重ねが、背後への飛び出しやクロスへの対応、そこからの素早いカウンターという武器につながった。
小学5年の全国大会では、決勝でシュートを止め、仲間から大きな声を掛けられた。一方、小学6年の冬の全国大会では、自らのキックミスが決勝点につながり、ベスト16で敗れた。
「ショックは大きかったです。でも、サッカーを嫌いにはなりませんでした」
成功も失敗も、すべてが次の判断を支える経験になった。
年代別日本代表の活動では、海外選手のスピードやパワーにも触れた。直近の活動では、際どい背後へのボールにも迷わず飛び出し、相手より先に触ることができた。
「代表に選ばれるだけではなく、そこで何ができるかが大事です。練習でできても、試合でできなければ意味がないと思っています」
目標は、プレミアリーグに絡み、一日一日、自分にできることを出し切ること。そしてトップチームへ昇格することだ。
「サッカーは楽しくやりたいです。できなかったことができたり、いいシュートを止められたりしたときが一番楽しいんです」
偶然始まったGKへの道を、自らの挑戦で正解に変えてきた。シュルツ建斗は今日も、その一歩を積み重ねている。

布袋田 結太選手
「限界を超えたら、走れるようになった」
3本連続出場が変えた、自らの限界
【MF布袋田結太の原点】
苦しかった時間ほど、不思議と記憶に残っているものだ。
小学5年生のときのことだ。トレーニングマッチで、それまで交代しながら出場していた布袋田結太は、ある日突然、3本連続でピッチへ送り出された。
「本当にきつかったです。『この試合が終われば終わりだ』って、それだけを考えて走っていました。でも、不思議なんですけど、3本目の終わりぐらいから急に走れるようになったんです。そこから、自分でも『走れるようになったな』って思いました」
限界を超えた先に、新しい自分がいた。その日の経験は、今も布袋田の原点になっている。
幼稚園の頃、友人に誘われてサッカーを始めた。父もサッカー経験者で、仕事から帰ると一緒にボールを蹴った。クロスを上げてもらい、ヘディングを繰り返す。そんな何気ない時間が、現在の武器にもつながっている。
「ヘディングは小さい頃から好きでした。お父さんが毎日のようにクロスを上げてくれて練習していました。それが今でも自分の武器になっています」
鹿島アントラーズつくばジュニアへ加入した当初は「チームで一番下手だった」という。
「練習についていくので精いっぱいでした。でも、中野さん(現ユース監督、元つくばジュニア監督)に『最後までやり切れ』と言われ続けて、少しずつ自分が変わっていきました」
ドリブルも、走力も、視野も、一つずつ積み重ねてきた。中学生年代では全国大会も経験した。一方で、忘れられない悔しさもある。
「クラブユース予選でPKを外して負けたことです。もっとできたと思いました。そこからは人のせいにするんじゃなくて、自分に矢印を向けようと思いました」
今でも、大切にしている言葉だ。
ユースへ昇格してまず感じたのは、レベルの差だった。
「フィジカルから全然違いました。まだまだだなと思いました。でも、この夏でもっと成長したいと思っています」
自信を持つこと。そして、自分に矢印を向け続けること。その積み重ねが、布袋田の未来を築いていく。
「トップチームで試合に出たい。そのためにはサッカーだけじゃなく、人としても成長しないといけないと思っています」
苦しさの先で知った“限界の向こう側”。布袋田は、今もその先を目指して走り続けている。

中島 翔琉選手
「調子が悪いときに、どれだけやれるか」
1年間のケガで向き合った、自分自身
【DF中島翔琉の原点】
思うようにプレーできない時間が、自分自身と向き合うきっかけになった。
中学1年生の終わりには、3年生の高円宮杯に出場。中学2年生の序盤もスタメンとしてプレーし、「このままいける」と感じていた。
しかし、ケガがすべてを止めた。前十字靱帯を負傷し、腰椎分離症も重なった。およそ1年間、思うようにサッカーができなかった。
「一番悔しかったですね。サッカーができない時間が続いて、ケガの期間は自分と向き合う時間も増えました。どうしていけばいいのかを考えることも増えました」
3歳でサッカーを始めた。
きっかけは、中国でプロサッカー選手としてプレーしていた叔父の存在だった。父のスマートフォンで映像を見て憧れ、父と一緒にボールを蹴った。
「自分もサッカーをやりたいって、お父さんに話した記憶があります。もう、サッカーをやりたいという気持ちでいっぱいでした」
埼玉県のレジスタFCを経て、小学3年生で鹿島アントラーズつくばのスクールへ。そこで大切にするようになったのが、「個で勝つ」ことだった。
「チームとして戦うんですけど、まずは個で勝たなければいけない。そこはずっと大事にしてきました」
幼い頃から、一対一や球際には自信があった。身体をぶつけ、声を出し、目の前の相手に負けない。現在も筋力トレーニングに取り組み、その強さを磨き続けている。
だからこそ、長くピッチを離れた時間は苦しかった。
それでも、サッカーができないからこそ、自分にできることを考えるようになった。ケガをできるだけ防ぐためのケア。復帰した後のプレー。そして、人との関わり方。ピッチの外にも目を向けるようになった。
「毎日、調子がいいわけじゃないと思うんです。だから、調子が悪いときに自分がどれだけやれるか。あとは、自信を持つこともこの3年間で大事にしていきたいです」
プレースタイルを一言で表すなら、迷いはない。
「“削り屋”と言えば自分です」
一対一で戦う。球際へ飛び込む。目の前の相手に負けない。その根っこは、幼い頃から変わっていない。
目標は、鹿島アントラーズでプロサッカー選手になること。
「そのために、日々の練習から自分にできることを探していきたいです」
サッカーができなかった1年間は、自分自身を見つめる時間になった。調子がいい日も、悪い日も。中島翔琉は日々、自分にできることを探し続けている。

柿沼 伶音選手
「できないなら、できるまでやる」
上手い選手から学び続けた日々
【MF柿沼伶音の原点】
できないなら、できるまでやる。それが柿沼伶音だった。
幼稚園でサッカーを始め、小学生になると地元・我孫子隼サッカークラブへ加入した。もっと高いレベルでプレーしたい。その思いから、小学3年になるとJクラブのセレクションへ挑戦する。
しかし、結果は不合格だった。
「レイソルも、アントラーズも、ジェフも受けたんですけど、全部落ちました」
それでも諦めなかった。
小学4年で鹿島アントラーズつくばジュニアへ加入。当時を振り返る。
「最初は本当に何もできませんでした。みんな上手かったです」
ただ悔しがるだけでは終わらない。オフの日もスクールへ通い、上の学年の選手のプレーを見続けた。
「上手い人がどうやってプレーしているのか、ずっと見ていました。足元でボールを受けるときの体の向きとか、判断の速さとか。そういうところを真似していました」
積み重ねは少しずつ自信へ変わっていった。
中学1年の終わりには、3年生の試合でも自分のプレーを出せるようになり、中学2年では主力としてピッチに立った。全国大会や年代別代表も経験した。それでも満足はなかった。
「上の学年に入ると、やっぱり何もできないんです。でも、その日は落ち込んでも、次の日には『また頑張ろう』って切り替えていました」
その思いを書き留めてきたのが、サッカーノートだった。
「小学校の頃からずっと書いています。その日に感じたこととか、できなかったこととかを書いて、次はどうするかを考えています」
ユースへ昇格した今も、武器は左足のキックだ。だが、それ以上に磨きたいものがある。
「走力ですね。そこはもっと伸ばさないといけないと思っています」
目標はトップチーム。ただ、そのために焦ることはない。
「毎日成長していけば、その先に結果があると思っています」
上手い選手を見て、真似をして、ノートを書いて、また次の日の練習へ向かう。柿沼伶音は今日も、昨日の自分を少しだけ追い越そうとしている。

土井 空芽選手
「自分に勝てる日は、まだ先にある」
感謝が支える、強いメンタル
【FW土井空芽の原点】
強くありたい。それは相手に勝つことではなく、自分に勝つことだった。
5歳でサッカーを始めた。2人の兄の背中を追い掛け、茨城県の御所SSSへ加入。幼い頃から身体能力に恵まれ、小学1年で4年生、小学3年では6年生の試合に出場した。
「その頃はフィジカルで何とかなっていました」
小学4年で鹿島アントラーズつくばジュニアへ加入。そこでも上の学年でプレーする機会が多かった。
しかし、中学へ進むと初めて壁にぶつかる。
「上の学年になると、体も同じくらいになってきて、最初は全然やれていませんでした」
思うようにプレーできない。自信を失う。そのたびに、自分と向き合い続けた。
「自分はメンタルで左右されやすいんです」
だから、試合前には親のことを思い出すという。
「送り迎えをしてくれたり、ここまで育ててくれた。そういうことを考えると、プレーで返さないといけないなって思うんです」
感謝が、自分を前へ進ませてくれる。ゴミを拾う。ご飯を残さない。
理由は説明できない。
それでも、そういった積み重ねが、自分の心を整えてくれる気がしている。
「何かいいことがあるかもしれないって思うときがあります」
武器は、背後への抜け出しと万能性。目標はトップチームで活躍することだ。
「もっとメンタルを強くして、自分が点を取ってチームを引っ張れる選手になりたいです」
誰よりも戦っている相手は、自分自身なのかもしれない。それでも土井空芽は今日も、感謝を力に変えながら、一歩ずつ前へ進んでいる。

杉山 翔空選手
「上の学年でやるのが楽しかった」
挑戦を楽しみ続けた日々
【MF杉山翔空の原点】
上の学年でプレーすることが、当たり前だった。
小学1年のときにサッカーを始めると、すぐに小学2年生の試合へ出場した。
「ひたすらボールを受けてドリブルしていました。上の学年でも普通に楽しかったです」
怖さはなかった。むしろ、その環境が心地良かった。
父・杉山新は元プロサッカー選手。幼い頃から父とボールを蹴り、父が開いたスクールでもプレーしてきた。
小学5年生になると、鹿島アントラーズつくばのスクールへ。Jクラブのジュニアを目指していたが届かなかった。
それでも前を向いた。
「鹿島のスクールに入って、すごくレベルが高いなと思いました」
ジュニアユースへ進んでも、上の学年でプレーする機会は多かった。最初は何もできなかった。それでも少しずつ、自分のプレーが出せるようになった。
「上の人たちとやる方が、自分は楽しかったです」
韓国遠征が転機になった。慣れない左サイドバック。それでも思い切ってプレーした。
すると、自分でも驚くほど通用した。
「あの遠征で、結構やれるなって思えました」
武器は豊富な運動量。上下動を繰り返し、チームのために走る。その姿勢は、今も変わらない。
「もっと体を大きくしたいです。そこが今の課題だと思っています」
目標はトップ昇格。そのために、まずはユースで存在感を示すことだ。
「(土井)空芽や(布袋田)結太みたいに早く試合に絡んで、すでに試合に出ている選手に近づけるように頑張りたいです」
上のレベルへ飛び込むことを、怖いと思ったことはない。杉山翔空は今日も、一つ上の景色を追い掛けている。