
現役を退いて約2カ月。中村充孝は今、アントラーズのスクールコーチとして、新たな日々を送っている。
長く“プレーする側”として生きてきた男にとって、“伝える側”への変化は決して小さくない。それでも今、中村は少しずつ、自分なりの距離感で新しいサッカーとの向き合い方を探っている。(第1回/全3回)
――引退後の生活には慣れてきましたか?
最初はもう真逆の生活という感覚でしたね。現役のときと生活リズムが全然違うから、体も変な感じやった。でも、もう慣れました。2カ月ちょっと経ったのでね。
――現役を終えて、サッカーの見え方は変わりましたか?
めちゃくちゃ変わりましたね。現役のときって、やっぱり自分が出たいし、自分が活躍したいという思いがまずあるじゃないですか。自分が試合に出ていなかったら、普通にクソッと思っていたし(笑)、“なんで俺じゃないねん”という感覚もずっとあった。でも今は、アントラーズはもちろんそうやし、一緒にプレーした選手がいるチームとか、自然と応援したくなるんですよね。もちろん、“俺の方がうまいのにな”って思うことはありますよ(笑)。でも、終わってみたら、意外とスッキリしたというか。現役が終わって、ちゃんと区切りをつけられた感じがありますね。
――引退を決めるまでは葛藤もありましたか?
ありましたね。やっぱり“まだやれる”という思いはずっとあったので。終わるまでは、何とも言えん気持ちでした。でも引退を発表して、いろいろな人と話をしたりしているうちに、なんか自然と整理されていった感じです。
――特に苦しかった時期を挙げると?
最後のケガのときですね。同じ場所を何回もやって。リハビリして、やっと合流できるというときに、また再発して。それが3回、4回続いた。そのとき、初めて一人で泣きました。自分の体も“よう分からへんな”と思ったし、“あ、無理なんかな”って初めて感じた。それまでは、ケガしても“また治してやろう”という感じでやっていたんですけど、そのときはちょっと自分の中で切れた部分がありましたね。そこから引退という現実が少しずつ出てきた感じです。
――引退後、指導者の道を選びました。その理由は?
正直、“絶対に指導者になる”と決めていたわけじゃないです。でも、サッカーしかやってこなかったし、結局はサッカーに携わるんやろうなというのはあった。そのなかで、やっぱり還元というところにたどり着いたし、アントラーズでという思いは強かったですね。自分を成長させてもらったクラブやし、学んだことも多かったから。
――スクール年代から始めようと思った理由は?
一番、難しいと思ったからです。上のカテゴリーの方が、自分の感覚とか言葉って伝わりやすいと思うんですよ。でも、小さい子ってそうじゃない。言語化も難しいし、伝わりづらい。だからこそ、一年目はそこに身を置いてみようかなと思いました。子どもたちだけじゃなくて、親も含めて、いろいろな思いがあるじゃないですか。そういうのをちゃんと理解したかった。
――実際にやってみてどうですか?
まだ分からないですね。自分が指導者に向いているのかどうかも、正直まだ分からない。でも、やりながら探っている感じです。ただ、子どもたちは意外と反応がいいんですよ。自分ではそんなに“伝える”ことを意識しているつもりじゃないんですけど、自然に話して、プレーで見せながらやっているのが、今はうまくハマってるのかなって。
――自他ともに認める感覚派でしたが、言語化の難しさは感じますか?
もちろんあります。でも、自分の感覚をそのまま伝えるしかないと思っているんですよ。人の言葉をパクっても無理やと思うし。結局、自分がやってきたことを、自分の言葉で伝えるしかないなと。
――周囲のアカデミー指導者たちとの関係性はいかがですか?
そこはめちゃくちゃ意識しています。自分が入ったことで、みんながやりづらくなるのは嫌やったんで。別に俺の方が偉いわけでもないし、むしろみんなの方がキャリアが長い。俺の方が学ぶことは多いと思っているから、そこはフラットにいきたいなって。実際、若いスタッフとかを見ていても、すごいなと思うことがいっぱいあります。子どもたちを盛り上げる力とか、これぞ“プロやな”と。
――今後のビジョンはありますか?
トップチームとか、上のカテゴリーへの興味はあります。でも、まずは今ちゃんとやることかなって。ライセンスもA級までは取りたいと思っています。ただ、ずっと同じカテゴリーを見るというよりは、いろいろな世代を見てみたいなという思いもあります。
――今、子どもたちに一番伝えたいことは?
自分の感覚ですかね。技術もそうやし、考え方もそう。“ああいうことやったんやな”って、後からでも思ってくれたらいい。見返りとかは別に求めてないんですよ。やっぱり、自分がやってきたことをちゃんと伝えたい。ただ、それだけです。