アカデミー・スクールスタッフ紹介
第3回 ノルテエリアスクールコーチ

茨城県と千葉県の計21カ所で開校しているアントラーズサッカースクール。
日々、スクール生の子どもたちにフットボールのすばらしさを伝えるコーチたちは、どのようなフットボール人生を歩み、どのような思いを胸にフットボールと向き合っているのか。
第3回は茨城県北地域の日立市やひたちなか市を中心にスクールを展開するノルテエリアの7名を紹介する。
雄大な太平洋を望むかのように、高台にそびえるアントラーズノルテの事務所の壁には伝統のエンブレムがドシっと構えている。ここは、アントラーズのホームタウンである鹿嶋市から北へおよそ70キロの場所にある茨城県日立市大みか町。かつては日本代表の上田綺世も汗を流したこの町で、そのエンブレムをまとったアカデミースタッフが日々、フットボールに向き合っている。
「この街は海と山がすごく近くて、山の上からきれいな海を見渡せる景色が故郷とすごく似ている。親近感が湧くし、すごく住みやすい」
事務所の窓越しに見える海を眺めながら、西畑瞭チーフコーチはそう話す。兵庫県神戸市で生まれ育ち、早稲田大学の先輩でもある鈴木修人アカデミーマネージャーとの縁があってアントラーズスクールに加入した。大学院を出てから地元の兵庫県で4年間、教員を務めていたが、「もっとフットボールを突き詰めたい」との思いから再び故郷を離れ、アントラーズのエンブレムを身にまとう。
2000年、国内タイトルを総なめにしたディープレッドのイレブンを見て、「こんなに強いチームが日本にあるのか……。まるで別世界だ」と衝撃を受けた。それだけに、「今でもここに来られたことに驚いている」と、そのエンブレムの歴史と伝統を感じながら、「この街の自慢になるような選手を一人でも多く輩出したい」と日々の活動に全身全霊を捧ぐ。

かつては鈴木アカデミーマネージャーとともに明治学院大学サッカー部の指導も担っていた西畑チーフコーチ
そんな日立の街で、川上綾太コーチは生まれ育った。弟とともにアントラーズノルテで成長し、今夏のインターハイを制したことでも知られる明秀学園日立高校サッカー部でフットボールに打ち込んだ。自身の足跡をたどると、「ケガが多かったけれど、チャレンジャー精神を学び、人として自立することもできた」と懐かしむ高校時代の先に、幼少期の記憶が燦然と輝く。「アントラーズスクールのコーチが特にカッコよかった。小学生のころは“フットボール選手になりたい”というよりも“アントラーズのコーチになりたい”と思っていた。めちゃくちゃフットボールがうまいし、おもしろいし、きらきらと輝いて見えたから」と、憧れのまなざしを向けた。
大人になり、今となってはその視線を受ける立場だ。「子どもたちにとっては、フットボールを始めた頃の思い出がとても大事なんです。フットボールをプレーする喜びを感じてもらうためにも、そのきっかけとなる思い出がすばらしいものであってほしい。だから、自分自身が接している子たちには、そういう思い出を与えてあげられれば」と、自身の原点を振り返りながら子どもたちに寄り添う。

アントラーズが大好きで、トップチームのアウェイゲームの応援にも行っていた川上コーチ
小室真綾コーチも茨城県北地域の北茨城市で生まれ育ち、幼少期はアントラーズスクールでフットボールに励んだ。高校時代に「全国大会を経験したかった」と県内の女子サッカーの強豪である鹿島学園高校に通い、卒業後は保育士の資格を取るために専門学校に通った。20歳のとき、タイムカプセルを開くと、そこには「将来はフットボールに関わる仕事に就いてほしい」との文字。過去の自分自身からのメッセージに思いを巡らせていたなか、偶然にもアントラーズスクール時代のコーチだった笹目学アカデミーサブダイレクターと再会し、ノルテスクールのコーチに抜てきされた。
今では「自分の好きなフットボールを大好きな子どもたちに教えることができて、この仕事は自分に合っていると思う」と充実した毎日を過ごす。「子どもたちにとって、アントラーズが生活の一部になっていることを実感できるのがうれしい。私自身は実力がまだまだ足りない。フットボールコーチという仕事をする以上は、できる限り、ずっとアントラーズで学び続けたい」とコーチとしてのさらなる成長を志す。

女子スクールに通う女の子たちに笑顔で接し、女子サッカーの普及も目指す小室コーチ
GK出身の根本将コーチも日々、フットボールを学び続ける。「ソガさん(曽ケ端準ユースGKコーチ)やアキさん(佐藤昭大ジュニアユースGKコーチ)、杉山哲さん(つくばエリアスクールコーチ)らと一緒に指導実践に参加できることが一番うれしい」と、トップチームのゴールを守った守護神たちと活動できる幸福を感じている。
茨城県水戸市で生まれ育ち、高校時代に国体選抜にも選ばれた。そこでアントラーズユースの選手たちとともに戦い、彼らのレベルの高さを実感した。過去の経験と、現在の活動に触れて、「精神的な強さがアントラーズのGKに求められる。リーダーシップを持って、チームを引き締める。それがアントラーズのGKのDNA」と自身が育てるべきGK像を明確にする。「日立校には小学2年生でGKコースに通う子もいる。低学年からGKコースに来てくれるのはすごくうれしい。“ゴールを守りたい”という思いを大事にしてあげたい。現代はいろいろなことがGKに求められるけれど、やはり一番の仕事はゴールを守ること。ゆくゆくは自分の意思でGKとして活躍できる方法を探求していける選手を一人でも多く育てられれば」と、後進の育成に日々努めている。

東京学芸大学の学生だったときから指導者を務めている根本コーチ
一方で、最前線のポジションでフットボールに向き合ってきたのが川島鉄平コーチだ。群馬県前橋市出身。周りの友人たちが他クラブを応援するなか、「アントラーズが大好きな父親に影響されて」自然と深紅のイレブンに憧れを抱いていった。幼少期のアイドルは、同じポジションだった興梠慎三(現浦和)。「髪型をマネして、同じスパイクを履いて、当時の監督には“13番をつけさせてほしい”とお願いをした」と、アントラーズの3連覇時代を支えたストライカーになりきった。
高校時代は工業高校に通い、卒業後の就職も考えたが、「フットボールの仕事に就きたい」と東京の専門学校へ進学。フットボールのコーチングを学ぶと、実習生として鹿島スクールで活動できるチャンスをつかみ、それからノルテスクールへと赴任した。幼少期から憧れ続けたエンブレムを胸に、子どもたちと向き合う日々に「彼らがフットボールの喜びを感じ、本気で取り組み、そして成長していく姿を見られることがやりがい」と表情をゆるめる。「フットボールの喜びを感じながらプレーさせることを意識しているが、例えば3歳と小学6年生では喜びの感じ方が全然違うと思うので、年代に合った指導を心がけている。子どもたちが本気になれるような声掛けや、雰囲気づくりを意識していきたい」と、笑顔を絶やさず子どもたちに接している。

幼少期は、活動内容を熱心にサッカーノートに記録していた川島コーチ
人一倍に明るく、元気な姿勢でフットボールに向き合うのは、栗原悠コーチも同様だ。モットーは「熱く、楽しく、元気よく!」。中学まで東京都で過ごしながら、現在、トップチームで活躍する植田直通に憧れて熊本県の大津高校へと進学した。「血を流して戦っている植田直通選手がカッコいい……」と、その男気あふれるプレースタイルの虜になり、趣味の筋トレで鍛えた肉体と、ビシッと決めた髪型をトレードマークに、「常に一生懸命やる、常に走る、常に声を出して戦う」姿勢で子どもたちの指導にあたっている。
ただし、植田と同じルートを目指して越境進学した高校時代は、山あり谷ありの連続だった。進学先の大津高校で活躍することはできなかったが、植田を指導した平岡和徳先生から“凡事徹底”に努めることの大切さを学んだ。大津高校を卒業してからは神奈川県の専門学校に通い、横浜FMのスクールコーチを経てたどり着いたアントラーズスクールでも「その精神、考え方がすごく似ている」と実感する日々。恩師の教えと、先輩への憧れを胸に、「柳沢敦さん(鹿島ユース監督)、小笠原満男さん(アカデミーテクニカルアドバイザー)、曽ケ端さん、そして植田選手のように、その人を見ただけで“アントラーズ”って思ってもらえるような人間性を身に着けていきたい」と、人としての成長に思いを馳せる。

カラーコーンを使った独特な方法で子どもたちを盛り上げる栗原コーチ
鹿島エリアスクールからノルテエリアスクールにやってきた村居一輝コーチもアントラーズの空気感を意識しながら日々の指導に向き合う。もともとは出身地の兵庫県淡路島に近い奈良県の街クラブの指導者を務めていたが、「コーチとして、街クラブでやっていたことがどのくらい通用するのかチャレンジしたい」と、慣れ親しんだ関西を離れてアントラーズのスクールコーチになった。
「関西から鹿嶋に来たときも、すぐに気質がちょっと違うと感じた」というほどアントラーズを取り巻く空気感の特異性を感じているだけに、ノルテエリアに移ってからも「簡単なことではないけれど、その空気感をこちらでも醸成したい」と努力する。そのためには、日々の積み重ねが大切であることは重々承知の上だ。「献身・誠実・尊重のジーコスピリットを日々、みんなが体現できないと、それは作り上げられないもの。継続することは難しいけれど、まずは大人の僕らができていないと、子どもたちもできない。そういう空気感を作るために、毎回、努力し続けなければいけない」と、アントラーズの一員である由縁を体現している。

関西出身者らしく明るく、陽気な雰囲気で子どもたちと接する村居コーチ
アントラーズの伝統と文化が息づく鹿嶋市から遠く離れた茨城県北地域でも、そのエンブレムへの誇りと責任は揺るがない。
「ノルテエリアスクールにいるのは、個性豊かなコーチたちばかりです! 子どもたちに喜びを感じてもらい、そしてフットボールが上手になってもらいたいと強く思いながら活動しています」(西畑チーフコーチ)
ポルトガル語で「北」を意味する“ノルテ”エリア。その地でフットボールに夢中になる子どもたちに喜びを与えるために、そして上田や溝口修平に続く選手を育てるために――。凡事に徹する7人のコーチたちが、今日も変わらぬ情熱をたぎらせ、茨城県北部でアントラーズとフットボールの魅力を発信している。

ノルテエリアスクールの活動拠点でもある日立製作所大みかグラウンド