ACADEMY FREAKS Vol.2

クラブの幹を大切に守り抜く

INTERVIEW

伝統の伝道者たち
鹿島ユース 市川友也コーチ兼GKチーフコーチ

1993年のJリーグ開幕を控えた1991年、アントラーズが発足した。Jリーグのクラブは選手を育成する下部組織を持つことが義務づけられたため、アントラーズアカデミーが設立された。それから30年以上が経過し、どのような伝統が紡がれてきたのだろうか――。
選手として鹿島ユースでプレーし、現在は後進の指導にあたる市川友也ユースコーチ兼GKチーフコーチは、アントラーズとともに歩んだ人生を振り返りながら、このクラブの未来に思いを馳せる。

グラウンドを転々としながら練習していた

―市川コーチが1998年にアカデミーコーチに就任され、25年が経ちました。

「就任してからもう、そんなに経ちますか。僕がユースの選手だった時期も合わせると、もう30年近くもアカデミーに関わっていたことになりますね」

―30年も前の話となりますが、選手としてアカデミーに入ったきっかけを教えてください。

「このアントラーズアカデミーができたのは、僕が中学3年生のときでした。中学校を卒業するときにJリーグが誕生することになり、それに際して各クラブにアカデミー組織が作られたんです。当初、僕はアントラーズにアカデミーができることをまったく知らず、たまたま家で購読していた新聞の折り込みチラシを目にして、アントラーズのアカデミーが発足することを知りました。僕もフットボールが好きで、高校生になってからも続けていこうと思っていたので、当時の先輩や同級生にも相談しつつ、プロ選手を目指すような、より高いレベルのチームでプレーしてみたいと思い、ユースのセレクションを受けてみたことがきっかけでした」

―当時のユースのセレクションはどのような状況だったのでしょうか?

「あの当時、どれくらいの人数がセレクションに参加していましたかね……。おそらく、100人以上は参加者がいたかと思います。GKも10人以上は参加していました。そのなかから、最終的に僕を含めて3人のGK選手がセレクションに合格しました」

―当時、セレクションに参加していた選手は地元の顔見知りが多かったのでしょうか?

「だいたいは、鹿島地域(当時)に住んでいた子たちがセレクションを受けに来ていましたが、遠方からも何人かは参加していましたね。例えば東京からバスに乗って来たり。ただ、現在のようにユースの寮などはなかったので、セレクションに合格した20人ぐらいの選手は皆、自転車や公共交通機関を利用して自力で練習に通っていました」

―ユースの活動のなかで思い出深いことはありますか?

「僕自身、ユースで活動していたのは高校2年生までの2年間でした。というのも、高校3年生のときはもう、トップの練習に参加させてもらっていたんです。だから、ユースでの活動期間は2年間と短かったのですが、当時の監督だった椎本(邦一)さん(現チーフスカウト)がとにかくよく走っていたことをいつも思い出します(笑)。毎週火曜日はフィジカル的なメニューを中心にトレーニングが組まれていて、例えばグラウンド10周をみんなで競走したりもしていましたが、椎本さんが一番速かったです。それがユース時代でもっとも思い出深いことですね(笑)」

―当時のトレーニング環境はどうでしたか?

「今ではクラブハウスやアカデミーハウスのようなすばらしい施設で活動できていますが、当時はクラブハウスのグラウンドで練習できる機会はたまにある程度で、主にクラブハウス近隣にある多目的グラウンドや、住友金属(当時)の敷地内にあるグラウンドの2カ所を転々としながら練習していました。僕たちは高校生の頃、そういった環境のなかで一生懸命に頑張っていましたね」

―当時はどのようなチームメートに囲まれて活動されていたのでしょうか?

「フットボールのチームなので当然、もともと中学までフットボールを経験してきた人たちの集団だと思いますよね?でも、実際にはそんなことはなくて、未経験者や中学生までずっと他のスポーツに打ち込んできた人もいたんです。ポジションは“セカンド”や“サード”って言う人もいたくらいで(笑)。当時はまだ、今のようにフットボールの人口が多いわけではなく、野球の方が盛んだったのでしょう。セレクションでは運動能力に優れた選手が合格した結果、ユースでは高校生から本格的にフットボールを始める選手も何人かいる状況になりました」

―日本でそこまでフットボールが盛んではなかった時代背景があるなか、市川コーチはなぜ、当初から熱心だったのでしょうか?

「僕は漫画“キャプテン翼”に影響されて、小学生のときからフットボールに夢中になっていたんです。キャプテン翼を読んで、サッカー選手に憧れを抱いていましたから。GKでは若林くんや若島津くんがいますし、点取り屋やゲームメーカーなど、フットボールにはどのポジションにおいてもスター選手がいることを知ったので、いつも“カッコいいな~”と思いながら漫画を読んでいました」

トップ昇格第1号はうれしい反面、不安も大きかった

―高校3年のときからトップの練習に参加していた頃の記憶も振り返っていただけますか?

「そうですね、高校生のときにトップの練習に参加していたのは僕だけでしたが、それは当時のトップのGKが5人いたうちの4人がケガや体調不良で離脱するなど、タイミングが重なったからでもありました。ただ、それがきっかけとなり、その後も高校3年のときはトップで活動できたことは幸運でした」

―当時はどのような思いでトップの練習に参加していたのでしょうか?

「それまではプロのレベルを体感したことはなかったし、今のようにプロの試合を間近で見る機会が多いわけではなかったので、当初はプロがどれぐらいのレベルなのか、分かりませんでした。ただ、トップに行くからには、絶対に何か存在意義のようなものを示してやろうと、強い思いを胸に抱いていました」

―実際にトップの練習に参加して、どうでしたか?

「やはりプロのプレースピードやパワーはすごくて、試合では展開が速すぎて目が追いついていかなかったんです。打たれるシュートの球速もめちゃくちゃ速くて、それまでユースで防げていたシュートが防げない。自分が思っていたスピード感とはまったく違い、衝撃的でした」

―プロのGKから受けた影響はありましたか?

「当時は千葉(修)さんや古川(昌明)さんが試合に出ていましたが、試合でのパフォーマンスはもちろんのこと、彼らのストイックにトレーニングに取り組む姿勢を見て、自分に足りないことの多さを痛感しました。実際に“プロで活躍する選手はこうなんだ”と肌で感じることや、見習うことが多かったです」

―そういった高校3年間を経て、アカデミーから初めて輩出されたプロ選手になりました。当時はどのような気持ちでしたか?

「やはり、純粋にうれしかったですよ。ただ、高校3年のときから実際に練習参加をしてプレーの質やレベルの高さを体感していたので、うれしい反面、不安も大きかったことを覚えています。本当にプロでやっていけるのか、実際に試合に出たら活躍できるのか、と感じていたところはありました」

―実際にプロ選手になってからの変化はありましたか?

「高校生のときは、周りの選手たちが練習中に気を遣ってくれたところもあったと思います。例えば、シュート練習のときに僕がゴールを守っていると、打つほうも100パーセントの力ではなかったり。それがプロになったことで手加減みたいなものはまったくなくなり、自分自身に対して厳しく指導してくれる先輩もたくさんいて、改めてプロの世界に飛び込んだことを実感しました。もう年齢は関係なく、プロはプロ。周りからも、高校生やユースの選手ではなく1人のプロ選手として見てくれていていることを感じました。そのなかで自分はまだまだ甘いと思ったし、当時は“本当にプロの世界でできるのか”という不安のほうが大きくなっていったことを覚えています」

―3年間にわたりプロ選手として在籍した後は、すぐにアカデミーコーチとなりました。

「トップでは試合に絡むことはなく、そのため実績も残せませんでした。アントラーズを離れることが決まってからは、これからもプロ選手として続けていくことが正しいのかどうかという思いがありつつも他チームへの移籍も模索しましたが、最終的には現役を引退して、指導者になりました」

―まだ20代前半だった頃に指導者になろうと思った理由は?

「まず、他チームの練習に参加しても、自分なりに力が足りないと痛感していたんです。仮にプレーできるチームが見つかったとしても、そこから先も長くプロ選手として続けていくのは難しいだろうと。そう思っていたとき、僕が小学生くらいのときから交流していた指導者に、“もしかしたら市川は指導者の方が向いているんじゃないか?”と言われたんです。その言葉が後押しにもなり、指導者の道に進むことを決心しました」

―当初はどのようなことを心がけて指導をしていましたか?

「プロ選手として培ったものを子どもたちに還元するために、何か言葉で伝えるよりも、実際に自分が選手たちと一緒にプレーをするのが手っ取り早いかと思い、まずはプレーしながら選手たちに伝えていくことを意識しました。周りのコーチングスタッフの方々からも“動けるうちは一緒に動いて、いろいろなことを子どもたちに吸収してもらったほうがいいんじゃないか”と助言をいただいていましたので」

―アカデミーコーチになってからはユースだけでなく、トップやジュニアユースでも指導されます。各年代の指導経験を振り返っていただけますか?

「年齢が下になればなるほど、トレーニングでは基本的なことを徹底させてきました。基本の繰り返しが重要だと思っています。そのなかで、選手の年齢による感情の起伏や、性格的、メンタル的なところなど、プレー面以外のところでの影響についてもしっかりと見極めながら、選手一人ひとりに向き合うことを意識してきました。ときには厳しく指導しなければいけないこともあります。ただ、高校生くらいになるとある程度は自分で考えて行動できる選手が多いので、そういった年代の選手たちとはフットボールにより向き合ってこられたのかなと思っています」

GKはゴールを守ることを第一に考えてほしい

―これまで市川コーチが関わってプロになった選手に共通する特徴はありますか?

「プロになった選手は、良い意味で変わった性格の持ち主が多かった印象です。性格的に明るかったり、周りからいじられてもまったくネガティブに捉えることがなかったり、プロになった選手は皆、そういったところが共通してあったように思います。つまり、パーソナリティーに特徴があるということですよね。僕が指導してきたなかで最初にプロ選手になったのは八木(直生)選手なのですが、彼もすごく明るくて、周りからとても愛されるキャラクターの持ち主でした。長身を生かしつつ、身のこなしがうまいプレーが特長でもあったので、年代別の日本代表にも選ばれていましたね」

―八木選手の他にも、最近では沖悠哉選手や山田大樹選手(現岡山)といったGKがアカデミーから輩出されています。

「選手としての運動能力やGKとしてのスキル、さらに、今話題にも挙がったようなそれぞれの優れたパーソナリティーが備わっているからこそ、彼らはプロ選手になれたのだと思います。アカデミーでは常にGKの基礎技術向上のためのトレーニングを徹底して繰り返してきたので、そこにも尽きるのかなと。また、アントラーズアカデミーのコーチングスタッフは常に情熱を注ぎ、辛抱強く選手の成長を見守ることを大切にしているので、そういった姿勢もプロ選手を輩出する一つの要因になっているのかもしれません」

―現代のGKには足元の技術など求められるスキルが多いと感じますが、やはり基礎技術は大切だと。

「GKにはゴールを守る役割が大前提としてあります。その上で、基礎技術向上のためのトレーニングを繰り返し、反復していくことが、特に下のカテゴリーから必要だと思っています。やはりGKとして簡単に失点してほしくないし、失点しないことへのこだわりも持たなければいけません。もしも相手に打たれた1本のシュートで1失点してしまい、試合に負けてしまったら、GKとしてそれほどの後悔はないでしょう。だからこそ、その1本のシュートを止めるために普段のトレーニングを大切にし、自分の元に飛んでくるその1球に懸ける思いを常に持っていてほしいです。仮に足元の技術レベルが高いからといってそのこだわりが少しでも欠けてしまうのはGKとして本末転倒です。GKのポジションで励んでいる以上は、やはりゴールを守ることを第一に考えてほしいと考えています」

―この30年でのアカデミーの変化を感じますか?

「まず僕が選手として在籍した創設期の頃と比べると、全国各地から質の高い選手が集まってきています。この地元からもどんどん有望な選手が入ってきて、彼らがフットボールにより集中できるような組織になってきていると実感しています。その中で、地元出身だと曽ケ端(準)GKコーチもそうですが、プロで活躍できるような選手も増えてきました」

一方で、これから30年後、さらにその先へと前身していく中でも変えてはいけない伝統はどのようなことだと思いますか?

「やはり、このクラブにはジーコクラブアドバイザーがいて、献身・誠実・尊重というジーコスピリットが根付いている。その伝統は絶対的なものなので、これから先も変わることはないでしょう。また、アカデミーとしても変化させることはないかと思っています。これまでに培ってきた基盤を大切にし、そのうえで将来的にプロになって、活躍して、このクラブを支えていくような"アントラーズ愛"の強い選手がさらに増えることが一番いい。日々、フットボールはどんどん進化していて、GKに求められるスキルも増しています。そういった時代の変化に合わせてうまく取り組んでいくことも必要でしょうが、このクラブの伝統のように、変えてはいけないところは絶対に変えません。木に例えるならば、枝葉はどんどん分かれていったとしても、真ん中にある幹の部分は絶対にブレてはいけないということですよね。我々コーチングスタッフ陣は、そういったクラブの幹の部分を大切にし、これからも守り抜いていかなければいけないと思っています」

―今年からユースでは曽ケ端GKコーチと2人でGKを指導する体制になりました。

「複数のコーチで選手たちを見ることによって、気づくことがより多くなるように感じています。僕自身、選手だったときも“こういうクセがあるね”と他の人から気づかされることが多くあったので、選手としては見てくれる人が増えれば、そのぶんいろいろな視点や細かいことに対する指摘も増えて、より成長につながることでしょう。選手にとってメリットの多い体制だと思っています」

―今後はどのようなGKを輩出していきたいですか?

「選手としての資質も重要ですが、この鹿島アントラーズの主役となって、末永くクラブを支えていけるようなパーソナリティーを持った選手を育てていきたいです。もちろん、日本代表や海外のクラブで活躍する夢を持つ選手も多いことでしょう。それでも、まずはしっかりとアントラーズへの愛情を持った選手が、スクールからジュニア、そしてジュニアユース、ユースを経て、トップへと輩出していければと思っています。それは我々にとっての永遠のテーマでもありますね」

―最後に、これからアントラーズアカデミーに入りたくて練習を頑張っている子どもたちへの思いも聞かせてください。

「練習を頑張っている子どもたちは皆、フットボールが好きだから練習に励んでいると思います。だから、その情熱を常に持って、日々、一生懸命にトレーニングに励んでもらいたいです。また、小学生や中学生、高校生は学業もありますので、やはりそういったところも疎かにせずに頑張ってもらい、その上でアントラーズへの情熱も持って取り組んでもらいたい。自分自身の掲げた夢や目標に向かって、とにかくブレずに、一生懸命にトレーニングを積み重ねてもらえればいいかなと思います。みんなにとって夢中になれるものがフットボールであれば、それは僕にとっても、とてもうれしいことですから」