INTERVIEW
伝統の伝道者たち
鹿島ジュニアユース 森島修コーチ

1993年のJリーグ開幕を控えた1991年、アントラーズが発足した。Jリーグのクラブは選手を育成する下部組織を持つことが義務づけられたため、アントラーズアカデミーが設立された。それから30年以上が経過し、どのような伝統が紡がれてきたのだろうか――。
鹿島ジュニアユースや鹿島ジュニアなど、長年にわたり鹿島エリアで指導にあたってきた森島修コーチは、地域の子どもたちを特別視しながら、彼らとともに日々、フットボールに向き合う。
地域との関係性を重要視していた
―今夏、鹿島ジュニアユースは第38回日本クラブユースサッカー選手権(U-15)大会でベスト4に入りました。森島コーチはその成績をどのように捉えていますか?
「トレーニングで取り組んできたことの成果が、全国大会で表れたと思っています。ピッチ内の成果だけではなくて、例えば選手間の競争意識だったり、オフ・ザ・ピッチの行動だったり。篠原義貴監督を始めコーチングスタッフ陣が、普段の練習から選手に働きかけていることが試合にも出ることを実感した大会にもなりました」
―北海道での1週間以上にわたっての遠征でもありました。
「クラブユース選手権のような遠征先での大会では、特に選手たちの普段の振る舞いや自主性が結果にもつながるのではないかと考えています。選手が自主的にアクションを起こすようなことが、特に今の3年生はできているので、そういった日々の積み重ねがチーム全体にも浸透し、成果として表れたのでしょう。もちろん、優勝までたどり着けなかったので足りない部分も多々ありますが、そういった課題がまた見つけられたことはプラスだったのではないでしょうか。冬にももう一つ、全国規模の大きな大会(高円宮杯 JFA 第35回全日本U-15サッカー選手権大会)がありますので、すでにそこに向けて戦っています」
―冬の高円宮杯 JFA 第35回全日本U-15サッカー選手権大会でも好成績が期待されます。
さて、現在は鹿島ジュニアユースのコーチを務める森島コーチがアカデミーコーチになった経緯について聞かせてください。
「僕は1996年からアントラーズアカデミーで指導者としてのキャリアをスタートしました。1991年まで住友金属蹴球団でプレーし、その後は住友金属で社員として働いていたところ、当時アントラーズの育成部長だった、住友金属で一緒にプレーした小松義典さんからスタッフとして声を掛けてもらったことがきっかけでした。最初は鹿島ジュニアの指導を担当しました。ただ、そのときはまだ住友金属の社員だったので、今のコーチングスタッフのように“プロコーチ”ではなかったんですよ」
―当時の住友金属で働く社員と、アントラーズでフットボールを教えるアカデミーコーチの二足の草鞋を履いていたのですね。
「そうです。もちろん、当時からプロコーチとして働いている人もいましたが、そのときのアントラーズアカデミーはプロコーチとアマチュアコーチが混在しているような体制でした。現場のコーチングスタッフが皆、プロ契約を結ぶようになったのはそれから何年か後のことです」
―森島コーチがアントラーズアカデミーに加わった当時は、どのような環境下で指導にあたっていたのでしょうか?
「現在と比べると、当時は指導者もライセンス制度が充実していたわけではありませんでした。そのため、僕自身はこれまでに教わったり、経験したりしてきたことを子どもたちに伝えているような感じでした。アントラーズというクラブとしても、育成組織をイチから発足させて、トップを参考にしながらアカデミーのベースを作っていた時代です。僕がアントラーズアカデミーに来たのはクラブが発足してから数年後のことでしたが、そのときもまだまっさらな状態でした。今では茨城県と千葉県に20校以上を展開するスクールも、まだ1つか2つしかなかった頃です。地域の子どもたちを必死に集めて、フットボールを教えていた時代でした」
―地域の子どもたちを集めるにあたり、特に地域の少年団や学校の部活動が主流だった当時は難しさもあったのではないでしょうか?
「僕が最初に指導したジュニア(小学生年代)に関していうと、地域の少年団はアカデミーが発足するよりもずっと以前から活動していましたから、少年団のスタッフの方々や、地域の方々らとの関係性を重要視していました。アントラーズはセレクションを実施して、そういった地域の子どもたちを集める立場のチームですので、我々の活動にご理解をいただかないといけません。また、我々も地域の子どもたちをより成長させていく責任感を感じていました。子どもたちにただフットボールを教えるだけではなく、そういった関係性の構築にも努めてきた自負があります」
―森島コーチがアントラーズアカデミーで指導をスタートした1996年ごろは、Jリーグの話題が日本中を席巻した時期でした。それにともない、セレクションを受けに来る子どもたちも多かったのでは?
「当時は子どもの数が多かったこともあってか、毎回のセレクションに100人以上の選手が集まっていましたね。その中にソガ(曽ケ端準ユースGKコーチ)のような選手もいましたし、この地域の選抜チームでは指導者の方々が熱心に育成していたこともあって有望な選手が多かった印象もありました。ただ、当時のV川崎(現東京V)や横浜M(現横浜FM)、柏といった都市部のクラブのアカデミー組織とはレベルの差がありましたので、まずはそれらのクラブに追いつくために必死でした。今ではアントラーズもスカウトが充実していて県外から入る選手も増え、選手寮も新しくなりました。環境の充実がチームとしての成績やプロ選手の輩出などの結果につながってきています。黎明期と比べると、とても変化を感じる30年間でもありますね」

常にトップを目指す選手たちの集団ができ上がる
―就任当時、鹿島ジュニアではどのようなことを心がけて指導にあたっていましたか?
「僕たちはまず、熱量を大切にして現場に立っていました。先ほども話したように、地域の指導者が皆、熱心な方々ばかりだったので、僕たちもそれに負けないくらいの熱量を持って指導にあたりました。そのなかで、僕自身は小学生の育成からスタートさせたので、まずは根気強く子どもたちの基礎技術を向上させていくことをベースに指導していました。また、僕も1年間だけでしたが住友金属でジーコと一緒にプレーしていて、ジーコのプロ意識を体感してきましたから、そういった“ジーコスピリット”と呼ばれる精神的なことも当時から頭に入れて子どもたちと向き合っていました」
―“ジーコスピリット”のどのような部分から子どもたちに教えていったのでしょう?
「特に“勝負にこだわる姿勢”です。実は僕自身、最初は“フットボールの喜びを感じられれば、勝ち負けなんてどうでもいいじゃん”というような考え方だったのですが、ジーコと一緒にプレーして勝負にこだわることの大切さを学びました。その考えのもとで、今でも普段のトレーニングの中から勝負事を多く取り入れた練習メニューを組むことを心がけています」
―そのように指導されていくなかで、選手の成長を感じる時期はいつからでしょう?
「選手が変わる一つの時期として挙げられるのは、小学生から中学生になるときです。また、14歳、15歳あたりでも子どもたちが思春期になったりして、すごく変化が見えます。指導者としても、13歳ぐらいまでは技術的なことと勝負にこだわる姿勢を重点的に伝え、14歳、15歳になると、今度は選手自身が考えて行動を起こすことを促したいと考えています」
―選手たちは年を重ねるごとにアントラーズへの誇りやプライドもより強くなるのでは?
「もともと、この地域の子どもたちは年齢に関係なく“とにかくアントラーズでプロになりたいんだ”と強い思いを持っているように感じます。特にこの鹿島エリアでは、ジュニアからジュニアユース、ユース、そしてトップを目指す選手たちの集団が、どの年代でも常にでき上がるのです。それは、アントラーズならではの特徴と言えるかもしれません。例えば、アントラーズではジュニアユースでプレーしながら、最初からユースではなくどこか高校サッカーの名門校を目指すような子どもはほとんどいません。むしろ、“アントラーズでしかやらない”という選手もいるくらいです。常にアントラーズでプレーし続ける思いを強く持った選手たちがここに来て、僕たち指導者も彼らと一緒にプロを目指して本気で向き合う。そんな環境ができ上がっています」
―実際にアントラーズでプロになった選手たちから感じたことはどんなことでしょう?
「やはり、一番に思い浮かぶのは、人一倍にフットボールが大好きな選手たちだということです。僕は優磨(鈴木選手)も見ていた時期があるのですが、優磨は本当にフットボールが大好きでした。他にもプロになった選手は皆、フットボールへの思いが特に強かった印象があります。ただひた向きに“うまくなりたい”という思いを持ってフットボールに向き合い続けた選手たちが、今、あそこ(トップの練習グラウンド)にいるのでしょう。そういった思いの強さが選手としての成長につながり、他の選手よりも抜きん出た能力を身に着け、そしてプロ選手になっていったのだと思います」
―現在、ユースで活躍している佐藤海宏選手や大川佑梧選手(ともに鹿島ジュニアユース出身)からも強い思いを感じますか?
「もちろんです。海宏や佑梧のようなこの地域出身の選手たちからは、特にアントラーズへの思いの強さを感じますね。それは、常にアントラーズを身近で見られる環境があるからでもあるでしょう。2人はどちらもDFなので、一緒にいろいろな映像を見ながら勉強しているようですし、現在のユースの指導陣はクラブのレジェンドばかりなので、プロの第一線で活躍してきた柳沢(敦)監督や小笠原(満男)テクニカルアドバイザーから直々に指導を受けられるのは本当に恵まれていることです」
―やはり、アントラーズのトップが身近にあることは子どもたちにも大きな影響を与えているのでしょうか?
「海宏と佑梧がまだ小学生や中学生だったときから、クラブのレジェンドの方々が実際にプレーを見せてくれたりしているので、その2人はもうプロの基準をわかっているでしょう。それはアントラーズにいなければ得られない経験でもあるので、とてもありがたいことです。さらに2人は年代別日本代表の活動にも参加して、より多くの刺激を受けながら成長している最中です」
―アントラーズアカデミーはノルテエリアとつくばエリアでも活動していますが、この鹿島エリアならではの特徴を感じることはありますか?
「僕はその3エリアすべてで選手たちを指導したことがあります。ノルテエリアとつくばエリアは鹿島エリアと違って、トップの練習やユースの練習を見る機会がなかなか作れません。一方で鹿島エリアの選手たちは普段から自分の目で見られる環境があるので、ユースやトップのレベルを感じ、それらが身近にあることで、よりそこへたどり着きたいという思いが増しているように感じます」

日伯友好カップは意義深い大会
―3つのエリアから成るアントラーズアカデミーですが、森島コーチ自身はやはり長く指導にあたるこの鹿島エリアで育った選手にユースやトップを引っ張っていってほしい思いが強いですか?
「おそらく、それはこの鹿島エリアにいるスタッフ全員が思っていることだと思います。今のトップで聖真(土居選手)と優磨(ともに鹿島ジュニアユース出身)がキャプテンを務めているように、この先もずっと鹿島エリアの選手がユースやトップを引っ張っていってほしいですね。そのためにも、鹿島エリアの選手をユースやトップにより多く送り出すことが僕たちの仕事です」
―そんな土居選手や鈴木選手も輩出されてきたアントラーズアカデミーのこれまでの30年の歴史のなかで、変わらない伝統とはどんなことでしょう?
「子どもたちがフットボールをより好きになるように尽力することは、我々アカデミースタッフは絶対に変えてはいけないことです。このグラウンドでプレーしたい。また明日も、その次の日も、さらにまたその次の日も、いつもそのような思いを選手たちに抱かせて、その延長線上にユースやトップで活躍する選手を1人でも多く輩出できればと思っています」
―ジュニアユースの伝統といえば、日伯友好カップへの参加もその一つです。これまでの大会参加は選手たちにどのような刺激を与えてきたでしょうか?
「大会参加の大きなメリットとしては、やはり海外の選手と戦って、彼らのレベルを肌で感じられること。そして、その経験から何を得られるかがすごく大事になります。参加した選手の話を聞くと、海外の選手は“熱量がまったく違う”とか“こんな甘い戦い方では通用しない”とか、中学生なりにいろいろなことを感じ取っているのがわかります。そういった意味でも、すごく意義深い大会だと思います。さらに、日本と12時間の時差があるブラジルは、もちろん文化や環境もまったく違っているので、実際にそれに触れてみることも大事な経験になっています」
―今年もジュニアユースの選手たちがブラジル遠征から帰国して、その後の変化を感じますか?
「もちろん、毎回のように選手に変化を感じます。選手たちは“俺たちは甘かった”と痛感し、目の色を変えて日々のトレーニングをさらに頑張るようになります。今年に参加した選手たちは好成績を収めたことで手応えを感じたのかもしれませんが、一方でブラジルの強度の違いを肌で感じて“もっと上を目指そうぜ”という意識がより高まった印象もあります」
―森島コーチ自身、日伯友好カップに長年参加されてきました。現地ではどのようなことを感じていましたか?
「ブラジルといえば昔から選手個々の力を重要視していることを感じます。特に、選手個人の熱量と球際の激しさですよね。ブラジルの選手からは“絶対に相手にボールを渡さない”“絶対にゴールを決める”“絶対にボールを奪ってやる”といった気迫を感じます。また、テクニックもそうですが、特に日本人との違いを感じるのは駆け引きのうまさです。“マリーシア”とも呼ばれるようなずる賢さみたいなものを僕も感じましたし、参加した選手たちも実際に体感して帰ってくるのでしょう」
―長い歴史を持つアントラーズアカデミーですが、この先の将来はどのようになっていっていくことを描きますか?
「アントラーズが創設されてから30年以上が経ち、トップで活躍してきた選手たちが指導者としても戻ってきました。彼らは代表チームで世界とも戦っているので、子どもたちにとってすばらしい模範にもなります。今はなかなか日本代表に選手を送り込めていない状況ですが、ここから先の将来、クラブのレジェンドを超えるような選手を1人でも多く輩出できるようなアカデミーになっていければと思います」
―最後に、この鹿島エリアのサッカー少年たちに期待することは何でしょう?
「まずは“アントラーズでプレーしたい”という強い思いを持った選手が多く出てきてくれることです。アントラーズのトップの主役となり、日本代表でも活躍するような選手が、この鹿島エリアから多く生まれてくることを期待したいし、僕たちもそのような選手を成長させられるように、精いっぱい努力していきたいです」
