札幌戦の注目プレーヤーは、植田直通!
5月30日。聖地が闇に包まれた、あの夜。ミックスゾーンに現れた植田直通を、報道陣が呼び止める。渇望していたACL制覇への道のりを閉ざされた直後、心の内を明かしたいと思う者などいない。重苦しい空気に包まれる中で、強張った表情を崩さなかった植田。だがそれでも、アジアでの挑戦が終焉を迎えたという現実と真っすぐに向き合い、静かに言葉を紡いだ。
「結果が全てだと思う。不甲斐ないということだけです」
並々ならぬ思いがあった。直近の3試合は負傷欠場。ピッチへの帰還を目指した日々を経て、強い決意を持って臨んだ90分だった。離脱の悔しさと不甲斐なさ、復帰を果たした高揚感と使命感、そして逆転突破への意志。その全てをぶつけた大一番だった。しかし、求めていた結果を手にすることはできなかった。「残り全てのタイトルを獲るつもりでやらないといけない」。そう言って、植田は悔しさを押し留めようとしていた。
アントラーズ加入5年目、背中に輝く「5」とともに力強く歩みを進めていた植田。異変に襲われたのは、5月12日のことだった。神戸戦を2日後に控えた紅白戦。プレー中は負傷に気付かず、トレーニングを締めくくるシュート練習では豪快なヘディングをゴールへ突き刺した。しかし、ロッカールームへ戻った後でアクシデントが判明。診断は、肉離れ。即座にカムバックへの計算が始まった。2日後のホームゲームは現実的ではない。1週間後の川崎F戦も厳しいだろう。では、中国王者との2試合は――。「広州のアウェイまで10日くらい?余裕で治りますよ」。告げられた全治見込みを凌駕するペースでの帰還を誓い、懸命のリハビリが始まった。
「痛くないですよ。走れますよ」と負傷当日から話していた植田。階段を駆け上がる素振りまで見せて、軽傷であることを周囲に、そして何より自分に言い聞かせているようだった。一日でも早く、ピッチへ――。切迫した思いが背番号5を駆り立てる。神戸戦、1-2。川崎F戦、0-3。チームが暗闇に迷い込む様子を目の当たりにしながら、己の身体と向き合い続けた。その言葉が単なる強がりではないことを証明するかのように、驚異的な速度で回復を遂げていた。だが、しかし――。5月20日、広州へと発つメンバーリストに、その名は刻まれていなかった。わずかに思いは届かず、鹿嶋に残って仲間の健闘を祈ることとなった。
広州の夜、0-1。激闘の末に喫した敗戦を見届けた植田は、チームの帰国後最初のトレーニングから全体合流を果たす。「休んでいたからフレッシュだと思う。働いてみんなをサポートできればいい」と、静かに闘志を燃やした。決して「休んでいた」わけではない。だが、3試合連続でピッチから遠ざかった己への苛立ちが、その言葉に滲み出ていた。
5月31日。「残り全てのタイトルを獲るつもりでやらないといけない」と言って聖地を後にした翌日、監督交代が発表された。自身がピッチへ帰還した一戦を最後に、指揮官が任を解かれる――。プレシーズンマッチではキャプテンマークも託され、絶大なる信頼を得て開幕からピッチに立ち続けてきた背番号5にとって、その巡り合わせは残酷なものでもあった。
「今日は結果が全て。勝つことが大事だったから」
失意と悔恨の夜から5日後、夏のような暑さに見舞われた広島。植田が紡いだ言葉はあの時と同じで、しかし異なる意味合いを持っていた。大岩監督の初陣、3-1。多くを語ろうとしないのは、勝利の後でも変わらない。まるで敗戦後のような険しい表情でスタジアムを後にすることもある向上心の塊は、この日も悔しさを滲ませていた。劣勢を強いられた後半、耐えきれずに喫した失点。ただそれでも、再出発を意味する90分で掴んだ3ポイントの重みを噛み締めているようでもあった。もがき苦しみながら、植田はチームとともに新たな一歩を踏み出した。
「うれしさと悔しさが混じっている。チームとしては嬉しかった。その後、悔しさが出てきた」と、複雑な心境を明かしていたのは半年前のこと。埼玉の夜、魂の90分を演じたアントラーズにあって、植田の姿はピッチ上になかった。J1制覇の瞬間をベンチで迎えた事実は、決して心を満たすものではない。歓喜から一夜明けたクラブハウスで、植田は自主トレに励んだ。向上を誓い、悔しさを振り払うようにボールを蹴り込み、汗を流していた。
それから1か月後、元日決勝。120分に及んだ激闘、その全てを戦い抜いた植田の姿がそこにはあった。「試合に出られない時期もあったけど、それを乗り越えたから今がある。その時期もすごく有意義だったと思うし、腐らずに準備をしてきたからこそだと思う」。ついにタイトル獲得の瞬間をピッチ上で迎えた。着実に、実直に――。一歩ずつ進んできたからこそ、たどり着いた場所だった。
今までも、これからも。全ての経験を糧にして、植田は歩みを進めていく。中断明けの今節は、新体制で初めて臨むホームゲーム。「石井さんのためにも、タイトルを獲って恩返ししないといけない」。その言葉を現実のものにするための長く険しい道のり。背番号5は今日も、不退転の決意を胸にピッチに立つ。
「結果が全てだと思う。不甲斐ないということだけです」
並々ならぬ思いがあった。直近の3試合は負傷欠場。ピッチへの帰還を目指した日々を経て、強い決意を持って臨んだ90分だった。離脱の悔しさと不甲斐なさ、復帰を果たした高揚感と使命感、そして逆転突破への意志。その全てをぶつけた大一番だった。しかし、求めていた結果を手にすることはできなかった。「残り全てのタイトルを獲るつもりでやらないといけない」。そう言って、植田は悔しさを押し留めようとしていた。
アントラーズ加入5年目、背中に輝く「5」とともに力強く歩みを進めていた植田。異変に襲われたのは、5月12日のことだった。神戸戦を2日後に控えた紅白戦。プレー中は負傷に気付かず、トレーニングを締めくくるシュート練習では豪快なヘディングをゴールへ突き刺した。しかし、ロッカールームへ戻った後でアクシデントが判明。診断は、肉離れ。即座にカムバックへの計算が始まった。2日後のホームゲームは現実的ではない。1週間後の川崎F戦も厳しいだろう。では、中国王者との2試合は――。「広州のアウェイまで10日くらい?余裕で治りますよ」。告げられた全治見込みを凌駕するペースでの帰還を誓い、懸命のリハビリが始まった。
「痛くないですよ。走れますよ」と負傷当日から話していた植田。階段を駆け上がる素振りまで見せて、軽傷であることを周囲に、そして何より自分に言い聞かせているようだった。一日でも早く、ピッチへ――。切迫した思いが背番号5を駆り立てる。神戸戦、1-2。川崎F戦、0-3。チームが暗闇に迷い込む様子を目の当たりにしながら、己の身体と向き合い続けた。その言葉が単なる強がりではないことを証明するかのように、驚異的な速度で回復を遂げていた。だが、しかし――。5月20日、広州へと発つメンバーリストに、その名は刻まれていなかった。わずかに思いは届かず、鹿嶋に残って仲間の健闘を祈ることとなった。
広州の夜、0-1。激闘の末に喫した敗戦を見届けた植田は、チームの帰国後最初のトレーニングから全体合流を果たす。「休んでいたからフレッシュだと思う。働いてみんなをサポートできればいい」と、静かに闘志を燃やした。決して「休んでいた」わけではない。だが、3試合連続でピッチから遠ざかった己への苛立ちが、その言葉に滲み出ていた。
5月31日。「残り全てのタイトルを獲るつもりでやらないといけない」と言って聖地を後にした翌日、監督交代が発表された。自身がピッチへ帰還した一戦を最後に、指揮官が任を解かれる――。プレシーズンマッチではキャプテンマークも託され、絶大なる信頼を得て開幕からピッチに立ち続けてきた背番号5にとって、その巡り合わせは残酷なものでもあった。
「今日は結果が全て。勝つことが大事だったから」

「うれしさと悔しさが混じっている。チームとしては嬉しかった。その後、悔しさが出てきた」と、複雑な心境を明かしていたのは半年前のこと。埼玉の夜、魂の90分を演じたアントラーズにあって、植田の姿はピッチ上になかった。J1制覇の瞬間をベンチで迎えた事実は、決して心を満たすものではない。歓喜から一夜明けたクラブハウスで、植田は自主トレに励んだ。向上を誓い、悔しさを振り払うようにボールを蹴り込み、汗を流していた。
それから1か月後、元日決勝。120分に及んだ激闘、その全てを戦い抜いた植田の姿がそこにはあった。「試合に出られない時期もあったけど、それを乗り越えたから今がある。その時期もすごく有意義だったと思うし、腐らずに準備をしてきたからこそだと思う」。ついにタイトル獲得の瞬間をピッチ上で迎えた。着実に、実直に――。一歩ずつ進んできたからこそ、たどり着いた場所だった。
今までも、これからも。全ての経験を糧にして、植田は歩みを進めていく。中断明けの今節は、新体制で初めて臨むホームゲーム。「石井さんのためにも、タイトルを獲って恩返ししないといけない」。その言葉を現実のものにするための長く険しい道のり。背番号5は今日も、不退転の決意を胸にピッチに立つ。

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