アントラーズヒストリー

鹿島横浜、国立での激闘譜

ともに「オリジナル10」の一員として、1993年のJリーグ開幕からトップリーグで戦い続けている鹿島アントラーズと横浜F・マリノス。31年の歴史において、両雄が国立競技場で激突したのは、過去に5回。その激闘の記憶を、再び。

#1 2000年4月1日

国立での初対戦。壮絶な打ち合いは横浜FMに軍配

Match Data
2000年4月1日 Jリーグ ディビジョン1 1stステージ第4節
鹿島アントラーズ 2-3 横浜F・マリノス(国立競技場)
得点者:ベベット、ビスマルク(鹿島)、柳想鐵2、中村俊輔(横浜FM)

国立での初対戦は、白熱のシーソーゲームとなった。ベベットの来日初ゴールでアントラーズが先制すると、1-1で迎えた後半には両チーム1名ずつが退場する、荒れ模様の一戦に。アントラーズは常に先手を取って優位に試合を運んでいたが、ラスト10分に屈辱の展開が待っていた。82分に中村俊輔に得意の左足でミドルシュートを決められると、終了間際に柳想鐵が決勝ゴールを許し、痛恨の逆転負けとなった。

#2 2000年8月5日

熱帯夜、120分の激闘。互いに譲らず、ドロー

Match Data
2000年8月5日 Jリーグ ディビジョン1 2ndステージ第8節
横浜F・マリノス 1-1 鹿島アントラーズ(国立競技場)
得点者:平瀬智行(鹿島)、エジミウソン(横浜FM)

1stステージを制した横浜FMのホームゲームとして行われた、この年2度目の“国立決戦”。前回のリベンジを期すアントラーズは、柳沢敦と平瀬智行の2トップを中心に攻勢をかける。63分、この2人の連係から鮮やかなカウンターを発動し、平瀬が先制ゴール。しかし10分後、ゴール前の混戦から同点ゴールを許す。1-1で延長戦に突入すると、互いに譲らず決着つかず。熱帯夜の激闘は、勝ち点1を分け合うドローとなった。

#3 2000年12月9日

圧巻のゴールラッシュ。アントラーズが3度目のリーグ制覇

Match Data
2000年12月9日 Jリーグ ディビジョン1 1stステージ第4節
鹿島アントラーズ 3-0 横浜F・マリノス(国立競技場)
得点者:鈴木隆行、名良橋晃、中田浩二(鹿島)

国立での初対戦から8か月、この年だけで3度目の“国立決戦”は、リーグ王座を懸けた一戦となった。横浜国際での第1戦をスコアレスドローで終え、迎えた第2戦でアントラーズが圧巻のゴールラッシュを見せた。鈴木隆行が強烈な左足シュートを突き刺して先制すると、秋田豊のラストパスから名良橋晃がボレーシュートを決め、さらに中田浩二が3点目。3-0と圧倒し、アントラーズが3度目のリーグ制覇を成し遂げた。

#4 2003年12月23日

リーグ戦の悔しさを胸に。大量4ゴールでアントラーズが圧勝

Match Data
2003年12月23日 第83回天皇杯全日本サッカー選手権大会 準々決勝
鹿島アントラーズ 4-1 横浜F・マリノス(国立競技場)
得点者:本山雅志、青木剛、小笠原満男2(鹿島)、ドゥトラ(横浜FM)

2003年の2ndステージ最終節、アントラーズは後半終了間際の痛恨の失点で勝利を逃し、優勝を逃した。その裏で、磐田を相手に劇的な逆転勝利を収めた横浜FMがステージ制覇を果たし、リーグ優勝を成し遂げたのだった。そんなシーズンの最後の大会・天皇杯で、悔しさを胸に準々決勝に臨んだアントラーズは、序盤から横浜FMを圧倒。意地の4ゴールで圧勝し、ベスト4へと駒を進めた。

#5 2011年4月23日

フットボールとともにある日常、その喜びを噛み締めて

Match Data
2011年4月23日 Jリーグディビジョン1 第7節
鹿島アントラーズ 0-3 横浜F・マリノス(国立競技場)
得点者:小椋祥平、栗原勇蔵、オウンゴール(横浜FM)

東日本大震災で甚大な被害を受け、カシマスタジアムが約3カ月間、使用不可能となった。中断期間を経て、迎えたリーグ戦再開。国立競技場を舞台に、フットボールのある日常を取り戻す一歩目を迎えた。横浜FMのサポーターが「来年は鹿島でやろう」という横断幕を、選手たちは「WITH HOPE」というバナーを掲げてくれた。フットボールファミリーの友情と真剣勝負の緊張感がピッチを覆う中で戦い抜いた、雨中の90分だった。