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 正直、もう人生最大のどん底でしたーー。松村優太はリハビリ生活を振り返り、そう声を震わせた。

「去年の10月、腰を怪我して、出遅れた。そこから1か月、2か月で復帰したら、またすぐ、怪我をした。最初は2週間ほどで治るって言われてたけど、治療期間が伸びて、伸びて、伸びて...。結局、完全に復帰するまで4か月ほどかかった。正直、リハビリの間はもう心が死んでいた。すべてを放棄したときもあった。メディカルスタッフにあたってしまったこともあった。久々に泣きながら『練習できないです』って訴えたこともあった。普段、親にはなにも言わないけれど、親を頼るくらいの落ち込みようだったーー」

 キャリアを通して、これまで大きな怪我をしたことはなかった。幼い頃から生活の中心は、常にフットボール。初めて奪われ、心にぽっかり穴が空いた。喪失感に苛まれる毎日は、もう言葉に表しきれないほど苦しかった。

「大げさではなく、本当に死んでいたと思う。元通りに治るイメージが全く湧かなかった。もう辞めたい、って何度も思ったし、ずっと痛いし、治らないし...。特に自分は走るスピードが大事な選手。だから、本当にまた走れるのかな...って。怪我なんかしたことないのに。本当にどん底だった」

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 希望を見出せず、得体の知れない恐怖に襲われた。「きついね。もうやめたいよ」。心は完全に打ちのめされていた。

 それでも、彼には支えてくれる仲間がいた。本人いわく「寄り添われすぎると申し訳なってしまう性格」のため、特別ずっと一緒にいた人はいなかったという。ただ、チームメートやスタッフ、監督、アントラーズに関わるすべての人々が「いい距離感」で、いつも声をかけてくれた。それが何よりも心の救いになった。

「みんなが支えてくれたし、声をかけてくれた。健斗くんなんか、毎日やたらと大きな声で挨拶してくれて、僕はもう『死んでいる』から、うまく反応できなかったけれど、その心遣いが、とてもありがたかった。再離脱が決まった翌日には、俺が多分、相当悲しい顔をしてたんだと思う。郁万くんが優しく寄り添ってくれた。傍からみたら、ちょっと強面の見た目かもしれないけど、『大丈夫だよ』って、一緒に寄り添ってくれた。優磨くんも一緒にご飯へ連れて行ってくれた。話し切れないほど、みんなに支えられた」

 苦しかった思い出も、己の弱さも、冗談を交えながら、赤裸々に話してくれた。試練に直面し、乗り越えたことで、人間的にもまた一段と逞しくなったのだろう。

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 そうして、厳しいリハビリを乗り越え、松村がついにピッチに戻ってきた。フットボールができる喜び。それは躍動感のあるプレーから十分に伝わってきた。

 ただ、復帰の喜びに浸るつもりはなかった。離脱期間が長かった分、「悠長なことを言っている立場ではない」と危機感を口にした。

「残り試合数も少なくなった。ここからどれだけ活躍しようが、割りに合う活躍はできないと思う。だけど、待ってくれたサポーターや選手たちがいる。そういう人たちのためにも、少しでもその割りを合わせにいかないといけない。そして、もちろん、フットボールがしたくて仕方なかった自分のためにも」

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 自分は結果が求められる立場。まだ完全にトップフォームとは言えないが、試合に出ればコンディションは関係ない。「磐田戦でも惜しいシーンがあったけど、僕のポジションにはゴールが求められる。しっかり結果を残したい」と力強く言い切った。

「IAIスタジアム日本平は、高校のときから試合をさせてもらっていた。Jリーグのなかで、自分が最もプレーしたことのあるスタジアムだし、プロ初ゴールも決めた。なにかと思い入れのあるスタジアム。また結果を出せるように、いま出せる100%の全力でプレーしたい」

 フットボールができる喜びと新たな覚悟を胸に。松村優太はピッチを颯爽と駆け巡る。

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