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 ジュニア、ジュニアユースをつくばで過ごし、ユースを経てトップチームに昇格した町田浩樹は、アントラーズを知る人たちに育てられ、幼い頃からジーコスピリットを学んできた。本人はアカデミー在籍時を振り返って、次のように語る。

「一番大きいのは、アントラーズを知る人が指導者にいることだった。そうした方々の指導を受け、自然とアカデミーの選手たちにもアントラーズイズムが擦り込まれていく。僕の場合は、それがクマさん(熊谷浩二前コーチ)だった。クマさんには、プレーうんぬんよりも人間性の部分を一番言われたように思う。ジーコスピリットである『献身・誠実・尊重』ではないけれど、何事にも誠実さを持って取り組むこと。プロになるために、いろいろなことを犠牲にしてフットボールに費やすこと。そうした人間性を教わった」

 育成年代の指導において、高い成長意欲と向上心を維持させることは非常に難しい。プロを目指す選手たちは、所属チームの中では頭抜けた存在であり、気を緩ませれば現状に満足してしまう。実際、町田も多感な高校時代には「遊びたくなった時期もあった」という。

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 ただ、アカデミーに在籍していた町田には、明確かつ身近な目標があった。トップチームの存在だ。

「遊びたくなったとき、道をそれずにサッカーに打ち込めたのは、トップチームの練習に参加して、プロのすごさを知り、自分がまだまだということを知っていたから。時間がいくらあっても足りないと思うことができた。自分がトップチームに昇格するためには、朝5時に起きて朝練しても、それでもまだ練習量が足りない。そう思える環境があったから、やり続けることができたと思う」

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 アカデミーで学んだことは、プロになった今でも決して忘れていない。常に高い目標を掲げ、それを達成するために努力する。今年の夏に味わった悔しい経験も、町田にとっては成長のためのエネルギーだ。

「一言でいえば、東京2020オリンピック競技大会は世界と日本の差を突き付けられた大会だった。僕は(南アフリカ戦の)5分間しか、ピッチに立つことはできなかったので、悔しさしか残っていない。ただ、大会直前に戦ったスペインとの親善試合に出場して、自分の物足りなさと、日本サッカーの物足りなさを痛感させられた。それこそ、ユースのときに、初めてトップチームの練習に参加させてもらったとき、何も通用しなくて、自分がちっぽけな存在だと打ちのめされたときのように、スペインに対しては手も足もでなかった。ピッチに立った5分間で、何かが変わったかと問われれば、何も変わっていないと思う。でも、親善試合でスペインと対戦した後、ピッチの外からだけど、本気のスペインとメキシコを見て、世界との差、自分との差を知る機会になった」

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 悔しい経験を経てチームに復帰した町田は、これまで以上に成長のスピードを加速させた。空中戦や対人守備の強さは、試合を追うごとに磨きがかかり、一つひとつのプレーから自信が感じられるようになった。特に直近の広島戦では、激しいコンタクトプレーで相手選手を圧倒した。自信に満ち溢れた背番号28が放つ存在感はまさに絶大だった。

 そんな日進月歩で変貌を遂げる町田には、ある熱い思いがある。それは、自らを育ててくれたアカデミーへの感謝の気持ちだ。町田はプロになった現在も、つくばに帰る際には、アカデミーセンターに顔を出し、スクール生やジュニアの選手たちと話をする。「同じ環境からプロになった選手の話を聞くことで、自分も頑張ろうというメッセージになればという思い」からの行動だ。

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「アントラーズがアカデミーに力を入れていることが間違いではないと、僕らが証明していきたい。僕ら生え抜き選手がトップチームで活躍すれば、アントラーズのアカデミーに入りたいと思う子どもたちが増えていく。たくさん人が集まれば、必然的にチームも強くなっていくはず。そのサイクルが良い循環を生むと思う。そのためにも、僕らは強いアントラーズでいなければいけないし、子どもたちの指標であり続けることが、未来につながっていく。先輩たちが指標として背中を示してくれたように、自分も先輩として後輩たちに示したい」

 かつて自分が憧れた偉大な先輩のように、今度は自分が憧れの存在になり、未来へとなぐ。町田浩樹は『献身・誠実・尊重』を胸に、ACL出場権を争うライバル、浦和との勝負の一戦に臨む。

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