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 エヴェラウドは自らの原点を「自分は道端から生まれた選手」と語る。幼い頃は、近所の空き地が熱戦の舞台だった。サンダルを履いてやってきた子どもたち数人がそれを脱ぎ、土の上に並べて即席ゴールをつくる。そのうち誰かがボールを持ってきて、試合が始まるのだ。

「フットボールを始めたばかりのころに、技術よりもずる賢さ、良く言えば、クリエイティブなプレーを養った。今でこそ、この体格を活かしたパワープレーに注目してもらえる選手になったけど、昔はもっと足元の技術で目立っていた選手だった」

   ボールをともに蹴った仲間は負けず嫌いで、試合はいつも熱くなった。激しいプレーでぶつかり合い、ときにケンカにまで発展した。エヴェラウドの場合、特に相手が自分をおちょくるようなプレーをしてきたときには我慢ならず、ムキになって取っ組み合いのケンカを始めたという。

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 9歳になったエヴェラウドは、地元のサッカースクール・グアラニに加入した。そこで初めてフットボールの基礎と技術を教わる。総合的にはうまい方だったが、相変わらず身長が低い方だったので、ここでは技術を磨くことに重点を置いた。

 やがてスピードに足元の技術が加わり、地元では一目置かれる選手になった。すると、12歳でエスポルチーバという地元クラブからの勧誘がきた。グアラニとは違い、トップチームまで育成のピラミッドがあるチームだ。

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 しかし、エスポルチーバの練習に参加するためには、交通費も含め、費用がかかる。できることなら行きたかったが、子どもながらに家計が苦しいのは知っている。そう簡単には決断できることではなかった。だが、加入をためらっていたとき、クラブ側が個人スポンサーを見つけ、支援を取りつけてくれた。おかげでエヴェラウドは12歳からエスポルチーバに加入することができた。

「フットボールがチームスポーツである以上、チームの勝利が一番。それにはチーム一丸になることが大切だと、エスポルチーバで学んだ。それまで僕は、いわば『遊びのフットボール』のなかで、自分本位でワガママなプレーばかりしていた。でも、フットボールでは『個』を優先してはいけない。いくらうまい選手でも、自分本位なプレーばかりしていたらチームは勝てない。だけど、自分がチームのためにやるべきことをやってチームが勝てば、自然と自分も注目される。エスポルチーバでの最初の2年、3年のうちに気づき、自分のプレースタイルを変えていった。それはいまだに強く意識していること」

 エスポルチーバの練習はいつも午後にあった。夜には勉強して、空いた午前中は家計を助けるために母親の仕事を手伝った。覚えているのは「鶏の出荷作業」だ。農場で生きた鶏を捕まえて箱に入れ、トラックに運ぶ。日本でいえば中学生ほどの年齢で、もちろんブラジルでも労働は禁止されているため、『お手伝い』程度の仕事でお小遣いをもらう形だった。

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 『お手伝い』程度といえ、それなりの力仕事を週5日こなす。「これだけ働いてもこれしか稼げないのか」と厳しい現実を目の当たりにした。では、今よりも豊かな生活をするには、どうすればいいのか。子ども心に、結論は見えていた。

「ブラジルで、裕福ではない家庭に生まれた子どもが、自分の人生をよくするには、必死に勉強して大学に入ることがまず一つ。ただ大学の合格率は非常に低くて、なかなか合格できない。それ以外で成功しようと考えると、自分にはフットボールしかなかった。だから15歳のころ、家の暮らしも自分の人生ももっと豊かにしたいという思いから、『自分は絶対にプロ選手になるんだ』と自分自身に言い聞かせた」

 安穏とクラブでボールを蹴るわけにはいかなかった。同じポジションの選手が10メートルのダッシュをすれば、自分は20メートルのダッシュを繰り返す。自分は他人の倍、もしくはそれ以上練習しなければいけない。プロになるため、全身全霊を注ぐことにためらいはなかった。他の選手が遊びに行ったり、デートをしたり、楽しんでいる時間も練習に打ち込んだ。その先に自分と家族の幸せな生活が待っていると信じて。

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 そして、エヴェラウドは16歳のとき、ついにエスポルチーバとプロ契約を結ぶ。パワーとスピード。今のエヴェラウドの特長といっていいプレースタイルが確立されたのは、このころだった。

「トップチームでの練習に参加し始めて、すぐ壁にぶつかった。体格差があって、スピードもパワーも、なにもかも劣っていた。それからはジムでウエイトや、動ける筋肉をつくるトレーニングを重ねた。その後、17歳のときにグンと身体が大きくなって、体格でも周りに負けないようになった」

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 18歳になると、ブラジルの名門グレミオFBPAからオファーが届き、移籍を決断。初めて実家を離れ、寮生活を始めた。そして、移籍2年目にトップチームで公式戦デビューを果たした。

 そこからブラジル国内の複数のクラブを渡り歩き、サウジアラビア、メキシコでもプレーした。「常に競争」という厳しい環境で生活したことで、フットボールの技術のみならず、「人間としての成長」も実感した。

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 そして、プロフットボーラーとしてのキャリアも最盛期に差し掛かる28歳で、アントラーズへの加入を決断する。1年目の活躍ぶりは周知のとおり。チームトップとなる18ゴールを決め、最前線でチームを牽引した。

 シーズンオフには、他国のクラブからビッグオファーが届いた。だが、アントラーズへの熱い思いから残留という決断に至る。決め手はサポーターの存在だった。「昨シーズンの最終節、C大阪戦後にサポーターからの温かい応援を感じ、それに応えられなかったので、涙が出そうになった。皆さんの期待に応えるためにも、僕はアントラーズで、このJリーグで、歴史をつくりたいと思った」。アントラーズで新たな歴史を創るべく、並々ならぬ想いで2021シーズンに臨んだ。

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 しかし、今季は不運に見舞われ、コンディションが思うように上がらず、ここまでリーグ戦わずか1ゴールと苦しい状況が続く。前節の神戸戦も、ゴール前で決定機を迎えたが、決めきることができなかった。チームに貢献できていない悔しさや不甲斐なさ。誰よりも感じているのは選手本人だ。

 だが、彼がこのままで終わるはずがない。これまでいくつもの困難に見舞われながら、そのたびに力強く這い上がってきた。「どんな状況になっても諦めない」。その強い心で、どんなときも、チームのために、家族のために、献身的に戦い、結果を残してきた。今季のリーグ戦は残り13試合。きっかけさえ掴めれば、またきっとあの爆発力をみせてくれるはずだ。

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「全身全霊で1試合にかける気持ちを見てもらいたい。僕はピッチ上で献身的に努力を続ける」

 全力で、献身的に、勝利のためにゴールを狙う不屈のストライカー。エヴェラウドとともに戦おう。

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