PICK UP PLAYER

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 静岡学園を同校史上初の選手権単独優勝へ導いた松村優太のもとには、Jリーグの各クラブから加入のオファーが届いた。その中からアントラーズを選んだのは、最もレベルが高いところに進みたかったからだ。

「自分がオファーをいただいたなかで、アントラーズは最もレベルが高い。僕は妥協したくないタイプで、日本一レベルの高いところにいきたいと思っていたので、迷わず決めました」

 妥協なきところに身を置くからこそ、自身も成長できる。むしろ、「競争は必ず成長につながる。自分自身の成長を止めたくない。競争のなかで揉まれることは大歓迎」と、自らの飛躍に心を寄せた。

 そんな松村が宮崎キャンプに合流したのは、選手権決勝からわずか2日後のことだった。練習前の選手権の思い出話には相好を崩していたが、すぐに表情は引き締まっていた。「周りがなかなか見えない。練習からバチバチだし、判断力を含め、全然テンポが違う。ついていくのが大変ですね」。プロのレベルの高さを練習で体感し、衝撃を受けた。またここから新たな競争を勝ち抜いていかなければいけない。改めて、厳しい世界だと思い知らされた。

 チームの合流から約1ヶ月後、プロデビューのチャンスは早々に訪れた。YBCルヴァンカップグループステージ第1節で後半途中から公式戦初出場を果たす。しかし、勢い余って相手GKへ遅れてタックルし、退場処分を受けた。涙を流すほろ苦いデビュー戦となった。

 その後、松村はなかなか出場機会を得ることができなかった。仲の良い同期であり、ライバルでもある荒木、染野が結果を残すなか、ベンチにすら入れない状況が続いた。人一倍、負けず嫌いな性格だ。どんな思いを味わっていたか、想像に難くない。

 ただ、それでも自らの課題と真正面から向き合い、ひたむきに努力を続ける背番号27の姿があった。「高校の時はドリブルしかしていなかったので、プロに入ってから、少ないタッチでプレーすることを意識している」とと、判断力の改善に取り組んだ。

「(静岡学園)高校時代も、最初のうちは試合に出られなかった。僕は負けず嫌いなので、同学年が先にトップチームに上がったときは、本当に悔しかった。でも、そこで多くの努力ができたから成長し、試合にも出られるようになった。それは、アントラーズでも同じだと思っています」

 成果は少しずつ現れた。毎日のトレーニングでタッチ数を意識したプレーを心掛けたことで、スピードを活かしたドリブルを仕掛けられるようになってきた。「前よりも良くなってきたかな」と本人も徐々に手応えを掴み始めた。

 そして、前節のホーム横浜FC戦。4試合連続で途中出場を果たした松村は、右サイドから積極的にドリブルを仕掛けて、相手守備陣を切り崩し、劇的な逆転勝利に大きく貢献してみせた。指揮官も「マツが入って新たな流れを引き寄せた」と、試合後にその活躍を高く評価していた。

 ただ、向上心の強い松村が、たった1試合の活躍で満足するはずがない。まだまだ同期の荒木、染野とは出場時間に差があるし、世界を見渡せばもっと高いレベルで活躍している選手もいる。まだ19歳、されど19歳。1年目だからといって妥協はできない。彼の目標はもっともっと高いところにある。

「サッカー選手の人生は、そんなに長いわけじゃない。もし30歳までやれたとしても、あと10年ちょっと。1年、1年、無駄にはできない」

 ゴールとアシスト。短い時間でも結果を残す準備はできている。縦横無尽にピッチを駆け回り、ぶっちぎってくれ。

 松村優太の成長とともに、アントラーズはさらなる高みへ登っていく。

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