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 永戸勝也は千葉県北部に位置する佐倉市で生まれた。2つ上の兄のあとを追い、5歳でフットボールを始め、小学生に入ると、地元の中志津SCで快速を武器にゴールを量産し、注目を集めるストライカーになった。

 だが、転機は中学1年生のときに訪れた。PBJ千葉ジュニアユースに加入するも、身長が伸び悩み、小学生時代に武器としていたスピードが通用しなくなってしまった。すると、フォワードが急につまらなくなった。当時を振り返り、永戸は「ちょっと挫折しかけてた」と語る。そこで、監督の助言を受けて、ポジションを変えることになった。

「(中学1年の)夏に、監督が僕をサイドバックにコンバートしてくれたら、意外と自分の性格に合っていた。あまり自分が前に出たいという気持ちもなかったし、思いのほか守備も楽しかった。プラス、攻撃もできるし。どっちもいいところ取りみたいな感じで、ますます楽しくなった」

 中学以降、基本的にはずっと左サイドバックでプレーした。どんどんサイドバックの魅力に惹き込まれ、プレーを重ねるごとに、楽しさや面白さ、やりがいを知った。

「ポジション的には守備の選手だけど、『攻撃にどれだけ関わることができるか?』ということを常に考えている。チームが得点を取ったとき、その攻撃の組み立てや一連の流れに必ず関わっていたい。僕の中では、これがサイドバックの面白さであり、自分がやるうえでの楽しさ。ここまでサイドバックを続けられた理由でもある」

 もちろん、面白さや楽しさ、やりがいだけではなく、サイドバック特有の難しさも知った。「相手のプレッシャーを受けやすいポジションだし、自分のところでミスしたり、突破されたりすると、高い確率で失点につながってしまう。難しさはあるし、常に危機感を持ちながらプレーすることが求められる」。それでも、経験を重ねることで「対面する相手と駆け引きする方法」を徐々に身につけていった。

 ポジションのコンバートが永戸の人生を変えた。昔から少し照れ屋な性格ゆえ、前線でエゴを前面に出すよりは、サイドバックのポジションで冷静に戦況を把握し、得意とする左足のキックを繰り出す方が「自分の性に合っていた」と言う。

「僕はそんなに自信満々にアピールするタイプじゃない。気負いすぎてもよくないので、自分がやることに集中する方がいい」

 熱量を外に出してプレーすることは得意ではない。だが、情熱がないわけではない。内に秘めた向上心は強く、誰よりも逞しい。

「思えばいつも『上にいきたい』気持ちだけでやってきた。もちろんそのなかには『うまくなりたい』気持ちも含まれているんだけど、それ以上に『高いレベルでやりたい』という気持ちが強い。大学に入っても、プロに入っても、それは常に思ってやってきた」

 そんな永戸に現在の自分と理想とするサイドバック像を比較してもらった。すると、「まだまだ」と自らに厳しい言葉を投げかけ、さらなる成長を誓ってくれた。

「課題はキリがないくらいある。守備面では、90分集中して『相手になにもさせないようなプレーができているか?』と考えたらまだまだ。攻撃面でも、ゴールに結びつくような結果をもっと残していかなければいけない。だから、今のところは本当にまだまだ。ただ、逆にいえば、もっと上を目指せるということにもなるはず。これからいろいろと突き詰めていきたい」

 加入1年目ながら、いまやチームに欠かせない存在になった。だが、本人に満足している様子は一切ない。

「僕ら世代の選手が新しいアントラーズの中心となっていかなければいけない。タイトル獲得を目指すなかで、今後はチームを引っ張っていくという面でも頑張っていきたい」

 新たなアイディアと可能性をもたらす背番号14が新しいアントラーズのキーマンだ。飽くなき向上心を抱く永戸勝也に左サイドを託す。

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