PICK UP PLAYER

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「自分たちの声で、ゼロに抑える確率を高める。そういうプレーが少しずつできるようになってきていると思います」

 会心のパフォーマンスだったかと問われれば、頷くことはできなかったかもしれない。停滞感を拭おうと苦心しながら前進してきたトリコロールに脅かされる場面があった。股下を通されたドリブルからゴール前へ進出されたプレーもあった。それでも、スコアボードに刻まれたのは「0」だった。自身にとって、聖地で2度目のクリーンシート――。90分を描き出した後、犬飼智也は深く息を吐き出した。アントラーズでの1年目、シーズン開幕から約半年。背番号39は苦しみながらも前進を続けてきた。満足とは程遠くとも。一歩ずつ、着実に――。

「伝統あるクラブに来ることができて幸せに感じています。このクラブと一緒にタイトルを目指して日々努力していきたいです」

 1月10日。決意を刻み込んだ新体制発表から、背番号39の2018年は始まった。昌子と植田、のちにロシアの地を踏むこととなる二枚看板に勝負を挑む覚悟は、生半可なものではない。「日本で一番手強い2人。学ぶこともたくさんあるでしょうし、その環境に身を置けることは幸せでもあるんです。強い気持ちを持ってプレーしたいです」。会見後の囲み取材でも、犬飼は「幸せ」という言葉を重ねていた。慣れ親しんだ清水の地に別れを告げる決断と、新天地での日々に懸ける思い――。穏やかに紡がれる言葉は、静かなる闘志とともにあった。

「責任は感じていますし、“その次のプレーから気持ちを入れないと”と思っていました。 “ミスの後のミス”が一番いけないことで、ミスをした後のプレーがすごく大事だというのは若い時にも経験しています。ミスへのリアクションについては成長できていると思います」

 秘めた闘志とは裏腹に、犬飼に待ち受けていたのは試練の日々だった。決意とともに臨んだ宮崎キャンプでは、戦術理解に腐心することに。「アントラーズのやり方を伝えて、すり合わせをしていきたい。清水の癖なのかなと思ったのは、サイドにボールが出た時に…」とプレー描写を交えて説明したのは昌子だ。「清水の守り方と、うちのやり方とがあって…」。歩んできた道のりの違いが、トレーニングマッチで顕在化した。犬飼自身も「まだまだ全然できていない」と、その事実を十二分に理解していた。どちらの定石が正解か、ということではない。アントラーズレッドの最終ラインを預かる者として、その任務を体に染み込ませる作業こそが目前の課題だったのだ。鹿嶋へ帰還してからも、研鑽の日々は続いていった。

 シーズン開幕を迎えた後も、試練は続いた。3月7日、シドニーで飾ったデビューこそ完封勝利で終えたものの、4月3日の上海申花戦でPKを与えるファウル、そして4日後の湘南戦ではオウンゴール。どちらもチーム全体の責任だが、自責の念は否が応でも降りかかる。低空飛行を続けたアントラーズにあって、犬飼もまた、暗闇の出口を探し求めていたのだった。結局、5月20日のJ1中断まで、背番号39は浮上できなかった。リーグ戦での勝利を一度もピッチで迎えることなく、W杯によるインターバルに突入することとなったのだ。

 「アントラーズに来て、勝っていないですからね。本当に結果で示すこと、勝つこと。とにかく、それしかないです」。犬飼が静かに語ったのは、6月1日のこと。ロシアへと向かうサムライブルーに、アントラーズの二枚看板が名を連ねた翌日だ。不甲斐なきシーズン前半戦を経て、心境を問うのは酷だったかもしれない。それでも、5日後に迫っていた天皇杯初戦、そして7月の公式戦再開を見据えた時、背番号39の奮起が不可欠であることも容易に想像できた。だからこそ尋ねた。ここまでの日々を振り返って、どう感じているのか――。

「アントラーズのグラウンドの中での厳しさ、バチバチ感は日本でのトップクラスだと思うんです。本当にいい環境に身を置けています」

「サッカーに対する取り組み方、チームの雰囲気ですね。一言で、と言われると難しいんですけど、率直に“いいな”と、ここにいて思うんです。一体感はもちろん、ここを離れた選手にも“アントラーズはよかったな”と思わせるものがある。そういうチームだと思います」

 どんな時でも誠実に受け答えをする25歳の瞳に、充実の光が灯った。「成長していけるかどうかは自分次第です」。果たして今、その言葉は現実のものとなりつつある。一足飛びとはいかなくとも、決して大きくはない歩幅であっても――。植田の欧州挑戦、昌子の負傷離脱、チョン スンヒョンの加入、町田の台頭。目まぐるしく移り行く勢力図に身を置き、背番号39は不可欠な存在として先発出場を続けている。7月11日の公式戦再開から10試合、フルタイム出場を遂げているのは一人だけだ。

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 7月22日の柏戦、リーグ初勝利の舞台はカシマスタジアム。3日後のC大阪戦、リーグ初のクリーンシート。「気にしていたので、よかったです」。安堵の言葉を連ねた後、青黒、青赤との2試合は不甲斐ない己と向き合うこととなったが、聖地で初めての完封勝利は8月5日、古巣との90分だった。「もっともっと、突き詰めていかないと――」。もがきながら、到達すべき景色に一つずつ足を踏み入れながら、犬飼は次なる戦いを見据えている。

 「アントラーズのために、自分ができることは全部やりたいんです。結果が全てですし、自分が勝たせるという気持ちで」。不在だからこそ浮き彫りになる二枚看板との比較も批判も、全てが進化への糧になる。揺るぎない信頼を勝ち取るために、今夜も犬飼はアントラーズを守る。誇り高き鹿のエンブレムとともに、サックスブルーの前に立ちはだかる。
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