昌子 源~突然言われた、センターバックへの転向~
2015年12月24日に掲載された記事です。
2015年12月24日(木)
『マイ・ポジション』、第5回は、我らがセンターバック、昌子選手です!
(パート1)
「突然言われた、センターバックへの転向」
編:昌子選手はセンターバックですが、ずばりセンターバックとは?
昌子:いや、悪口しか出てこないですよ(笑)。知ってる人も多いと思うけど、僕は元々FWですから。
編:ガンバ大阪ジュニアユースでは宇佐美選手とかぶっていたんですよね?
昌子:そうそう。他にも大森選手とかもおったしね。
編:その時、「宇佐美選手とはモノが違う」と悟ったとお聞きしましたが。
昌子:あの時の同期は全員思ったんじゃないですか(笑)。先ず、あの時のガンバ大阪ジュニアユース、そしてユースがヤバかった。関西の最強軍団でしたね。大阪、兵庫、京都、奈良、どの府県からも1番いいやつから3番ぐらいまで揃えている感じ(笑)。各府県のトップ3でできたオールスターチームでした。その中でも宇佐美は抜けていましたね。
編:ちなみに昌子源は何番目?
昌子:僕は、下から3番目ぐらい(笑)。
編:ではいつ、センターバックに転向したんですか?
昌子:高校1年の夏でした。米子北行ってからセンターバックになりました。
編:そのきっかけは?
昌子:コーチから言われたんですよ。ある練習試合の時、センターバックが怪我をして足らなくなってしまった。「源、お前が代わりに出ろ」って(笑)。
編:1年生で?
昌子:国体のチームだったんですよ。ちょうどガイナーレと練習試合していて、高校のコーチが監督だったんです。前半後半でメンバーを総入れ替えするテストマッチで僕は前半、FWとして出場していました。後半に入ってベンチで見ていたら、センターバックがちょうど怪我して…。たまたま僕がコーチの隣に座っていたんですよ。んで、コーチが「源、源、お前行け!」って叫びました(笑)。その時、ガイナーレにハメドというナイジェリアから来た選手がおったんですが、そのハメド選手とバッチバチにやり合いました。それで次の日、米子北へ帰ったら…。
編:帰ったら?
昌子:その頃、米子北では「ディッチュウフォー」と言って、円陣を組んでDF、中盤、FWと並んで、順番にチーム分けしていくのをやっていたんですが、僕がFWのところに並んでいたら、コーチが「源、お前何してんねん」って言うんですよ。
編:ということは?
昌子:そう、「お前、DFやろ」って(笑)。「え?」って思ったんですが、「お前、今日からDF以外やったらあかん」って最後通告。それが僕のセンターバック人生の始まりです(笑)。
(パート2に続く)
パート2:
昌子 源~一対一は絶対に負けない~