1998シーズン
最終成績:
Jリーグ 年間優勝(1stステージ 5位 2ndステージ 優勝)
ゼロックススーパーカップ(現FUJI XEROX SUPER CUP) 優勝
1979年生まれの小笠原満男、曽ケ端準、中田浩二、本山雅志、中村祥朗、山口武士といった"ゴールデンエイジ"が新加入し、日本が悲願のフランスW杯出場を果たした1998シーズン。チャンピオンシップで磐田と激闘の末、前年に逃した年間王者に輝く。特にチャンピオンシップでMVPに輝いた秋田豊と、磐田のエース中山雅史の熱き戦いは二強時代を代表するものだ。またシーズン後、第1期黄金時代の象徴でもあるジョルジーニョがクラブを離れた。
1997シーズン
最終成績:
Jリーグ 年間2位(1stステージ 優勝 2ndステージ 4位)
ヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ) 優勝
天皇杯 優勝
ゼロックススーパーカップ(現FUJI XEROX SUPER CUP) 優勝
固定背番号制が導入された1997シーズン。関係者の誰もが「この年が史上最強」と口をそろえる布陣で戦った。「優勝請負人」と称えられたビスマルク、そして日本代表の名良橋晃が加入し、攻守ともに隙のないメンバーがその力を存分に発揮し、年間優勝こそライバルの磐田に阻まれたが、天皇杯、ナビスコカップを制覇した。2冠を達成し、第1期黄金時代にふさわしいシーズンとなった。
1996シーズン
最終成績:
Jリーグ 優勝
1シーズン制となった1996シーズン。ジーコがテクニカルディレクターとして帰ってきた。また高校時代から注目されていた柳沢敦も加入、7月にはレオナルドがパリ・サンジェルマンに移籍するものの、2年目のジョルジーニョがチームを牽引し、クラブ初の年間優勝を成し遂げた。なお、ジョルジーニョはアントラーズの選手として初めてJリーグMVPを獲得した。第1期黄金時代が始まり、アントラーズのベースが作られた年となった。
1995シーズン
最終成績:
Jリーグ 年間7位(サントリーシリーズ 8位 ニコスシリーズ 6位)
現役ブラジル代表として、レオナルドとともにアメリカW杯で世界王者となったジョルジーニョが加入した1995シーズン。セレソンコンビはワールドクラスのプレーでファン・サポーターを魅了し続けた。特にニコスシリーズ第19節・横浜F戦でレオナルドが魅せた「リフティングゴール」はJリーグの歴史に残るファインゴールの一つ。タイトルこそなかったものの、記憶に残るシーズンとなった。
1994シーズン
最終成績:
Jリーグ 年間3位(サントリーシリーズ 3位 ニコスシリーズ 5位)
ジーコが現役を引退し、アメリカW杯ブラジル代表メンバーでもあるレオナルドが加入した1994シーズン。この年からクラブスポンサーのユニフォーム露出が解禁となり、トステム株式会社(※)がアントラーズの協賛を開始し、背中に「TOSTEM」のロゴが入る。LIXILとアントラーズの25年の歴史は、ここから始まった。

※2011年、トステム、INAX、新日軽、サンウエーブ工業、東洋エクステリアの5社統合により株式会社LIXILが誕生。

『LIXIL× ANTLERS 協賛25周年記念試合』高橋陽一先生コラボ 記念イラストポスター

『LIXIL× ANTLERS 協賛25周年記念試合』の開催を記念して、あの高橋陽一先生が特別に5選手を描いてくれました!

これからも、夢を追いかけよう。ともに。

© 1992 Kashima Antlers FC All Rights Reserved.
© Sony Network Communications Inc. All Rights Reserved.
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