DRAMA Vol.04 一通の手紙から

1989年10月、住友金属に日本サッカー協会(以下、協会と略す)から一通の手紙が届いた。「プロサッカーリーグに参加する意思があるか」といったアンケート調査だった。

この段階では、まだ応じる体勢ができておらず、住友金属としては「その意思はない」と返事をしている。

それから半年後、1990年の4月に、協会からプロリーグ参加への正式な打診が届いた。そのとき住友金属の対応は、前年と違ってかなり慎重なものだった。

蹴球団関係者の間では、やはりプロの世界ができるのであれば、そこでプレーしたい、という気持ちが高まってくる。また、他のチームがプロになり、住友金属がプロにならないと、優秀な選手が入団してくれなくなる。そうなっては、団としてのチームを維持していくことも難しくなってくる。プロに負けない選手を求めて日本中を駆け回った、あの苦しい10年間がよみがえっていたに違いない。

このころ、住友金属の蹴球団は日本リーグ2部に降格となっており、ここでプロリーグに食い込むことができなければ、明日はない。確かに、土俵際だった。

しかし、協会からの打診は「プロリーグを作るから参加しませんか」という簡単な問いかけだけではなかった。参加団体には、レベルの高い条件-世にいう「高いハードル」-が提示されていたのである。たとえば、参加団体の法人化(参加するチームが独立した会社となること)や、専用スタジアム(15000人以上収容可能なもの)の確保、地元に根差した存在となること、など7つの条件が用意されていた。

つまり、ただプロになりたい、と声を上げて叫ぶだけではだめで、この条件をすべてクリアすることができなければプロになる資格がない、というものだった。