DRAMA Vol.14 0.0001%の可能性

1991年2月14日、プロリーグの最終検討委員会が開かれた。川淵氏は席上で鹿島アントラーズの正式加入を求める発表を行う。

「企業ではなく地域のチームとして出てこようとしている彼らは、われわれが目指すプロリーグの理想ではないか」

最上級の賛辞も添えられていた。

結果は即座に鹿島に伝わり、スタッフたちは喜びにふるえた。

もちろん、ほかにも有力なサッカーチームはたくさんあった。それでも鹿島のチームが選ばれた。これは、とりもなおさず地域の団結したパワーが願いを実現させたといっていいだろう。

夢をひとつ、果たした。

これまでの陳情活動のことを、後になって川淵氏はこう語っている。

「とにかく住金が加入できる確率は限りなくゼロに近く、99.9999%ダメだったと思いますね(笑)。それはそうでしょう。他チームに比べてホームタウンとなる地域の人口が少なく、しかも弱いし、スタープレーヤーもいない、競技場もないと、いいところなしだったんですからね。」

それで「日本で初めての屋根付きの専用競技場でもできれば、話は別ですがね」と冗談のつもりで言ったら、茨城県へ働きかけはじめたんです。私は困ったなと思い、「競技場ができても、観客が少なくてガラガラでは話になりませんよ」と言ったら、今度は近隣の町村長や各団体のハンコを押した書類の山を見せられました(笑)。県や町、地元企業の協力をとりつけたというわけです。-(中略)-

私はね、これは仕事にも人生にも当てはまることですが、「物事は最後の最後まであきらめてはいけない」という、典型的な例だと思うと同時に、関係者の努力に頭が下がりますね。(住友金属社内報「すみとぴあ」に掲載された川淵氏と宮本監督の対談より抜粋)」