遠藤康の場合〜前編〜
2014年12月27日に掲載された記事です。
2014年12月27日(土)
「あの人がいたから、今の自分がある」
サッカーを始めたのは、お兄ちゃんの影響。先にお兄ちゃんがやっていて、その練習についていったのがきっかけ。最初から楽しかったですね。
その頃から子供の時は、ずっと自分がエース(笑)。まあ、東北でプロになる選手は大概そうだと思いますよ。他の地方より、圧倒的にプロになる選手が少ないからね。だから、満男さんとかと一緒に『東北人魂』の活動をしているわけだし。震災復興という意味が先ずはあるけど、もう1つ大事なところは、「できるだけ東北からJリーガーを生み出して、東北サッカーを強くしたい」という気持ちの部分だから。
それでもオレの地元である仙台、宮城はレベルが高い方かもしれない。まあ、他の東北の街より人口は多いから(笑)。
小学校の時は、地元のなかのFCでサッカーしました。その頃の監督である千葉さんとは今でもお付き合いがあるし、東北人魂の活動も手伝ってもらっている。オレのサッカーの基礎は、なかのFC。だから、将来は何らかの形で恩返ししたいなあとずっと思っています。今年のお正月も顔出すし、東北人魂のイベントでも会うしね。
中学からは塩釜FCという、東北ではそこそこ知られた、仙台の隣にある塩釜市の街クラブに入りました。古くは、久さん(加藤久・現ジュビロ磐田GM)とかも所属していたクラブです。そこでも、エースだったな。Jr.ユースの頃はユースに、ユースの頃は社会人のカテゴリーでプレーさせてもらっていた。
だからかな、ちょっと勘違いしていた部分もあったね。パスが来て、ちょっとでも自分のところからズレていたら、取りにもいかないっていう(笑)。「おい、ちゃんと出せよ」みたいな。後は、「オレに任せておけばいいんだよ、だから守備はしておいて」みたいな王様プレーばっかりの時期もありました。
多分、あのままだったら、「ちょっとサッカーがうまいヤツ」で終わっていたかもしれないですね。そんな天狗なオレをぶちのめしてくれたのが、ハルヒトさん(小野寺陽人・現塩釜FC代表)。ハルヒトさんはユースの監督だったんだけど、「お前みたいな、勝手なヤツはウチにいらない」って、オレを徹底的に干してくれた。最初は、「何言ってんだよ」って思ったこともあったけど、そこで気づかされましたね、「あ、サッカーってチームスポーツなんだ」って。ちょっと遅いよね(笑)。でも試合中にちょっとでもフテくされたり、"王様"プレーが出たりすると、ハルヒトさんからはすぐ交代を命じられたし、ずっと試合に出してもらえないこともあった。それでやっと分かったんですよ。
だから、ハルヒトさんがいなかったら、今の自分はなかったんですよ。「鹿島アントラーズの遠藤康です」と言える自分じゃなかったら…怖いね(笑)。
そういう人と子供の頃に出会えた。それがオレにとって、一番の宝物かな。
(後編に続く)
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